›2009年02月09日

赤岩さんへの質問責めプレイ(仮)

というわけで、パワハラなパクリ企画を始めてしまいました。
みちくささん、四輪さん、こんな独創性のない上級生でごめんなさい。

ついでに即興で思いついたタイトルがあからさまに変態性の高いものになってしまったので、
心の優しいお方にRenameして欲しかったり欲しくなかったり(どっちだ)。

というわけで、概要をば。
 
 
 

☆質問の方法

1・下にある【質問責めしてみる?】のリンクをクリックする
2・投稿フォーム(FC2拍手を利用)にお名前(ペンネーム可)と質問したい内容を入力して送信する
3・日記上で回答されるのを気長に待つ(笑)
 
 
☆募集期間

大体2月一杯で考えてます。
投稿数によっては…「ご好評に付き期間延長」ということで(汗)。
 
 
☆質問の内容について

基本的に何でもOKです。まじめなことでもくだらないことでも。

〔例〕
・好きな道具はなんですか?
・地味だと思う色は何色ですか?
・必殺技はなんですか?
・ジブリとディズニー、選ぶとしたらどっちですか?
・「進学校」の定義はなんだと思いますか?
・ぶっちゃけ、赤岩自身は将来についてきちんと考えてるんですか?(汗)
 

ただ、守備範囲に相当の偏りがあるので期待はしないで下さい。
特に美学美術史関係についてはねこあじさんかANNWNさんあたりに投げて逃亡する可能性が高いです(勝手にごめんなさい)。
 
 
☆そのほか注意事項

・それなりの下ネタなら適当にかわしつつお答えいたしますが、あまりにもひどい内容のものは「名誉のムサビコム除外」ということでよろしくお願いいたします(笑)。
・身内からの投稿も大歓迎です。むしろ参加してくれ。
・2月中はバイトに勤しむので、回答は3月になってからになると思われます。余力があれば今月中から随時お答えいたしますが。


↓というわけで、質問お待ちしております。
 
 


【質問責めしてみる?】

 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
…コレで質問0とかだったら笑うしかない(汗)。
 
 
 
 

あ、↓のランキングもお願いしますね。





›2008年05月25日

悩んでナンボなのかもしれないのだけれども。

この前の日記が本当に自己満足で終わったので、
教職の話に絞ってもうちょっと話を整理してみるテスト。

 
 
自分が教職を第一志望にしなくなった理由は、主に三つ。
 
 
滑舌が悪かったりとっさの対応ができなかったりなど、教師としてはハンデになる要素を抱えているから。
 
学校教育や美術教育に対して懐疑的になり、意義を見出せなくなってしまったから。
 
「学校中心に物事を考えていたら、それ以外の世界のことがわからなくなった」ことに愕然としたから。
 
 
 
一つ目については「やる気があれば何でもできるから大丈夫!」という人がいるかもしれませんが、
自分の場合はちびくろを3年以上やってきただけに、実感を持って不安を覚えています(苦笑)。
果たして自分の声はきちんと耳に届いているのだろうか、と思うときが多いです。
子どもに発音の悪い部分の声マネをされたときには、正直凹みます。
「モノマネされるのも愛情表現の一つ」と思えればいいのですが、自分は割と無理です(汗)。
これが和気藹々としているときならまだいいのですが、もしも不良の子をしかるときだったら、と考えると本当に自信がなくなります。説得したくてもどこか腑抜けに聞こえてしまいそうで…。

とっさの対応のできなさにはちびくろ内でも定評があります…笑えませんが。
突然の予定変更とか苦手です。脳内で予測させる変更パターンを幾つか予行演習していないとパニックに陥ります。
スケジュールをひっくり返すのが苦手です。楽しさの追求よりもノルマの遂行に走ってしまいがちです。
最近はある程度慣れはしたし、子どもも大人もぜんぜん違うことを考えている人ばかり集まっているサークルに長く身を置いていれば、
「やるべきこと」と「やりたいこと」と「みんなで楽しむこと」の突合せで行動できるようになりましたが。
でも子どものころから「あらかじめ決められたことに乗っかる」ことばかりしていたので、
子どもに合わせて毎日アドリブを求められるであろう教育現場に行っていいのだろうか、と思う時もあります。

と書いてみたものの改めて考えてみたら、どちらも「教育」以前にまず「働く」という時点でハンデになると思ったので、
これについてはある程度短所を受け入れるか、長期計画で改善するしかないのかなあ、と思ったり。
 

  
二つ目については、手羽さんが言うところの「論理的に否定することは簡単、肯定することは難しい」というのに行き着いてしまうのですが(汗)。

今まで無条件に受け入れていた「学校」というものの意義について、教職課程で一通り学んだことはとても有意義であった半面、
芋づる式に発掘される現状の問題点からその矛盾を感じ取って解決しようと脳内であれやこれや考えているうちに、
そもそも「教育」という行為が持ち合わせるジレンマを見つけてしまい、最終的には
 
総ての教育行為に、有意義で実に見える効果を見出すことが面倒臭くなってしまう。
 
という極論主義に走り(苦笑)、脳内だけでの試行錯誤なのに疲弊してしまいました。
いや、むしろ机上の空論に対し脳内活動で対抗しようとしたからこそ無駄に疲れたのかなと。
特に学校生活の中での割合が、今の「30分の1」から「30分の0か2(選択必修)」、下手すると「ゼロ」にされそうになった、
美術科という圧倒的少数派にいたことも大きかったのかと。
倒すべき(または、和解するべき)相手が、常軌を逸した大きさであることはいうまでもないから。

こちらに関しては今まで理論だけでしか攻めていなかった分、今度の教育実習で体感していきたいと思ってます。
本来なら「先生になると決めたから実習に行く」というのが建前としてあるのですが、
自分は「先生になりたい(なりたくない)かどうか確かめに実習に行く」考えでいます。
 
 
 
三つ目は…正直、この理由が一番大きいと思います。
「学校以外の社会を知らないで、生徒を社会に送り出す仕事をしていいのか」とかいっていたこともあったけど、
そんなの、履歴書に書くようなおあつらえ向きの文章だったなと思う。
 
自分の脳内にはいつも「理想の自分」があって、それに及ばない「現実の自分」にいつも悩んでいるから。
さらに高校以来はその間にあるギャップを埋める努力をする気力をなくしてしまっているというタチの悪さ(汗)。
自己を語るときに否定形を用いるのが多いのもこのことが原因かと思います。
 
優等生じゃないと気がすまないのだと思う。
小中学校のころ、中途半端な感じで「優等生」をやっちゃったから。
さらに高校以降は、自ら努力をしない性格であることを認めたくなかったから。
 
作品を作りたくなくてもとりあえずアトリエに行って見たりする。けどやっぱり作らない。
でも努力をしないから「どうせ自分はダメ人間」か「まだ本気を出してないから」のどちらかの言い訳をして逃げてばかり。
 
学校以外の事を知らないのなら今からでも色々アプローチしていけばいいのだろうけれど、やっぱり変な失敗はしたくない自分がいる。
学校にいればとりあえず安定するし(最近はそうでもないですが)、
行動に移していないくせに「自分は美大生なんだ、もの作りの人なんだ」と思い込みたいから、
結局は依存してしまう。
 
そんでもって中だるみになりやすいときには、
アパートのロフトベッドの上で独りきりになって、悲劇のヒロインぶった妄想を繰り広げては、気分を底なし沼に沈めていく。
脳内活動と現実の行動を結びつける努力を怠れば怠るほど、その悪い癖はひどくなる気がする。
 
うーん、学校の話から外れてしまったけれど、この現状は教職以前に人間としてまずくないか。
そこまで言わなくても、「実在するもの」を扱う彫刻学科の人間としては…といって、
また自慰にふけてしまう(性的な意味ではなく自己愛的な意味で)。
 
これはもう自分の根幹に関わることなのである程度は割り切りたいけれども、
根本的な自分の弱さを認めたくないがために、今まで歩んできた道を否定して、話をそらしたり責任転嫁させたりしてしまう。
問題解決になっていないから、自分の中に不良債権をためるだけなのに。

なんだろうなあ。教職以前に働くことを否定するための既成事実を作ろうとしているのかもしれない。
それがイヤなら、弱さを受け入れてとりあえず走ってみるか、
スーパーマン級に自己改革起こしてから社会に飛び出すか、
どちらもイヤなら引きこもるしかないか…。
 
こんな二極相対化をしないと気がすまない自分の脳みそが本当にうざったいです。
うざったいけれども付き合っていくしかないです。
頭と身体は切り離せません。
 
 
 
 


›2008年03月19日

美を成す術(すべ)

遅くなってしまいましたが、みちくささんの日記でなんとなくわかったことがありました。


自分は総てのことに「正しさ」を求めすぎているようです(汗)。
 

だからキミ子方式の書き方が好きになったり(子どものくせして整った萌え絵を描けなくちゃと思っていたので)、
酒井式には苦言を呈しつつも「軸がないと不安になる」先生方には微妙に同情したり(微妙ではありますが)、
作品制作でも先生にほめられなきゃいけないような気がしたり(みんな言うことはバラバラなのに)。
だからアトリエから逃げ回った挙句「それっぽいもの」をでっち上げてお茶を濁す(ぶっちゃけ、無理矢理立体に置き換えていた)。

美術以外のところでも、
義務感がないとあまり動けない自分がいたり、
「好きにやっていいよ」で好き勝手やれなかったり、
逆に独善的な正義感を暴走させていわゆる「KY状態」になってしまったり、
個性重視・弱者救済が叫ばれる世の中だから、
「勉強が出来るから苦にならない」という古典的な優等生キャラであることに、
なんとなく疑問を持ってしまったり。


「正しい」を自分の中で不動の位置に持ってきてしまったために、自分をそこに拘束している気がします。
絶対全がもたらすジレンマに悩まされる自分、に酔いしれてしまったりも。
生産性のない自縛プレイです(オイオイ)。

自分はみちくささんとはたぶん正反対で、
もともとピアノが好きで(惰性と義務感で続けていたのでもうやめてしまったけれど)、
歌うのも好きで(自分ではうまいと思っていたが、歌い方が独善的であまりよろしくなかった模様)、
「ドを押せばドが返ってくる」という感覚には慣れしたんでいたことも、
もしかしたら強く影響しているかもしれません。

といってもそれだけが原因じゃないとは思いますが。
(言い方は悪いけど)前衛的でグッチャグチャなアートよりも、プロポーションの「整った」「萌える」漫画絵のほうが親しみがありますし、
前述の「KYな正義感」を狂信していたので「反発されることほど善行」なんてとんだ勘違いをしてしまったし、
中学までは(一応)がんばって勉強していたので、80点取れたことよりも残りの20点を落としたことに凹んだりもしましたし。
…なんかすごい嫌味な人間だな自分(汗)。
 

そんな「正しさ」を人生の軸に起きすぎていたからこそ、音楽の感覚についていけたのかもしれないです。
 
 
 
うん、どんどん自分が美術向きじゃない人間に思えてきた。
まあいいや、排泄的になってもいいから駄目なら駄目なりに表現していけばいいや。
 
 
 


›2008年02月11日

面倒臭い赤岩

先日とある友人から、この日の日記は現職の人の気分を害するのではないのか、という指摘を受けました。

自分としては、友人からの一言から色々考えたことを書きとめただけのつもりでしたが、
今見返してみると、外部からの干渉にいちいちマジレスして疲れがたまったのを、愚痴るようにつらつら書いただけになってました。

もっと言うと、
「そんな鬱々とした状態を1から10まで認識してほしい。だから自分の現状を事細かに説明して、相手にうなずいてほしい」
そんな面倒臭いことを無意識に求めてしまう人間なので、熱くなるとついついしつこくしてしまい、相手を疲れさせてしまうことも日常茶飯事です。

そんなわがままな性格が、実はこのブログの原動力の一つだったりするのですが、
その記述内容によって気分を害された方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありませんでした。

そして今日も、そんな面倒臭い性格を発動させてしまって、人を困らせてしまった。


就職イベントでたまたま話をした女子学生に、自分が彫刻学科在籍であることを伝えると、
相手は「彫刻っていうと、粘土とかも?石膏とかもかしら?」と返事を返した。

自分としては粘土も石膏も「作品というよりかは原型の材料」という認識だったので、
(とはいえ作品として使う人もいるので厄介なのだが)
まずそのことを伝えようと一生懸命説明しようとし、
それでも相手の表情が晴れないのでブロンズとかプラスチックとかの素材名を挙げたりしたけれど、
それでもうまくいかないので、仕舞いには「例えばペットボトルに練り消しを押し付けたら〜」と、
割と専門的なマケットの概念まで持ち出したところで、相手が一言。
 

「へ〜、面白〜い」(棒読)
 

…やってしまったorz
 

彼女は彫刻を専門的に知りたいわけではなく、就職活動の合間の小話をしたかっただけなのに。
自分は(ろくに制作も勉強もしていないのに)コアすぎる話で納得してもらおうとしてた。
自分がすっきりしたかっただけなのに、それを相手が求めていると取り違えていた。
いや、わざと取り違えて、無理矢理押し切ろうとしたかった、のか。

いわゆる「KY」でも正義は勝つと信じて疑わない生き方をしてきたし、
しつこいくらい丁寧なのが礼儀なのだと思っていたのだけれど。

蓋を開けなくても自分は「KY=正義」だと思い込んでいた馬鹿で、
自分のわがままが世界の正義だと勘違いしていて、
マジレスは単なる趣味で相手には面倒臭がられていて、
おまけに自分自身には空回りな疲労感がたまる一方。


そんな生き方を変えていかなければ、「反省から学ぶ」や「失敗を水に流す」といったスキルを観につけることは無理な気がしてきた。

そしてまた今日も、読むのが面倒臭い日記を書きなぐっている。

何のためにムサビ日記を書いているのかが、最近わからなくなりました。
わからなくなったのではなくて、わからなくなりたくなりました(壊)。



›2008年01月23日

朝、カーテンを開けたら

雪降りすぎ。そのまま閉めて不貞寝を開始しました。
学校には夕方から行きます。


というわけで、手羽さんに出されたお題を消化消化。
 
 
 
なぜ上を目指さないのか


高校受験と大学受験ではちょっと話が変わってくるので、分けて書いてみます。

【赤岩の高校受験の場合】
県内でもトップクラスの公立高校を志望してたのですが、自分の場合は手羽さんとは逆にずっと合格可能性が80%辺りだったので、むしろ都内の超・難関校もがんばって狙ったらいいんじゃないかと思われるかもしれませんが。
うちの地域は私立より公立のほうがステータスが高い(とされている)こともあるし、都内の学校まで通うとなると片道1時間半はかかるところでした。
自分の中でも、周りのオトナを論破したうえで3年間必死になって早起きすることにメリットが感じられず、結局は県内の学校だけ受験しました。
それでもそのうちの私立1校は都内からも受験されるような名門だったので、今でも「…よくあの学校に受かったなあ」と思ってますが。

…こんなことを書くと嫌味に思われる気がするのでできるだけ学歴ネタは自粛していたのですが(それでも十分かいてますが)、
自分としては某雑誌の投稿欄にあった、
「自分は国立高校志望だけど親は早慶に行けとうるさい。それでもめていたら挙句の果てに『そんなところに行くくらいなら就職しちまえ』といわれた」
という方よりはましかと思ったので、思い切って書いてみましたが(オイ)。
…極端すぎる例で申し訳ありませんが、現実にはこういう家庭もあるようです。

というわけで自分も「上を目指す」タイプとは言いがたいのですが、かといってがんばらなかったわけではなく(たぶん…)、
「1問も取りこぼさない」という感じで努力してました。
トップクラスの公立高校の場合は100点中90点以上取らないと合格できない場合が多く、試験問題は教科書レベルだとしてもその中で限りなく100点に近づくかが勝負の分かれ道だったので、
がんがん問題を解いて、ミスしたところがあったら即復習、って感じでした。
なので「攻め」より「守り」の要素が強い努力の仕方かと。下手にせめても向こう側が素直な問題を出すので。
 
 
 
 
うん、この頑張りが高校受験後も続けばよかったのですが(汗)。

自分のことを書き過ぎたので、周りの雰囲気のことも。
といっても、基本的に自分のことしか見えてない人間なので推測の部分が大きいのですが(汗)。

千葉県の公立普通科高校はこんな感じで学区制がしかれていますが
(…といわないと中高一貫校の人や、学区が撤廃された地域の人がわからないと思ったので一応フォロー)
学区の面積がもともと大きい上に、隣の学区の学校も無制限で受験できたので結構緩いです。
実家のある地域だと公立普通科だけでも100校から選び放題で、学区制限のない専門学科や私立高校も入れるとさらに多くなります。
といってもさすがに県の端っこにある学校は通うのが大変なので、現実的な選択肢はもう少し狭くなりますが。
 
 

この制度が総ての元凶だとは言い切れないのですが、「選び放題」の裏を返せば、「とりあえず、こだわりがなければどこでも入れちゃう」ということにもなるわけで、「必死にならないと後がなくなる」という状況ではなかったです。
名門校以外でがんばったところでなんとなく先が見えちゃうし、だったら変にがんばっても格好も効率も悪いし。

手羽さんのころはまだ高校の数が足りなかったのかもしれないですが(違ってたらごめんなさい)、自分のころは逆に少子化で高校の統廃合が始まりだしたころだったので余計にそんな雰囲気がありました。
 
 
もろもろの事情から「とにかく高校にいけるだけでも幸せ」という人もいたし、
「知り合いのいない、ちょっと遠くの進学校に行ってみたい」という人もいたし(そして彼女は良いとこの看護学部に進学)、
選択肢が広いことはいいところもあるんだけれど、広いだけだと何かが足らない。
権利だけもてあましちゃって、いまひとつ突き抜けることができない、煮え切らない感じ。
 
 
 
 
 
 
…うーん、ここまで書いてなんですが、なんだか人事のような書き方で反省。
あくまでも一個人の推測だとして流してください(汗)。
 
 
この項、続く。




›2008年01月18日

公務員の方ごめんなさい

2ヶ月くらい前の食事の席で、同級生の友達から言われたこと。
 
 
「赤岩は、公務員になったら?」
 
 
 
その理由として友達は、

1・頭はそれなりに良い
2・プライドが高い
3・人の話を聞かない
4・マイペース

を挙げた。

1については、あくまでも「美大生」としてのレベル設定で。
高校は学級にひとりは東大に行くようなオバケ学校でしたが、1年の3学期から常にクラス最下位だった自分の学力はそんなにたいしたことがないので、結局人一倍がんばらなくてはいけない。
2と3は…自分の思うことが通らないと満足できないんです、だから人を押しのけて場の空気を壊してしまったりするんです。
でも、それだと公務員は余計に務まらないはず、なのだけれども。

4にいたっては、
「9時5時で仕事を切り上げて、帰りにブックオフで本を買って、夜はそれを読みながらのんびり、なんて生活が君にあってると思うのだが」
と提案されてしまうほど。
 
 
以上のことはあくまでもその友達のイチ意見だとしても。
それほど自分は、人から見て「公務員体質」なのだろう。
良くも悪くも。

じぶんでも高校生くらいからそれを自覚していた。
そしてそれがずーーーーーーっと嫌でたまらなかった。
なあなあな感じで生きていて、低いノルマだけ足りあえずクリアして、それを超えるような向上心のない、
そんな自分を変えたいと思っていたけれど、結局は思うだけだった。
6年間臭いものに蓋をしただけであったことに、友達の発言でやっと気づけた。


良くも悪くも体質なんだから、それに乗っかってしまってもいいんじゃないかー、と思っても。
今度は子ども時代の記憶が邪魔をする。

否、子ども時代の自分を無理矢理引っ張ってきてわざと邪魔をしてもっらって、
本当に大事なことから目を背けようとしている。
 
 
 
 
 
 
 


ワイドショーの見すぎ。
一言で表すならそんな感じか。
でもここではマスコミの悪影響とかメディアリテラシーの問題とかは少し置いておいて、個人的な感情の話。

街のためにがんばっているはずの市役所の職員さんが、税金垂れ流しとかの問題で、カメラを向けられて責められている。
でも自分には、職員さんも「弱者」に見えて仕方がなかった。

例えば、税金垂れ流しのみょうちくりんな建造物を立てると決めたのは、テレビに映るこの職員さんじゃないとは思うのだけれども。
市長とか議員とか、お上の決めたことは否定してはいけないから仕方なく悪役に徹するしかない。

下っ端のおれだって「ちょwwwこの都市計画ありえないくらい自重www」と笑っちゃうくらい可笑しく思うけれど、
そんなこと死んでも口に出せないからぐっと飲み込んで。

テレビ上で非難を受けるための「的」になるしかない、そのように思われることが何度もあった。

もちろん、テレビに出るくらいだからそれなりの責任者なのだろうけれども。
小中学生だった自分には、非常に不自由な身分に思えた。
言いたいことが言える、それが本当の「社会」だと思ってたから。

今となっては、
『一般市民という「弱者」を守るストーリーを紡ぐ、「それなりの報道番組」を作るために良く使われる構図』
と受け流すことが段々とできるようになったけれど。

ちびくろの図工教室で実際の「イチ公務員」さん(教育委員会の方)とお付き合いするようになって、
頭だけで理解していた「役所のおじさんの仕事」が自分の中で具現化されてきてはいるけれど。

世の中目立ったモン勝ち、トラウマにしたモン勝ち、の情報化社会の流れの中で、
小さいころから育んできた後ろ向きな感情は、大学3年の今になって自分を縛り付ける。
でも結局縛っているのは、考えが浅はかだった自分自身。

ちょっと考えれば、会社「社会」も役所「社会」もお上に逆らえないことは大体同じだろうに、
公共性ゆえに後者の露出度が高くて、叩かれやすいからだろうに。
それに気づいたのは、トラウマで自己を構築しきった大人になったとき。
 
 

友達の「公務員になったら?」という一言は、割り切りも含めた前向きな助言だったのかもしれないけれど、
自分自身が過去の記憶に執着していたために、かえって不快感を覚えてしまった。
おそらく、その呪縛を自ら解きほぐさない限り公務員になろうとは思うことはないだろうし、
たぶん公務員試験までに渡航とも思わないで終わるだろう。


けれど、「自分に縛られている自分」に気づけただけでも良しとする…か?




›2007年12月14日

4・表現したい人のためのマンガ入門(しりあがり寿)

久しぶりの読書マラソンだ…卒業までに10冊行かなかったらどうしよう(汗)。

それはともかく、今回はここでもチラッと紹介した本を。


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手に取った理由:
ためしに買って読んだアックスで紹介されてた。

読後感:★★★★・(4)

軽く感想:
しりあがり寿は、やはり「デザイナー」なのだと思う…と言い切るのは乱暴ではあるのだが。
新書だからかもしれないけれど、「雑誌ごとのプレスコードが〜」とか、「漫画の消耗戦が〜」とか、割と「オトナ
の事情」にページを割いている。
それはやはり、現代社会において漫画は「売るもの」だからであろう。
「売るもの」は、「売れなきゃ生き残れないもの」だから、そのための対策を練る人が必要である。そういう意味での「デザイナー」なんだなと思った。

一方で、筆者が漫画を描くにいたるまでの思考と経験についてが丁寧に回想されている。
ある時代・ある国・ある地域に存在した「アーティスト」の、人生を凝縮したものとして「漫画」が生まれていくのだと感じた。
時代とともに変化する漫画、漫画とともに成長していく作者。
「作品」としての価値は、作者の人生とともにあるのだとも思った。

この本は「マンガ入門」とあるが、その言葉が意味するものは「漫画絵そのものの描き方入門」ではなく、「漫画を世に送り出す作家としての心構え入門」だと、私は考える。

漫画に関しては一杯話したいことがあるけど、長くなりそうなので続きは別エントリーで。



›2007年12月06日

就職課面接(そのいち考察編)

前の日記を踏まえて。

就活はマイペースで進めようと思ってたけど、なんだかんだ言って焦っていたことが面接の場でわかった。
mixiの就活コミュではすごい勢いで学生団体主催のイベントの宣伝が書き込まれていて、自分はそれを見て「こんなガツガツしたくないなー、もうちょっとゆったりめに進めたいなー」なんて考えていたけど、結局情報に振り回されていたのは自分だったというオチ。いや、その手のイベントには行ってないんですけどね。

情報に振り回されるといえば。
本屋さんに並んでいる就職関連の本や雑誌はみんな超・大手企業を基準に書かれていて、
そういったところを狙う人たちは早めの準備をしたほうがいいから、すぐに役立つのだろうけれども、
自分は「大手命!!」なんてことは考えていないので、記事は流して読んでいたけれど、
そこから醸し出される「急げや急げ」の雰囲気には呑まれていたなー、と反省。
実際、就職課の職員さんも「アレは一般大学の人向けだから、あまり参考にならないでしょー」って言ってましたし。

自分は自分なり、他人は他人なりの違った事情があるのだから、それに応じた行動をすればいいんだな、とは思ったけれど。
それが初めからわからないから、変に焦って転んで凹んだり。

でも、面接してみて少しわかってきた気がする。

とはいえ。

もしかしたら美術以外の学部の人から見たら、職員さんの言動はのんきに見えるのかな?とも思ってしまう。
11月の時点で「今は業種を絞らなくていい」とか、「エントリーシートは会社が決まらないと練習できないよ」か、「選考がちびくろの図工教室にかぶらない会社にしよう」とか(コレには個人的事情があるのですが)。
ファイン系だし、「とにかく一流企業を目指す」というよりかは「まずは職に就いて生活を安定させる」ということを重視しているのかもしれませんが。
ほかの学校、というか、ムサビ内でもほかの科に比べればずいぶん優しいかも。

ただ自分は何かと空騒ぎするタイプなので、面接することによってブレーキをかけてもらおうかと思ってますが(オイ)。

ちなみに、またこの後しばらくして就職課面接をやったのですが、その前に書きたいことがあるのでまた今度。




›2007年12月04日

就職課面接(そのいち)

予約時間を30分間違えて到着するところからすでに社会性に問題が垣間見える自分。
おっとりと「ファイン系の方が遅れがちなのはこちらもわかってますから」といわれたものの、コレは本当に学内限定の了解事項だなと反省。

というわけで、就職課の職員さんと面接してきました。
去年のニアさんの日記を参考にして(笑)。

面接に当たって事前に、
「家庭の事情もあるし、学業に対する意識の低下も否定できないが、それによって学校以外の世界を見てみたい、学校制度の中で生涯を終わらせたくないと思うようになった」
「興味のある業界があまりない。業界研究をする気が進まないし、そもそも「業界」という意識が苦手。それでいて超・安定志向なのでうっかりブラックな情報を仕入れて消去法でえらんでしまったり」
「少なくとも10年間働けそうな会社を見つけたい。そのころには出世コースを歩むか、現場主義に走るか、はたまた会社を辞めて表現分野に戻ってくるか選ぶことができそうだから。一生ひとつの会社に奉職することも美しい人生だと思うけれど、今の自分にはイメージできない」
という感じのことをクロッキー帳に書き出してみた。


上記の話と以前自分が提出した書類を基に、職員さんが最初勧めてくれたのは、
●カルチャーセンター職員
●海外の日本人学校
●美術教室 
教職課程を履修していること、ちびくろを1年のときから続けていることから提示してくれた。
普通教育系志望だと、学校制度に乗っかるか(学校教師)、受験システムに乗っかるか(塾の先生)が殆どで、
自分の場合はどちらも嫌だったので、この3種類が妥当だろうとのこと。
カルチャーセンターは前から気になっていたし、美術教室もちびOBで行った人がいるので話をいくらか聞いている。
日本人学校は美術教師の需要が高いし面白そうだけれども、帰国してからの仕事探しがつらい一面もあるらしい。
でも教育からちょっと離れたい気持ちがあるので、とりあえず端に置いておく。

次に職員さんが進めてくれたのは、食品メーカーの企画担当。
…なのだが、実はこれ、前述の書類に「希望業種・食品、希望業種・企画」と苦し紛れに書いたことが発端だったりする(汗)。
しかも書いた理由も、
食品→ブラック情報をあさっている途中で、ネット上ですら「善良」とされる食品企業を幾つか見つけたから
メーカー→なんだか安定していそうなイメージがあったから、それに乗っかって端っこで働きたい
企画→デザインができなくてもコレなら参加できそう…という浅はかな考えから
という…まあ…自分が悪かったです(滝汗)。

正直な話、書類の空欄を埋めるために書いたので話を流して聞こうとしていたけれど、
職員さん曰く、「パソコンとかの技能は後で教えられるから、とにかく手を動かせる人が求められている。その部分は才能によるものだからファイン系の人にもチャンスはある」とのこと。
進路の資料でファイン系の人がデザイン職にがんがん就いているのを知ったとき、自分はいまいち解することができなかったが、ここに来て納得。
ただ、実際には視デや基礎デのようなところで鍛えられた人たちと戦うわけだから楽観できないし、そもそも自分に「才能」があるか、それが磨かれているかが問題ではあるが。

という感じで食品系企業のファイルを眺めながら話をしていたのだが。
ここで自分が大事なことを忘れていたことが発覚。

確かこんな会話をしていたときである(と思うが、かなり怪しいです)。

職員「ここなんかどう?」
赤岩「うーん、ここだと一人暮らししなくちゃいけないですね。実家から通いたいですし」
職員「あらそうなの」
赤岩「両親がもう働いてないですし、今まで家のことを姉にまかせっきりだったのでそろそろ自分も手伝わなきゃと思って」
職員「…え、それだったらデザイナーは無理ですよ、残業続きで親の看病ができないですよ」

この期に及んでドラ息子っぷりを発揮する自分。
現実を見る振りして、実はドリームワールド状態だった自分。
…いまさらながら気づいてよかった(汗)。

そうでした。自分の就職には「家庭の事情」が大きなウェートを占めていました。
父からは戻ってくるよう言われているわけではないけれど、できることなら実家に帰って親と一緒に暮らしたい、と思っていたのですが、それを考えて仕事選びをしてませんでした。
親孝行をするはずだったのに。


その後色々ばたばたと話を進めて、

・親の看病をすることを考えると、デザイナーは残業が多いからNG。転勤もないほうがいいからカルチャーセンターも微妙。正社員になったほうがいいから美術教室も厳しい(大体が契約社員だから)。
・とりあえず今は業種を無理にしぼらないで、給料や保障、雇用条件を重視したほうがいい。
・ハローワークに行くといいかも。若者の就業を促進する政策が進んでいるから今は若年者向けの施設がある。六本木のセンター(若者向け)と、地元のハローワークを覗いてみたら?
・最終的には卒業することを一番に考えてね(=サボるなよ、ということか?)。
・履歴書は会社が決まらないと志望動機が書けないけど、学業と課外活動は今でもかけるからとりあえず1枚書いてみて。
・ちびくろは簡単に説明しきれないサークルだから、履歴書では前書きくらいにとどめて面接官の興味をひきつけて、あとは面接やポートフォリオで詳しく話せるようにしたほうがいいかも。
・図工教室で3月下旬〜4月上旬の間動けないから、そこに試験を持ってこない企業を選ぶように。
(なぜ就活を押してまで図教に参加するかは、そのうち話すと思います)

というようなアドバイスをくれた。
今やるべきことも気の早いこともひっくるめて話をしたところで、面接時間の30分が終了。


長くなっちゃったので、今回のまとめはまたあとで書きます。




›2007年11月29日

トラウマで良くも悪くも

高校の地歴公民の授業では。
理想と現実のギャップ、教育が子どもに対して「仕組む」面を持つこと、公正公平と言う言葉の難しさと胡散臭さを学んだ気がする。
これらが見えてから、政治経済のあらゆることを拒絶するようになった。
正直、社会科教育と言うものがつらくなったこともあったけど、それによってものを見る目を自分なりに創り上げられるようになった…と思う。
ただ、今まで6年以上世の中のことから耳をふさいでいたので、就活ではマイナスになる部分もあるとおもう。


【1年・世界史B】
自分が一番初めに赤点を取った科目(最終的には5教科の殆どで赤点を取ったけど)。
世界の時の流れをつかんでから現代社会の問題がなんとなくわかりやすくなったと思うけど、
覚えることが多すぎてドロップアウト。

【2年・政治経済】
夏休みの課題。自分は国民投票についての本を読んでレポートを書いた。
正直、投票制度のプラス面のことしかかけず、マイナス面をきちんとまとめられなくて悔しかったのに、
帰ってきたレポート用紙には「良い本を読みましたね」のコメントが。
もしかしたら先生は、マイナス面を挙げての注意喚起をしたかった自分の気持ちをがんばって汲んでくれたのかもしれないけれど。
そのときの自分は「世論誘導」という感じに捉えてしまい、凹んだ。

【2年・倫理】
この科目を、小中学校でいう「道徳教育」だと思い込んでいた自分も馬鹿だけれど。
脳内でいかにすばらしい思想や秩序が思い浮かんでも、いざ脳の外に出すとそれらを100%共有することはできず、結局はどんな体制も崩壊するような気がした。

【3年・日本史B】
高校3年間で激しく拒絶反応を起こした科目ベスト3。
(あと二つは現代文と…何だろう)
先生の歴史解釈が独特だなーと思っていたら、いわゆる左寄り(というか某組織系?)の見方だったらしい(と、右寄りなクラスメイトの指摘で気づいた)。
プチナショナリズム化が進んでた時代だったけれど、それとは対極の思想がにじみ出るのを聞くのも苦手だと思った。
先生の話を聞くのが、思想・心情とかとは別の次元でつらくて、
でも自分には「聞き流す」能力が備わってなくて(人の話を聞かなかったりするときはあるけれど)、
何回か仮病を使って、保健室に逃げたこともある。
教育の公正・公平性は大切だとは思うけれど、ひとりの先生が1年間の授業を抱え込む限り、
「中立」の2文字なんて、絵に描いた餅じゃねぇか――――――――――、と思った。
いまでは、「中立」とは達成するべきゴールではなく、絶えず目指すための指標だと思えるようになったけど。
それにしても話が激しすぎて(口が悪いわけでなく、攻撃するための論調という意味で)、
「なんとなく中立」思想に萌えていた(なんじゃそりゃ)自分には痛い喝だった。
先生自体は、(バツイチだけど)お父さんタイプで親しみやすい人だったけど〜。

【3年・地理A】
社会科の中で一番なじめた科目。NIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)をがんばっていた。
新聞記事をたくさん使った授業で楽しかった思い出がある反面、NIEの弱点も見えてきた。
例えば、時には記事も訂正すべき部分はあると思うけど、そのフォローがあまりなされてない気がしたりとか、
捏造記事は論外だけど、新聞社のスタッフの世論誘導で授業が振り回されそうで怖かったりとか。
ウィキペディアの記事では(11月29日の時点で)もっと指摘されてますね。こんな感じの疑問と不安を抱いていました)
でも前述4科目よりはずっと親しみやすかった。

と、就活用のクロッキー帳にずらずらと書き連ね、
自己分析のための自分史作りをしてみたら。


面接のときに、就職課の人に「コレはやりすぎでしょう」と苦笑されました。


確かに、書き上げてみたら「自分ってなんて僻んでて性悪なんだ」と思いましたし(汗)。

でも、それまでは学生の最低ノルマかつ受験における重要科目だと思っていた「社会」という科目が、
ここまで色々考え苦しむようなターニングポイントになっていたんだな、と気づけたのは良かったかもしれないです
ただ、気づいたところで、これからどうするかが問題ですが…社会問題から逃げがちだったから時事問題がわからない(汗)。
結局自己満足で終わりそうな予感。ヤバス。