リアルでからふるな美大の日常を。
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こたえます
ほんとに暑いですね。
こう連日だとさすがにこたえます。。。
ではなくて、(いや。そうなんだけど)
私も遅ればせながらお題に答えたいと思います。
長いです。笑。
Q1.いつ頃から美大を目指しましたか?
A, 高2の夏休み。
元々中学では科目の好き嫌いが激しくて、
美術はいつも5だけど、
体育とか数学とかは1とか2、、、という具合で
英検と漢検でかさまししても
公立高校(神奈川県立)のいい所は難しいね。って感じでした。
私はまだ相対評価の時代だったので
成績を上げるのはまず無理。
(しかも小中は国立だったし)
オバカな公立は治安の面で自分には合わなそうだったので
私立の高校を探し、
ちょうど良くデザインコースがあるちょっとオバカな(しかし治安はいい)私立に出会え、
そのまま入学しました。
で、
入学が決まってすぐに
長年通うことになった二駅先の美術予備校から
年間パンフレットと、月に一回の「無料体験のお知らせ」が来るようになったんです。
大学に行くとか全然考える前に
「美術予備校」という存在を知ってしまったわけで。
こんなお金かけてそうなパンフレットを
ただで配っているなんて!
って感動するとともに、
学費のページに「うそだろ、、、」と思ってしまったので
しばらくはスルーしてました。
しかし、
月一の案内がしつこかったので
ちょっと行ってみることにしました。
それが高1の終わりだったかな?
よくよく思い出してみると
それがムサビの先生の出張講演会でした。笑。
でもこの時点ではムサビもスルー。
その後、無料体験に参加、
本格的に入学したのが高2の夏季講習からでした。
中学で5を取ってて、
高校でもそこそこ上の方の成績をいつも取ってて、
予備校で最初に描いた石膏デッサンも「うまいじゃん!」
という、
調子乗っちゃう所からのスタートでした。笑。
ちなみに高2は基礎科で秋から、
立体とか着彩とかまんべんなくやってみて
デザイン科の体験課題が楽しかったのと
デザイン科の先生がなんとなく好きになれそうだったのと、
なにより2番目に選ばれて講評してくれたので
「自分いけてるかも。」という勘違いから
受験科はデザイン科へ。
はい、成り行きです。
ちなみに、
高校のクラスのほとんどは
推薦で専門学校に進学していました。
大学受験が一割くらい。
みんなとは違って
私は実力があるんだから!
という過信があったもので。
あーはずかしい。
この時点では
まさかのタマグラ志望でした。
佐藤可士和が好きだったんです。笑。
まあでも時代がそうだったよね。
2002年。
Q2.どうやって勉強しましたか?
A . ただひたすら、マジメに予備校に通うこと6年。
これは参考にならんですよね。笑。
まさかこんなにかかるとは思ってもみませんでした。
1浪か2浪の時には家で平面をやり直しまくったり
3浪では友達同士で講評しあうのをやったりしましたが
基本的にはただ通っただけでした。
4浪ともなると
GWの宿題とかマジメにやらなかったけど(!)
それでも毎日休まず通っていました。
いま思うと
もっと美術館に行ったり
「すき!」と思えるものに触れたりする時間(インテリアショップにいくとか)が
もっとあっても良かったんじゃないかと。
結構時間はあった。
無いと感じてたけど。
ちなみに芸大コースにいたことと、
高校時代からの無駄な過信で
学科の授業は受講していませんでした。
センターの勉強は本屋さんで問題集を買って勉強、
毎年受けてたこともあって傾向ばっちり分かってる。。という。
高校から4浪まで
科目に多少の浮き沈みはあったものの、
7割をキープ、という感じでした。
やってない割にはできてるでしょ☆
ムサビ対策は
過去問を1回解いただけでした。(!)
でもセンターのがんばりが「センター方式」の方で生き、
出来ない古文漢文はカウントされないし
無事にセンターも一般も受かることができました。
はい、センター方式一期生です。
Q3.どうやって大学、学科を決めましたか?
A . 勘。
もともと芸大にコースにいて、
「芸大に行くのがすばらしい」という洗脳のもと
高2から6年もの時を過ごしてしまっていたので
大学に入って何をしたい、とか
無いまま受験生をしてました。
芸大は入ってから決めるし。
そんなとき、
ふっと
ムサビのオーキャンに行ってみよう、、と思ったのです。
実は現役の時にも夏の説明会に来てるのですが
オーキャンは4浪のときに初めて「行こう」と思ったのです。
いままで来なかったのは
なんとなく遠かったイメージが強く残ってるから。
田舎っぽい道と
4号館前のひまわりと
コンクリの校舎しか覚えてませんでした。
が、
4浪のなやみになやんだ時期に訪れると
大学生たちはこんなにも楽しそうなことをやってるのか!!!
って目が覚めたのです。
はやく大学世にならなくちゃ!
と、初めて思った瞬間でした。
このときは
視デの1年生の友人に案内されたこともあって
100ドロの展示とかを念入りに見てたけど
家に帰ってから学校案内を熟読して
ムサビが絵画とか彫塑とかもやる、と知り、
なんかいろいろやってそうで、
粘土とかで培ったスキルも活かせるかなあ、と
工デを視野に入れ始めました。
この時点では
同じくいろいろやれそう、ということで
基礎デも考えてて
結局両方受かってしまい
最後の最後まで悩みましたが、
考えるよりも手を動かす方がちょっとだけ好きかな?
と、わずかな差で
私はいま工デにいます。
Q4.この時期、何をやってましたか?
A, ただひたすら夏季講習。ときどきバイト。
最後の年は7月でバイトを辞めた気がします。
夏期講習は夜間部の現役生も合同だったので
残って描きたかったから。
あーがんばったね。笑。
勉強は
「基本の英文法」みたいなのを買って
本当に5文型からやってました。
実はちゃんと塾とかに通った経験も無く
文法って習ったこと無かったので。
これは土台作りに役に立ちました。
どうりで文法問題できないわけだ!
っていう新発見ばっかりで新鮮だったし
学科の勉強はやればやるほど身になるので
息抜きになりました。
実技はやればやるほど迷宮入りだったから。
長くなりましたがそんな感じ。
夏季講習の独特な感じは嫌だったけど好きだったなあ。
はたから見たら美術一直線なんだけど
芯になるものは意外と無くて
「子供の頃から絵ばっかり描いてて」というわけではなく
絵よりも工作、美術より技術のほうが実は好きでした。
しかし自分が不器用だと気づくのは
先日実家に帰ったら
20冊くらいの大量の講評ノートと
12冊の、作品を撮り貯めたフォトブックに再会。
久しぶりに見るとすごい量です。
これをポートフォリオに載せようかと思ってます。
これが「私」と言えるものの一つです。