リアルな美大の日常を
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2011年06月のアーカイブ
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暑い季節がやってきたので、ツイッター始めました。
おはよう、こんにちは、こんばんは
いつ、ムサビ日記新人の証である赤文字がなくなるのだろうと考えている今日この頃。
たぶん、新人特有の情熱とか初い初いしさなんかがなくなった時なのやも知れない。
思い返せば、日記メンバー応募メールを締め切りの15分前くらいに焦りながら送ったあの時から、もう2月近くも経っています。
15分前って...感じですよね。
だけど、ちゃんと理由があるのです!!
というのも、やろうかやるまいか直前まで大いに真剣に、悩み考えていたのです。
その真剣度度合いたるや、チーズケーキかガトーショコラかで迷うようなもの......
ん?軽すぎる?
んー。もっとほかの例えで言えば、ベルハウスにて、お昼ご飯をクリームパンか小倉パンかどちらにしようかと悩むようなもの...
まだ軽いかな?
ちなみにボクの場合、最終的にクリームも小倉もどちらも買ってしまう事が多いです。
食欲には勝てんのです。
ま、そんな、悩み具合尺度は冗談ですけど、ムサビ日記メンバーの応募にはかなり悩みました。
自分は滞らず更新できるか?(できてないやーーん)
人を愉快にする文が書けているか?(まだまだ修行がたりーーん)
ムサビライフが読者に伝わっているか?(もっとがんばれーーい)
とね。
メンバーに採用された時はなかなか嬉しくて、にやけてた気がします。
中学のとき、図書委員長になった喜びを二乗したような気分でしたね。
あー、なつかしい。
そういえば、7月も間近です。
あっという間です。
入学して3ヶ月?なかなか、高校の時とはまた違った楽しみ方に慣れてきて、大学生エンジョイ!!大学生万歳!!状態です。
時の流れが速いと言えば、5月から始めたバイト探しも14連敗を数えました。
そろそろしんどいですね。
誰か雇ってください。(切実)
あ、そういえば、「青色鉛筆」のアカウントでツイッター始めました。
オトギさんが、ちらと「皆やればいいのに」と書いてらっしゃたので、うっしゃやるかぁーーと、やることにしました。
「aoiroenpitsu」で検索すれば出てくるんじゃいかな?
そうだ。
そういえば、ワタクシ青色鉛筆。
五美管に入らせてもらっています!!(なななんと!!!)
ただし!!
楽器は弾けません...
というのも、小さい頃にやめちゃって、弾けなくなったのを後悔してたので、もう一度挑戦してみよー!!という軽いノリで始めちゃいました...
まぁ、大学生の一念発起ってやつですよね。
で、でですね!!
五美管のコンミスで、ムサビライターのきゅっきゅっぽんさんに会ってしまいました。
おぉーというかんじですね。
ボクも気づいてびっくりですたい。
うん、とっても、良い先輩であります。
これから、どうぞ、よろしくお願いします。であります。
はい、まぁ、今日はこんなところで。
おやすみなさい。
オープンキャンパスを受験生の時よりも楽しんでたり疑惑
ムサビ日記メンバーのアフロ活動に参加できず実に悔しかった。
というのも、私はアフロの持つ夢と希望とあれとそれに心を奪われてしまった者の一人だからだ。
アフロのもじゃもじゃは多元空間へとつながっていて、そのもじゃもじゃにアイテムを突っ込めば、ドラえもんのポケットよろしくアイテムを自由に収納のできる。
それは幼少期の私の心をグワシッとつかんで離れなかった。
実に夢のある話ではないか!!!!
いつか、僕もアフロになるんだ!!!!!!
少年はその瞳に金色に輝くアフロを映していた。
しかし、やんるぬかな、少年のアフロへの想いは時と共に消えてしまった。
それは、少年の日、宇宙飛行士になろうという決意を抱くが大人になり、様々なものを諦めていく中で、幼き日の夢をも捨ててしまうのに似たようなものであった。
そんな、少年の日の輝かしい日を思い出し、私は今日泣く泣くバイトの面接へと向かった。
既にバイト不採用11連発である。
11連敗である。
屈辱であり、悲しきかなワーキングプアぁーである。
誰か私を雇ってくれ!!!!!!!
まぁ、それはよいとして共通絵画が終わったのである。
そういえば、「石」の講評の様子を述べていなかった。
「石」はデッサンで挑んだのですが、ある程度のところから描き進められなくなって、十二分の頑張りができなかった。
ある程度のところから進めなくなるのは美術予備校時代からの駄目なところだったので、案の定できなかったか....
といった感じでした。
やっぱ、できないことはできないままなんだな...
そして「樹根」のモチーフは横長画面に墨で挑んだ。
ひたすらに大きい画面に、線で絵を描く作業を黙々と黙々と.......
中学の職業体験で、周りの人達が苦痛の悲鳴をあげた「魚型醤油差しに醤油をひたすら入れる作業」を黙々と、一人で楽しんでいた私なので、こういう単純作業は屁でもなかった。
しかし、これを「絵画」といってしまってよいのだろうかと悩んだり悩まなかったり...
で、講評で言われた事は「もっと思い切ってやれ」でした。
うん、やっぱりか!!
そうだよね!!!
といった感じですねー
そして、次は楽しみにしていた映像1の授業。
いやっふぉおおーー
と小躍りしてしまう勢いでうれしいです。
いい作品を作れたらいいな。
あ、あと、オープンキャンパスすっごい楽しかった。
そして、MAUパンおいしかった!!!
では、どんどん文体がおかしくなっていく前に、今日のところは以上とします。
さい、なら。
自分の中の絵画を見つめる。
こんばんは。
上まぶたと下まぶたがとても仲が良いらしく、すぐにくっついてしまおうとします。困ってます。
しかし、困ってばかりも眠ってしまう訳にもいかないので、二人の仲を泣く泣く引き裂くことになります。
すまぬ。
今週の土曜日、共通絵画の第一回講評会です。
この二週間「石」のモチーフと向き合い、描いてきた訳です。
私は予備校時代から絵を描くのが苦痛だった類いの人間なので、描き始める前に相当悩みました。
色を目の前のものに似せることも苦手だし、抽象的に自由にやれといわれるのも苦手。どうしよう。
できないならできないなりにやればいいじゃん!!となるかもしれないけど、下手な割に「下手なものができるのは嫌!!」 な完璧主義?なので「できなかったけどできること」をやることにしました。
つまりは、すごくはできないけど、ある程度はできるもののコト。
まぁ、結果として今デッサンが収拾のつかないことになっているのですが......
さて本題です。
私は今回の共通絵画で「個人のなかにある 絵画もしくは芸術」について考えてました。
「絵画」というやるべき概念を与えられて
それを素直に油やアクリルなんかの絵の具、鉛筆、クレヨンで表現する人。
また、粘土や半立体、「絵画」という枠組みでは用いない材料を使って表現する人。
たくさんな人が様々な切り口、センスで挑戦をしています。
そんな人たちに囲まれる中でそのことについて描きながら考えてました。
(絵を描いていると、何にも考えてなくても何かを考えてしまいますよね。)
どうして、さっきの前者と後者のような人に分かれるのだろう? と。
つまり、「絵画」を描くといわれた時。私たちのイメージする「絵画」は「絵の具や鉛筆で書く」ということが前提になっているはずなのに、なぜ「絵画」ではあまり用いらない材料で「絵画」をする人がいるのだろう? と。
同じ学科のある人が
「物事やできごとの状況を(時代によっては見たままの正確さを)表すことが目的の絵画が、写真の登場によって画像での記録という役割を果たさなくなった。そうしたときに残された絵画は何をするべきなのか?自己表現だけではなく、絵画の未来は何なのか?」
と言っていた。
このことについて、私も高校時代に考えていた。
やっぱり、「絵画」だとか「芸術」にダイレクトに対峙したとき、このことについて皆考えるんだね。なんだか、「芸術」を学び考えるときの暗黙の第一試験みたい。
私は絵画というものが、これまでの絵画以外の「何か」になることは無いんだと思う。
そこで、最初の話に戻る。
「絵画」は「絵画」以外にならない、なんとなくそう思う人が前者のような作品になって
「絵画」を「絵画」以外の何かにしようとする人は後者になるんじゃないかと思う。
なんとなく、そんな風に思った先週でした。
以上、おやすみ。