›2010年03月30日

結局、ムサビコムを続けて来た訳は、

目立ちたがりな自分の自己満足だったような気がします。

だから無理して彫刻の話をしてもあまりぱっとしなかったり、
逆に独りで悶々としているネタの方が受けが良かったりしたのだと思います。

そんな自慰的な日記なので、それを読んでいる人のことを考えてなかったです、正直。
それでも続けさせてもらえたのがムサビコムの懐の広さに救われたというか。

さて、明日の最後の日記は何を書こうか。

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›2010年03月27日

作品を捨てるからこそ

四輪駆動さんがよく言ってましたが、美術大学はゴミをこれほどかと大量生産します。
作品も捨てます。特に彫刻学科は場所をとって仕方がないから。
小中学生の頃のように「学校で作って来た物は後生大事に取っておいて…」なんて言ってられません。
自分はそれに抵抗を覚えて作品が作れなくなったときもあります。
どうせ捨てるなら最初から作るな、と。

そのときは段ボールとホットボンドで小屋を造って、講評が終わったら解体してゴミ捨て場にもっていきました。
リサイクルになっているかどうかも怪しい上に、環境への免罪符にもなってないと思います。
完全に自己満足でした。

ただ逆に言えば、どうせ作品を捨てるなら、少しでもいい物を作り出しておくべきだ、とも言えます。
「作る」という行為の積み重ねから、また新しい表現が生まれるのであれば。
なので後輩には、とにかく手を動かしてほしいなと思ってます。
どうせ捨てるなら、いろいろ挑戦してほしいと思います。

自分は未だにそれが出来ないでいますが…。

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›2010年03月23日

どうもこんばんは。

今後の予定が通院×2しかない赤岩です。
正直、学生の見本にならない日々を過ごしております。
次の仕事もまだ見つかってません。というより、わざと見つけてません。
その前にやっておきたいことがあるので。

最近自宅とコンビニの往復しかしてない日もあったので、明日はイラスト系中心にギャラリー巡りをしたいと思います。寝坊しなければ。
しかしあいにくの雨…そのうえ冬の気温に逆戻りって。

Posted by akaiwa at 21:48 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2010年03月04日

回答と解答

前に指ピアノ論争(みちくささんの日記に詳しい)の時に、
 
「自分は何でもかんでも正しさを求めすぎる」
 
と自己分析したことがあるのですが、
もう少し深く突っ込んで考えてみたら自分の美大生活は、
一人一人違う「回答」と、
絶対的正しさである「解答」との違いに悩まされたものだったんだな、と思いました。
 
※美術に関して「回答」と「解答」という言葉を使うのは国語的に正しくないかもしれませんし、
この二つをきっちり分けることが出来ない気もしますが、
ここではニュアンスでとらえていただけるとありがたいです。

中学校までの自分は、公式を覚えて「解答」をはじき出すことに快楽を覚えていました。
個人的には答えが一つの方が楽だし、トップを目指して目立つことが容易だったからだと思います。
 
だけれども高校で「公式を覚える」ことにつまずいて(量的な意味で)、
さらに現代文で「行間を読む」ことにもつまずいて、
一気に最下位に落ちたあと、選んだ進路はなぜか美術方面。
人と違うことをやって目立ちたかったのだと思います。
(どれだけ目立ちたがりなんだ自分…)
 
受験段階までは良かったです。試験には「解答」とされるものがあったので、
どれだけ評価が低くても、それを飲み込むことが出来たから。
 
でも大学に入ったら、求められるのは一人一人の意見と表現、すなわち「回答」。
偏差値教育みたいに唯一の軸がある訳ではないからそう簡単に目立つことは出来ないし、
講評のときに先生の意見が相違してトークバトルが起こったりすることが、
自分にとってはうまく飲み込めないことでした。
 
「解答」がないから、何を信じていけばいいかわからない、という状況下に置かれていました。
 
 
それでもまだ自分が(彫刻ではないけれども)美術をやり続けよう、と思ったのは、
コミケの列整理うちわのお仕事がきっかけだったのだと思います。
まだまだ稚拙だけれども、自分の「回答」を認めてくれる人がいた、それがうれしかったからです。
(この件をまだ引きずるか、という気もしますが…)
 
見返りを求めてしまっているのはいかがな物かとも思うのですが、
自分を認識してくれる存在がいることが制作の原動力の一つになっています。
 
 
未だに自分は「やっぱ解答らしき物が欲しいなあ…」と思いがちで、
そのために手が動かなくなることも多いのですが、
これはもう自分の性格で仕方ないからいっぱい悩んで、
自分なりの「回答」を作り続けていきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
とはいえ、イラストレーションだと顧客という名の「解答」があったりするんですけどね。
そこの折り合いがまた難しそうです…。

Posted by akaiwa at 21:37 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2010年03月01日

あと一ヶ月

大学1年のときから書き始めたこのブログも、あと一ヶ月でおしまいになりました。

たった今汚い机から「ムサビ日記で書いておきたいこと」なるメモ書きを引っ張りだして読んでみましたが…恥ずかしい内容でした(笑)。
一応ぱっと思いついた4項目が書かれているのですが、一つは結構書きづらいこと(没の可能性あり)、
二つはもうちょっと自分の脳内で練り直してから書きたいことなので、
今回は「今の時点でも書いていいかな…」ということを書いてみます。

長いです。
長細いです。
なので折り畳みました↓

実は自分、既に両親がいません。
母親を3年の1月にALS(筋萎縮性側索硬化症)で、
父親を4年の9月に肝硬変で亡くしました(元々肝炎経由の肝臓がんでした)。
 
 
と書くと苦労しているイメージを持たれるかもしれませんが、そこはヘタレな末っ子長男の赤岩さん。
父親が入院しているときもちびくろ三昧で「もっと親に顔を見せろ!!」と怒られたこともあったし、
葬式関連は伯父がいなければ何にも出来なかったし、
遺産相続や母の介護はほとんど姉が仕切っていたし(レンタカーまで借りてた)、
自分は大学生(しかも一人暮らし)ということで大目に見られていて、
あまり家のことを考えない「ドラ息子」でした。
 
 
ですが、両親を早くに亡くした、いやそれ以前に病気になったことは自分の人生に少なからず影響していると思います。
そりゃ、大学1年のGWの楽しいときに「実家に帰ってこい」とうるさいから帰省したら、
「肝臓がんになった。仕事は休職した。生体肝移植するかも」って言われたら、驚くしかないでしょう。
(実際、伯母の肝臓を移植してもらいました)
あと脳梗塞の後遺症だと思って一生懸命リハビリ運動をしていた母が、
実は治療法のない難病にかかっていて、日に日に弱っていく姿を見るのはつらかったです。
(リハビリのための健康食品やグッズとかの買い物を頼まれてましたし)
 
 
二人とも自分の病気のことで精一杯だったであろうに、自分を大学(しかも美大)に行かせてくれたことは、
本当に感謝しなければなと思いました…今改めて。
なのに何で今、自分はニート一歩手前なんだろう…(汗)。
 
 
親孝行したいときに親はいない、とはよく言いますが、
その言葉を実感する前に両親を亡くしてしまった今は、
とりあえず人並みに働くことが、親孝行のひとつになるのかなと思います。
ひとまず、4月から仕事、というか生活どうしよう…。
 
 
 
 
それと両親の死をきっかけに、自分が無意識に「死ぬこと」について意識するようになったかもしれません。
mixiでマイミクが人を不安にさせる言葉を残して退会したとき、自殺したんじゃないかと思って一人勝手にパニックになったりとか(そのときは共通の友人に諭された)。
 
では自分がいつ死んでもいいように生きる、そのためには何をすればいいか。
その答えの一つに「イラストレーターを目指す」があるのだと思います。
人間死ぬとき、好きなことを多くやってからの方がいいでしょうし。
(ただ、最近本当に自分は美術に向いているのか疑問をもってしまったり…)
 
あとは身辺整理。姉が母の入居してた介護施設の片付けで苦労したこともありましたし、
自分が死んだあとの物の9割はゴミになるのだと考えたら、自然と家の中の物を減らせました。
とはいえオタク的収集癖があるのでシンプルライフにはほど遠いですが。
同人誌の処分は姉に任せることに勝手にしています(笑)。
 
 
 
ともかく、今を一生懸命生きることが親孝行かな、と思って生きている次第です。
最近たるんで甘えていますが…(汗)。
 
 
 
「失って、始めて気づくこと も あるけれど元には戻れない」
(一青窈「大家(ダージャー)」より)

Posted by akaiwa at 19:58 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2010年02月18日

あああああああ

沖縄辺りの離島に逃げたーーーーーい!!

いや、仕事は順調ですよ?
もう本当に、班のみんなに恵まれてますし。
でも休みが欲しい…明日は22時解散予定…。


俺、教務補助の仕事が終わったら、一人旅にでるんだ…(死亡フラグ)。

Posted by akaiwa at 21:31 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2010年02月09日

この1年の成果

あるコンペに出すためにポートフォリオを作ってみました。
とある展示会形式のコンペです。デザイン系の人ならだいたい知っているであろう、あそこです。
 
 
改めて自分の制作活動を振り返ってみると、
作品の絶対量が少なくて人の判断を仰げるかどうか、という感じです。
作品自体のレベルもアレですが、判断材料がないから悪くしか言えない、そんな現状です。
 
 
有言不実行という自分の目に見えない部分が、
薄っぺらいポートフォリオという目に見えるかたちで表れた訳です。
 
 
言い訳はいくらでも出来ます。
彫刻からイラストレーションに転向したのが4年の夏と遅かったし、
身内の不幸があって卒業制作どころじゃなくなったときもあったし、
卒業したあとも絵のテイストが不安定のまま描き続けていたのでポートフォリオにはのせなかったし、
今も絵のテイストに悩んでいているし。
などなど。
 
 
でも、人に審査してもらえるのは今ここにいる自分しかないんです。
だから言い訳したって意味がないんです。
「今」しかないから。
 
 
教務補助員という雇用形態で、非常勤勤務で自由時間が比較的多いという利点を、
自分は全くもって有効活用できませんでしたし、
今の自分はある種の「生きる覚悟」が足りないから、
ぐだぐだな結果しか出せてないのだと思います。
 
 
今更こんなこと言っても遅いのはわかってますが、
これを見てる学生の何かの足しになればと思って書いてみました。

そんな自分ですが、駄目元でコンペに当たって砕けてみます。
 
一身上の都合で教務補助員を3月で辞めるのですが、
もし当たって砕けてポートフォリオの審査が通過したら、とりあえず4月は展示会に出す絵を描いて暮らします。
砕けても駄目だったらちょっと休むかもしれませんが、しばらくしたらまた職を探しつつ絵を描き始めると思います。
 
 
そのあとは…まだ考えてません。「今」を生きるので精一杯です。
でも今の自分にはそれが一番大事かもしれないです。

Posted by akaiwa at 20:41 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2009年10月23日

お酒飲みながら更新

酔った勢いで早寝して、明日早起きしようとか思っていますが、果たしてそれができるのかどうか。

今月はとあるアクシデント(ただし自分が原因)のために、時間的にも精神的にも作品制作に打ち込めなかった。
その分、来月はいつもの2倍がんばっていかなくちゃ。

Posted by akaiwa at 19:56 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2009年07月04日

気がつけば

仕事以外でパソコンを開かなくなって1週間。
 
その分ニンテンドーDSを握りしめていたので、相変わらず電脳世界に甘やかされていた訳ですが。
 
とりあえず、5月病が長かったことにしておこう。

美大という場所柄、学生も教職員も表現する自由を満喫すべきだとは思うのですが、
ときには「表立って表現しないこと」という、謙虚な自己表現にも目を向けるべきだと最近づくづく思います。
特に、自分みたく空気を読む能力が低い人間は(汗)。
 
 
この世の中、何でもかんでも目立ったものがちだとは思いたくない。
だからこそ、声を上げるときにはより効果的になるよう考えていきたい。

Posted by akaiwa at 21:06 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2009年06月09日

たまには手羽先らしいことも

手羽さんも竹林さんも取り上げていなかったので、自分がレビューを書いてみます。
(そういえば一時期「読書マラソン」をやってたっけ…すぐにばてたけど)
 
 
 

京都ゲイタン物語
京都ゲイタン物語大原 由軌子

文藝春秋 2009-01
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おすすめ平均 star
star青春時代・・・・
star写真の課題のところで爆笑!
starさまざまな感触や、においや、時代を思い出させてくれる本でした。

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個人的な感想ですが、外部の人が持っていそうなイメージに寄り添いつつ美術大学(短期大学ですが)の現実を書いているな、と思いました。
 
著者は当時通っていた短大の学生を、
 
1−イケイケ(バブル時代だけにボディコンを着てディスコに行くような人たち)
2−アーティスト志向(アングラ・サブカルを語るタイプ)
3−吹きだまり(上記以外の垢抜けない人たち。著者はここに所属)
 
の3つに分類してストーリーを描いているのですが、それ(特に3番である自分を描くこと)によって、
 
「美大生、みんながみんな奇抜じゃない。でもみんな自分なりにがんばっている」
 
ということを言いたかったのではないのかな、と勝手に解釈しております。
(とはいえ、1番2番がどうしてもストーリーでは目立ってしまうのですけれども)
 
 
そんな垢抜けないと自覚していた著者が、諸事情でいかざるを得なくなった合コンで、
日本を動かす大企業、の社員に言われた嫌味な一言…まあ、よく言われる言葉かもしれませんが。

ここではあえて書きませんが、そのような(当時は)嫌な思い出も描いたことに何かメッセージが隠されているような気がします。
 
 
 
あくまでも思い出漫画、しかも不況のさなかを生きてきた
「今時の若者」は共感しづらいバブルフィーバーも描かれているので、
アラサー、アラフォーに購買層を絞って本を作ったのかもしれませんが、
美術に興味のある中高生が読んでも面白いと思います。普通の漫画よりちょっと高いけど。
 
 
 
 
 
…この際、ムサビ日記もあわせて買ってくれたらうれしいなー(棒
 
 

ちなみに著者の大原由軌子さんと言えば、こちらの方が有名でしょうか。
 

大原さんちのダンナさん―このごろ少し神経症
大原さんちのダンナさん―このごろ少し神経症大原 由軌子

文芸春秋 2006-01
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おすすめ平均 star
star自然な病気との共生。
star少し神経症
star私も...

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自分の記憶が正しければ、この旦那さんはムサビで特別講義をしてくださったと思うのですが…情報求む。

Posted by akaiwa at 19:12 | Comments [1] | Trackbacks [1]

›2009年05月31日

梅雨が明けたら

寝台列車に乗って、北陸に行こう。
 
 
と思ったのは、
 
富山の南砺市に「井波彫刻」という、立派な浮き彫り木彫があるから。
 
寝ぼけ眼で見た「おはよう日本」で、金沢市の定住対策として町家の活用例が取り上げられていたから。
 
福井のえちぜん鉄道の、ローカル線ガールを見てみたいから。
 
などなど。
 
 
 
 
 
それまではがんばって仕事してお金貯めて、がんばって制作して感性を磨いておこう。

あ、夏休みはどうしよう。
仕事がない訳ではないし、とくに後半は怒濤の2週間になるけれど、
前半は何かバイトをしておかないと、生活にも制作にも影響が…。

Posted by akaiwa at 15:15 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2009年04月17日

今のところ、助手を狙ってはいませんけど

Q:教務補助から助手になるのって難しいのかね? (横浜市・ジャン・ポール☆音量子さん)
 
 
A:研究室に入りたての自分はあまり詳しいことがわからないのですが、どうやら別問題のようです。

 
 
(なので以下のことは赤岩の推測が混じってますし、研究室によって事情が変わってくると思います。自信がないので誰か補足をお願いします…) 
 
 
 
うちの研究室には院修了→すぐに教務補助員2年→そのまま助手に就任、というストレートコースを歩んでいる方がおりますが、
別の助手さんは一度専門学校の先生など別の仕事をついたあと、教授に呼ばれて研究室に入ってます。
その方は確か教務補助を経験してなかったはず…(違ってたらごめんなさい)。
ですが若い頃から作家としてバリバリに活躍をされているので、そこを見込んでの採用なのだとおもいます。
 
大学としては、助手になるためには教務補助員を経験していなければいけない、という決まりは特にないようです。
要は研究室にとって有益な人物かどうか、というところが決め手なのだと思います。
 
 
 
(だとしたら、自分は人一倍頑張らねば…汗)
 
 
 
ただ研究室の人事は各々で推薦してから学校側から認めてもらうので、何かしらの慣例がある場合はこの限りではないかもしれないです。
一つの学科で幅広い分野を研究しているところが多いので、各研究領域ごとに一人置いて室内のバランスを取っていることも多いようです。
 

ムサビの助手出身の有名人といえば、太田垣晴子さんでしょうか。この方は学部卒業後すぐに助手に就任しています。
Wikipediaで調べたところ脚注の部分に、
 
 

ただし、普通の大学の「助手」とは意味あいが違い、ムサ美の「助手」は、「仕事は事務。勤務は4年限り」だという

 
 
という記述がありました(2009年4月18日現在)。
…実際は事務だけじゃすまないんですけどね。
 
 
赤岩は世間知らずなので(汗)普通の大学の助手のことがわからないのですが、
Wikiにこのような注釈が書かれるということは、ムサビは世間一般に比べて
「研究室に入る=学閥的出世コース」という色合いが薄いって事なのでしょうか。
(これも研究室によるかもしれないですが…)
 
 
まあ、大学を出ても制作を続けたかったら自分でアトリエをこしらえなければいけないですし、
極論を言えば、学校に居なければ研究(創作活動による)が出来ない、というわけでもないですから。
(居たら居たでのメリットはありますが、いずれは学校から実を離すことを覚悟してます)
 
 
 
 
 
なんだかいつも以上に知ったかぶりになった気がしてならないです凹
学内事情はこれから勉強するとして、自分の一般常識のなさを何とかせねばorz
いや、その前に教務補助の仕事を速く覚えるのが先か…。

Posted by akaiwa at 23:53 | Comments [2] | Trackbacks [0]

›2009年03月14日

【質問責め・6】就活終了のお知らせ

Q・好きな女性のタイプが知りたいです。
 
A・末っ子長男だからか、アネゴ肌のある人には弱いです(弟キャラ的な意味で)。
 
Q・好きな男性のタイプも知りたいです。変な意味ではなく。
 
A・末っ子長男だからか、ミドルエイジにあこがれます(甘ったれ的な意味で)。
 
 
おはようございます。ヤスタカの質問には↑のように応えていくことにしました。
何日くらい持つかは分かりませんが。
 
 
さて、音量子さんからこんなコメントをいただきました。
 
 

質問だ。なぜ、教務補助になったのですか?

 
 
「働きながら制作したかったから」、以上です。
…では明らかに説明不足なので(汗)もう少し深く掘り下げてお答えするとしたら。
 
就職するか院に進むかを決めたのが3年の秋頃なのですが、こんなえらそうなことを言っておいてもやはり心のどこかにものづくりに対する未練がありました。
また、このまま院に進んでも悪い意味で学生気分を引きずりそうだと感じていたので、割と消去法である面も否めませんでした。
 
人生での次のステップのに進むための就活だったはずが、未練を振り切るために雇用産業に洗脳されてみようという本末転倒の行為をしていました。今思い返すと。
あとは無駄な義務感をいだいてましたね。世間一般という仮想人格が求める「大学生らしさ」というものに。
仮想人格だから、結局は自分のご都合主義なのですが。
 
特に「仕事を通じてどのように会社に貢献していきたいか」なんていわれた日には、
制限時間の2倍を使っても解答を書き切ることができないほど自分の軸がぶれてしまって、
はったりをかますことすらできない自分の不器用さにへこんだり。
(単純に作文が下手なだけということも大きいと思いますが)
 
そんな中、某研究室で教務補助の後継者を募集しているという話を小耳に挟んだので、就活のインターバルがてらに話を聴きに行きました。
「働きながら制作」ということに関して言えば、ものづくりにかかわる人のそばに入れるのでいい環境だとは思ったのですが、
2年で任期終了、基本週3回勤務で月給○万○千円(←ちょっとWEB公開できない額)、ボーナスは年間で3か月分というのが、
ついさっきまでリクナビの正社員求人(東京なら月給18万は堅い)にかじりついていた人間にとってはギャップが大きすぎたので、いまいち乗り気になれず、
「とりあえず夏休みまでは普通の就活を進めて、それから検討してみます」ということに。
 
 
で、その後コミケ入場待機列のうちわの仕事をしたときに、
やっとこさ自分にとっての「仕事を通じた貢献」のヒントが見つかった気がして、
やっぱり「作る」仕事をして行こうと思い直すことができました。
 
 
しかし、すごろくで言えば一気に振り出しに戻ったような状況でもあったため何からはじめればいいか分からず、
実力の面でこのままストレートにデザイン職などにつくことも考えられなかったため、
フリーター的なモラトリアムかもしれないけれど、まずはまとまった制作時間が欲しくなったので、
先の研究室の教務補助募集に応募しました。
 
結果そこは不採用になってしまったのですが、その次に受けた別の研究室で拾っていただけまして、
めでたく4月から教務補助員として働くことになった次第です。
(実際は、2月の入試業務から働いているようなものなのですが)
 
 
…と、一通り書いたところで「で、結局君はフリーターなんだね」といわれれば否定はできないのですが、
もともと高校あたりから「すばらしい社会人」の枠から外れているのに無理にそうなろうとしてジレンマを抱いていたので、
とりあえずはこんなもんでいいんじゃないかな?と開き直ることにします。
 
 
と言うわけで、赤岩の就活日記はコレにていったん終了です。
偉そうなことを書いておいて、あまり参考にならない日記だったなあ…(恥)。

ついでに質問だ、コメントを書く時になぜメールアドレスを登録せねばならぬのだ。
  えーと、その辺の設定はいじってないのでなんとも(オイ)。 手羽さんに聞けば一発だろうけど、おそらくはスパム除けなのかと。  


›2009年03月10日

質問責め・締め切り


【質問責めしてみる?】

 
↑締め切らせていただきました。
今回の企画に参加してくださった方、本当に有難うございました。
(ぱちぱちだけの方にも感謝してます)

せっかくなので、WEB拍手のフォーマットはしばらく残しておきます。4月くらいには片付けてしまうかもしれませんが。
だれか有効活用してください…他人まかせですが。

あとヤスタカと音量子さんからの質問への解答は、土日あたりまでお待ちくださいませ。
うっかり旅行の出発日を締め切りに設定してしまったので…。


›2009年03月06日

【質問責めその5】ヤスタカモチツケ(オマエモナ)


【質問責めしてみる?】

 
 
お待たせしました。例の「ロングプレイ希望」(だからその言い方止めろ)のヤスタカくんです。
どんだけロングかというと…。
 
 

好きな女性のタイプが知りたいです。好きな男性のタイプも知りたいです。変な意味ではなく。念能力を使えるとしたらいったら何系統ですか?やっぱり強化系に憧れるタイプですか?大学生活で自分が一番成長したといえるポイントはどこですか?この間、学校で会った時に、はじめて赤岩さんと会った時と比べ物にならないくらい存在感を感じました。気のせいですか?極寒の中裸でいたような心地がしたんですが念能力を習得したんですか?初恋はいつですか?質問責めプレイってもっとなんかギリギリの事聞くべきですか?最初、彫刻科のイメージと赤岩さんのイメージが全く合わなかったのですが、最近異様にマッチして思えるのはなぜなのでしょうか?なれなのでしょうか?それとも手羽さんという存在を認知したからなのでしょうか?犬と猫ならどっち派ですか??電車は好きですか?山手線でぐるぐるした経験とかお持ちですか?好きな路線はなんですか?電車にまつわるエピソードを何か一つお教えいただけませんか?スタンドを使えるようになるとしたらどんな能力が欲しいですか?因におきなまろさんとりんらんさんではどちらがタイプですか?ぞうさんときりんさんだったらどちらが好きですか?もちろんキリンさんですよね?キリンのベロが魔物のようなところがたまんないんですよね?手羽さんとヤスタカのどちらかと一緒に住まなければならないとしたらどちらと一緒に住みますか?そこはやっぱりインテリイケメンminxさんとか選択肢にいれるべきでしたか?プリンとヨーグルトならどっち派ですか??プリティとビューティならどっち派ですか?これちゃんと質問責めになってますか?たりませんか?それともたまりませんか?そろそろうざいですか?子供は最大何人欲しいですか?最低何人欲しいですか?好きなムサビ内のスポットはどこですか?好きなムサビ内のポストはですか?どこかの室長とかですか?
                           

~~旦_(。-_-。)<とりあえず、コレでも飲んで落ち着こうか。
おじさん、明日から少しずつ答えてあげるからね。
 
  


›2009年03月03日

【質問責めその4】彫刻学科在籍の自分・たぶん後編


【質問責めしてみる?】

 
昨日に続いて、「彫刻学科の自分」がテーマです。
 
 
まずは、pockさんからの投稿を。
 
 

こんにちは。赤岩さんは、制作するとき、どんなこと考えていますか?
最近、制作が楽しいこと、ではなくなってしまっているので、質問させてもらいました。

 
 
どんなことを考えて作っているか…というのはまだ探している途中ですが、自分の場合はそのヒントとしてコミケの最後尾うちわがあるので、
作品によって他の人に良い影響を与えられたらいいな、というのが原動力になっていると思います。
だから「お題」の中で自分らしさをどこまで出せるかというのが製作過程での楽しみだったりします。
ちょっとイラストレーション寄りの答えになってしまいましたので、バリバリ彫刻を作っている人への助言にならないかもしれないですが。
 
その前までは、作ることが自分のなかで変な義務になってしまって、楽しめなくなったことがあります。今も少し引きずってますが。
特に自分の場合は「先生(教授)に何か言われる」ということに対して必要以上にビビっていたので、
先生に褒められなきゃと勘違いしてしまって余計に手を動かせなくなってしまいました。
 
ただ、特に大学の教授は良くも悪くも好き放題言うので、それだったら好きなものを作って好き放題言ってもらって、
そこから何か次の制作に繋がるヒントになるものを拾い集めたらいいんじゃないかな。
…って卒制1個前の課題でようやく理解したスローテンポな私ですが(汗)。
 
 
 
このテーマの最後として、とくめいさんからの質問を。
 
 
赤岩さんにとって彫刻とか美術って何ですか。悩んでます

 
 
自分も悩んでます…。
それこそ竹林さんの「探し物はなんですか♪見つけにくいものですか♪」ではないですけど、
いつ見つかるか分からないから一生続けていくのだと思うことにしています。
 
とりあえず、現段階での「途中解答」は↑のpockさんへの返答のような感じですかね。
彫刻に関しては…ごめんなさい、パスさせてください(汗)。
 
 

るぱんさんへ拍手返しを。
本当に、しかもこんな早くに学校名を教えていただけるとは思ってませんでした(笑)。
うん、どの学校に言っても悩むモンは悩むよね。
もしまたつらくなったら、節度のある範囲でならコメント欄を使っていいですよー。
もし全体公開は…というのであればあとでメアドを貼り付けておきますね。
(それと、重複投稿はされてませんでしたのでご安心を)
 
 

›2009年03月02日

【質問責めその3】彫刻学科在籍の自分・前編?

こんばんは。
そろそろ暖かくなるからエスニックファッションに挑戦しようかな〜、とおもったら。
明日は雪ですか。そうですか。三寒四温ってやつですか。
何かと物事のタイミングをはずしてばかりです。
 
 
 
話は変わって、

【質問責めしてみる?】

の続きをば。
今回は「彫刻学科の自分」がテーマです。
 
 
 
まずはぽこさんから。
 
 

こんにちは。赤岩さんは、なぜ彫刻学科を選びましたか?気になります。

 
 
大体このときの日記にまとめてあるのですが、もうちょっと補足しますね。
それにしても、精神のどん底期に書いたもんだから何もかもがネガティブ思考な文章だ(汗)。

上記の日記では「平面より立体のほうが面白そう」と書きましたが、
もうちょっと厳密に言うと、公募展とかでも平面作品だとパッと見でスルーされそうなところでも、
立体作品ならとりあえずは360度ぐるーっと回ってみなきゃいけないから、
その分『見る時間』は多くなるので人をひきつけられるだろう、とか考えてました。
 
本当は、『見る時間』ではなく『観る時間』を考えなければいけないんですけどね。
単なる1分1秒という流れではなく、その作品と関わった時間のなかで何ができて何が生まれるのか、などなどを。
本当に、当時の自分は考えなしでした。
 
 
 
次に、るぱんさんからの投稿です。文章がちょっと長いので少し切りながらお答えしますね。
 
 

はじめまして赤岩さん。卒制おつかれさまです!某美大彫刻科のものです。

 
 
お、同分野の方からの投稿嬉しいです。自分はもう立体作ってないけど(汗)。
よろしければ、どこの学校かWEB拍手でコソーリ教えていただければちょっと嬉しいです。掲載はしませんので。
 
 
早速質問です。大学生活で得たもの、こうしておけばよかったと思うことはありますか?

 
 
大学生活で得たものは…今はまだ自分のなかでもぐちゃぐちゃしてまとめきれないでいます。
年を取ってから具体的な言葉で表現できるようになるのかな。
こうしておけばよかったというのは、やっぱり作品製作と学外の人との交流でしょうか。割と小平に引きこもっていたので。
そんな未練が強かったから「フツーの就活」を捨てて教務補助になって、
フリーターみたいな生活をしながらイラストレーターを目指してみよう、と思うようになったのだと思います。
 
 
私は最近、不安です。サークルもやってないし、引きこもりがちだし!何がしたいのか見失いました。
でも、来年度は、なんとか、、したいです。。何かアドバイスもらえたら嬉しいです。

 
 
ええと、サークルやっているからってその人の人生が充実しているかどうかは別だとおもいます。
自分は逆に彫刻にのめり込めなかったので、工房で一生懸命汗水流して制作している人を見ると、
やっぱり自分が「悪い子」に思えてきてつらくなって、また工房にいけなくなって…という悪循環になったり。
卒制くらいになってようやく「立体じゃなくていいじゃん、自分の好きなもん作れば」と吹っ切れるようになれましたが、
いまどきのネットスラングで言う、「リア充」という概念にとらわれすぎていたのかもしれなかったです。
 
その分、本当にたまたまなのですが、「ちびくろ」というとんでもないサークル(褒め言葉)に出会えたから良かったけど、
それが100%正解かどうかは分からないし、点数化するものではない気がします。
 
あとは、いい意味で無理しないこと、ちょっと足を踏み出す地点を見つけることかな…自分は偉そうなことはいえないけど。
彫刻学科ということもあってか、大作を作らなきゃいけないという変な義務感にとらわれていた時期がありましたが、
今の自分にはそれが無理だと分かったので、まずは小さい作品をたくさん作ってます。
最初から100号キャンバスを1枚描き切るのが無理なら、0号を何十枚と描いてみてからいずれは挑戦してみよう、って感じで。

…あくまでも「自分の場合は」ですけどね。
人によっては思い切ってどでかい彫刻を作ってみてから、その中から何かを見つけ出すほうがいいのかもしれません。
 
 
 
3番目ははじめましてさんから。コレは自分も悩みました。
 
 

美大に入って人間関係で悩んだことはありますか。 正直うまくいっている状態がどんなものかわかりません。

 
 
自分の場合サークルにのめりこみすぎた分アトリエにいる時間が少なかったので、彫刻学科の人と打ち解けるまで時間がかかりました。
友達がいなかったわけではないけれど、なんとなくコミュニティには入れていない感じがしたというか…今も自信がないけど。
 
ただ、友達が少ないからってその人が「悪い人」というわけではないし、逆に交友関係を広げすぎて収拾をつけられなかったら意味がないし。
要は、自分の身をどのフィールドに置くかを今一度見直すといいんじゃないかな、ということです。
 
 
もしかしたら、学校制度に縛り付けないほうがその人の幸せに繋がるかもしれないし…学校ブログにあるまじき発言かも知れないですが。
 
 
 
…以上アドバイス的なコメントをしてみましたが、あくまでも赤岩の一意見なので参考にならないかもしれないです。
私的な身分でブログを書いているということでご了承いただければと思います。
 
 
 

思ったより作品製作がらみの質問があったので、後編に続きます。
あと自分はいま彫刻から離れている状態なので、バリバリ制作に励んでいる同級生からもコメントがもらえれば、それで番外編的な日記も書こうかと思ってます。
 
 
 
 

›2009年03月01日

【質問責めその2】コミケの不審物チェック時ソングです(マジ)


【質問責めしてみる?】

2回目はこれまた身内、竹林さんです。
(あ、回答順は投稿された順と一致させませんのであしからず)
 
 
 
 

Q1:探し物はなんですか?

 
 
自分が本当に描きたい絵(または、作りたい作品)です。
 
 
Q2:見つけにくいものですか?

 
 
ふとした弾みでヒントが見つかったり。
卒制もそんな感じでした。
 
 

Q3:カバンの中を机の中を探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか?

 
 
耐え忍びながら、気楽で気長に探し回ることにします。
 
 
Q4:それより僕と踊りませんか?

 
 
 
では、1枚ずつ脱いでいってください。

以上、デッサンモチーフで出たりんごを刻んで、
ホットケーキに混ぜて焼いてみたら微妙な結果になった赤岩がお送りしました。
 
 
昨日悪酔いして気力を奪われたので、今日はこれで失礼します…。
 
 
 
 


›2009年02月28日

【質問責めその1】そんなもの存在しない?


【質問責めしてみる?】

↑今日までに7名の方から「責めていただきました」。ご協力有難うございました。
 
…すぐに回答が終わりそうな気がするので、締め切りを延長してもいいですか?(汗)
まあ、とあるお方がロングプレイ(だからその言い方止めろ)をご所望のようなので、10日ははもつかと思われますが。
 
というわけで、締め切りを3月10日までに伸ばしてみます。
コレで1件も増えなかったらどうしよう…。
 
 
 
 
 
 
さて、記念すべき「責め」第一号は…ねこあじさんでした。
予想の範疇でしたが、コレはコレで面白いのでありです。
 
 
で、その内容とは…

耳垢は乾き系?湿り系?すごいくだらない質問でごめんなさい。
        むしろこの死球的くだらなささ(なんじゃそりゃ)がツボに入りました。なんかねこあじさんらしさが滲み出ていていいなあ、と。    

お答えします。自分の耳垢は「乾き系」です。綿棒だとちょっととりづらいあれです。


…しょっぱなから(忘れがちだけど)排泄物の話かよ、というのは無しです(笑)。

耳垢の乾き・湿りというと自分の場合、高校の生物の教科書を思い出します。どうやら遺伝によるところが大きいらしいのです。
というわけで「耳垢 遺伝」で検索してみたら、1番目に出てきたウィキペディア(09年2月28日時点)に面白い記述が。
 
 

2006年1月29日、長崎大学の研究グループの論文発表で、耳垢が湿性か乾性かを決定するのはDNAの塩基配列の1か所の違いであることが判明[3]。また同論文では、「乾性耳垢」というものは本来存在せず、この場合は先天的に耳垢が生成されない体質であり、彼らが耳垢だと思っているものは耳壁の表皮や外部の埃などであることが述べられている。

 
 
まだ仮説の段階なのかもしれないけど、自分が躍起になってほじくってたのは、単なるゴミだったのね…。
 
 
 
くだらない質問から図らずも教養が広がったところでもう一回。

【質問責めしてみる?】

 
 
 


›2009年02月27日

私の朝のお供

はれときどきぶた はれぶたがふってきたのまき (小学館のテレビ絵本シリーズ)
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TOKYO MXテレビで朝っぱらからやってたコレに、自分は救われました。
(アニメビデオの画像がなかったので、テレビ絵本を変わりにペタリ)

昔(小学生だった頃)見たときには「なんて非現実的なアニメなんだ!!」と思ったのですが、
今見てもセルフパロディのオンパレードで相当なでたらめっぷりで(褒め言葉です)、無駄に理性ぶるのがばかばかしくなるくらい。

見ていてハイになれるアニメのお陰で、入試業務のための早起きが苦にならずに済みました。
ホント、アニメをやってない土日は朝起きて気分が沈むくらい…(極端すぎる)。

なのでお礼にアマゾンペタリ(絵本だけど。もう在庫ないけど)。

ちなみにこのアニメは、

はれときどきぶた (あたらしい創作童話 13) (あたらしい創作童話 13)
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star何度も読みたくなる不思議な作品
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star子どもの心を汲んでいます。

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↑この児童文学の名作が「原作」なのですが…、全くストーリーに沿ってません。9割がた無視してます(笑)
もしかして、アニメに原作があるって知らずに見ている人が少なからずいるんじゃないかと思うくらい。

これほどまで「本体」を壊したのち再構築して成功したのって、はれぶたとショムニくらいしか知らないのですが。
(というか、アニメはあまり見ない人なのですが)
ある意味で現代美術の工程を踏んでます(違うだろそれは)。

あとは中途半端にアレンジしたらみんな失敗して、ひどいときには「原作レ●プ」呼ばわりされたり。
(ええ、俺の「嫁」も2人ほど被害にあいまして…アレはひどかった)

まあアニメ(ドラマもかな)スタッフにとって見れば、「原作」と「原作ファン」という大前提がどうしても重圧になってやりづらい部分はあると思うので、あまり公には厳しいことは言わないようにしますが。
 
 
 
 


【質問責めしてみる?】

↑もっと…もっと!(ハアハア)




›2009年02月08日

ひと段落、そしてこれから

卒業制作も終わって(何とか卒業できそうです)、
お家のお引越しも終わって(廃棄物処理の費用が恐ろしかった…)、
きょうもちびくろの遠足に行ってきて(風がひどかった)、

さて一息と思ったものの、これから又バイトで忙しくなるので結局は小休憩という今日この頃。
しっかりと休めるのは3月になるかなあ。

その間はブログのネタも切れることなので、
みちくささんや四輪駆動さんがやった「アレ」をパクらせて貰って記事を書こうかな。
…とか思ってたらりんらんさんが似たようなことを始めたし(汗)。

パクリ企画(すでに開き直り)に関しては明日あたりに詳細を発表しますね。

 

…リアルでは小心者の癖に、オンラインではパワハラ大学生でごめんなさい。




›2009年01月20日

鬱日記ついでに

自分が基本グダグダなのは生まれつきだと思うけど、

洗脳されやすい体質というか思考回路を持っているから、

「だまされてのめりこむ」ことを完全回避しようとして、

「一つのことに打ち込む」権利を放棄したこともあると思う。
 
 
なんか、ゴッキーに対してマシンガンを撃っているみたいでばかばかしいや。

この日記も、政策…もあるけど(変換で先にコレが出た)、
制作から逃げている言い訳にしかならないでしょう。

なに人に駄文を晒してるんでしょう。
大しておっきな悩みじゃない、といわれるのがオチなのに。




›2008年12月25日

くりすまう?

そんなの「負けるが勝ち組」ってことで逃亡しましたよ。
ロマンスの神様以前に「ロ」の字も経験したことないから、ときめきも寂しさも覚えませんでしたよ。

…ちっちゃいチキンとケーキは買ったけどさ。
 
 
 
 
 
 
最近更新頻度が激落ちの赤岩です。たぶん今回が08年最後の更新になるかと。
明日から実家に帰ります。帰って卒業制作を進めます。
間で同窓会と冬のアリアケブートキャンプ(笑)に参加しますけどね。それでいいのか卒業年次生。
 
 
というわけで毎年恒例?手羽さんの親心押し付けアンケートに回答して逃亡。
(別名・1年生に10の質問2008ともいう…ってサファリからだとリンク貼れない!!)

(1)あっという間の1年間でしたか?それとも長い1年間でしたか?

前期は実習があったので早く感じましたが、後期は私情によるストレスで無駄に長く感じました。
 
 
 
(2)「大学に入ったらアレをしたい。これもやりたい」がいくつできましたか?

無駄な高望みの半分くらいをバッサリ切り捨てて、今やれることをちょっとずつ進めてました。
それでも高望みするだけの時間のほうが長かったけど。
 
 
 
(3)イメージしてたムサビ(美大)との「いいギャップ」「悪いギャップ」はなんですか?

良:表現というものに対して真剣な人が多い。自分と他人との意識共有というものについて考えるいい場所だと思います。
悪:内輪受けなイメージがある。もっと街に飛び出す雰囲気が学内全体にあればいいのに(と、他人任せの自分も含めて)
 
 
 
(4)入学する前にイメージしてた「自分に厳しい」生活はちゃんとできましたか?

妄想の中だけいつもストイックでご都合主義。傷つきたくないから行動しないしできなかったけれど、
最近は半歩ずつですがようやく進めるようになりました。1歩は進んでないけど(遅)
 
 
  
(5)大学というお風呂は意外と「ぬるい」ことに気がつきましたか?

高校の割にはぬるかった母校を時々思い出してました。どちらもトップ校だったためか先生がケツをたたく雰囲気がなかったので。
どちらの先生方も自分たちを小さな大人として扱っていたのだろうけど、おんぶに抱っこで進んできたモラトリアム人間だったので期待に沿う形にはなりませんでした。
 
 
 
(6)でも、お湯がぬるいのではなく、「ぬるくしてお風呂に入りたい人はどうぞ」で、ぬるくしてるのは自分なんだってことに気がついてますか?

脳内で水で薄めすぎて逆に風邪をひいてばかり。熱湯か冷水かの二極相対化。
…水じゃなくて、塩酸と水酸化ナトリウムくらいの差がありそうだけど。
うまく中和すれば食塩が出来るけど、不器用で両極端な考え方ばかりだからいつも強酸性か強アルカリ性。
 
実行力に見合わない高望みをしてばかりなんです。たぶんそれが原因の半分以上。
 
 
 
(7)ぬるいお風呂にはぬるいお湯を求める人しか入ってなくて、実は熱いお湯のお風呂に入ってる人達が別にいることも気がついてますか?

ANNWNさんのいうところの「スチューデントアパシー」というものかもしれないです。
高校でも大学でも一時期不適応を起こしていて学校をサボることが多かったけど、でも昼からフラッと来て部活はしっかりとやって帰ったりしていました。単に夜型の生活リズムだっただけかもしれないけれど(汗)。
あまりほめられたものじゃないけれど、グダグダな感じで中退するという事態にならなかった分だけよかったと思うことにします。
 
 
 
…この際なので言いますが、大学では一時期休学か計画留年を本気で考えてました。教育実習が終わってから11月くらいまで。
何度も言いますが自分は実力がないくせに理想主義者過ぎるので、
「目標にぜんぜんたどり着けないなら、いっそのこと0にまで破壊してしまえ」という危険思想に走ることが多いです。
100点満点だったら85点は取れないと気がすまない感じ。
 
今は何とか立ち直って、65点の次第点でもいいやという考えで卒業制作を提出できそうなので、このまま突っ走っていきますが。
(本当は100点目指す勢いのほうがいいんですよ!!後輩のために念の為のフォロー)
 
 
 
(8)課題や授業をちゃんとやれなかったことに対して、「サークルや恋愛やバイトで忙しかったから」といつまで自分に言い訳し続けるつもりですか?

ちびくろの副部長をやっててんてこ舞いだった3年のときより、忙しくなくなって気が緩んだ4年のときのほうがひどかった気がします。
「忙しいときの仕事は忙しくしている人に頼むと早く終わる」とは、同級生の弁。
 
 
 
(9)そんなに手羽ってKYですか?

ドッキリ企画を仕掛けるときは、口の堅い人をいくらか巻き込んだほうがいいですよ。
トラブルになったとしても42対1より40対3の方が精神的に楽だと思います。
 
 
 
(10)最後に、1年前の自分と1年後の自分にメッセージを。

1年前の自分へ:気楽に考えるために必要なことは、努力ではなくて取捨選択だよ。思い切って「捨てる!技術」みたいなものを身につけられたらいいね。

1年後の自分へ:そろそろ人生設計を組み立てる頃だね。でも高望みはほんのちょっとでいいからね、するなとは言わないけど。
 
 
 
 
 
 
それでは、よいお年を(◇△◇)ノシ
 
 



›2008年09月19日

もっと

自分の直感を信じていこう。

とりあえず突っ走っていこう。

もっと欲を言えば、考えながら行動できる人間になれたらいいな。

ちょっとくらいなら、こけても立ち上がれることがわかったし。

理論付けは、あとからできるだろうから。

長文を書き連ねている自分に酔いしれる傾向にあるので(汗)、

これからは直感を研ぎ澄ませることにします。

美大生としては遅すぎるけど(苦笑)。
 
 
というわけで、今までの自分をひっくり返すような行動をとりたいと思います。

成功するかはわからないけれど、30まではある程度の失敗はしていきたいなと。
 
 
…甘いかな?



›2008年09月15日

皮算用して考えた

住居費.gif

なんかいまいち言い切れてない絵を描いてしまいましたが。


引っ越しの予定はないにもかかわらず、某所で不動産やさんめぐりをしていたのですが、
日本人の生活において「家」というものの比重が如何に高いかを今頃になって実感した。

今の一人暮らしでも仕送りの4割くらいが家賃に消えるし、その上で水道光熱費もかかるので半分以下しか残らない。
部屋自体に不満はないけれど、アパートの周りが草ボーボーなので洗濯物の取り込みに1〜2分ドアを開けただけで蚊が5〜6匹御来訪。いつの間にか部屋の中に蜂がいたことも2回ほどあったっけ。
部屋のグレードはちょっと下げてもいいから、同じ家賃でもうちょっと住環境のいいところを見つけられなかったことに反省。

賃貸契約という名の買い物なら、失敗を積み重ねて成長できるけれど。
人が一生涯に稼ぐお金はサラリーマンで2億円といわれるけれど(出典は失念しました…)、
一戸建てを買うとなると千葉の郊外でも新築で3〜4千万はするから2割くらいが一気に消える。
いろんな意味で、失敗が許されない…。

考えてみれば家をものづくりとして捉えたときに、設計士のアイデアや建材などの材料費、実際に立ててくれる人の労力に見合った金額を支払うのは当然なのだから。
「家」というものに対して今まで軽く見ていた自分を反省しました。

でもやっぱり高いなあ…(ぼそり)。

おそらくだけれども。
うちの親が普通に「家を買う」という行為をしていたら、自分は美大に行かせてもらえなかったかもしれない…。
と考えると、あと半年で少しでも元を取らねば。
でも今の自分は実質逃亡中。



›2008年09月12日

結局自分のために日記をWEB公開している

ANNWNさんの日記には色々思うことがあるのですが、
普通にがんばることすら嫌になっている今の自分にはそれを言う資格がないと自己判断してしまって、
結局は元の愚痴日記に戻ってしまう。

けれどムサビ日記を制作のモチベーション維持の場にするという考えはいいなと思ったので、
へたくそなりに真似をして見ましたが。。。

IMG_0003.jpg


IMG_0001.jpg


IMG_0002.jpg

どんだけ自己愛強いんだよ、という結果に(汗)。
ぜんぜん真似できていません。


そういえば大学1〜2年のころは、無駄に「彫刻学科らしい日記の内容を書こう」として失敗していたのを思い出しました。例えばコレとかね、無理している気がする(汗)。
(↑ちょっと差し替えました・12日17時2分)

そこからマイナスの方向に開き直ってしまって、日常も日記の内容も充実させられたかどうか自信はないです(ちびくろは除く)。
がんばらないことのためにだけしか思考回路が働かなくなったというか。


でももう後半年しか学校にいられない…はずだから(留年フラグが半分たってます、実は)、
何か形を残さなきゃと思いつつ、やっぱり何もしたくなくなったり。

とりあえず、1日1枚は何か絵を書くことにしようかなあ。
(かなり弱気)




›2008年09月10日

お騒がせしました

ここ最近ずっとネガティブオーラを周囲に撒き散らしてばかりいたのですが、新学期に入ったら少し落ち着きました。
制作も就職活動もがんばる以前の問題が頭をぐるぐる回っていたのですが、どちらも少しは前に進みそうです。

飲み会で泣き出したり、日記の内容が荒れだしたり、
心配したねこあじさんからメールをいただいたり(返信遅くてすみません)、
多方面に迷惑をかけてしまいました。

いままで自分は中途半端に自己主張しては周りに迷惑をかけてばかりだったので、
少しは「やたらと発信しないこと」を学ばねばと、まずは一人でじっくり考えようと思っていたのですが、
まったくもって無理でした(苦笑)。

バランスが難しい…。



›2008年09月06日

自分でもイタイです

ここ最近、2日に1回は泣いている気がします。
理由はすごくしょぼいんですけれどもね、今の自分のキャパが狭いだけなので。



›2008年09月05日

要は、無防備な状態で匿名掲示板に行くなということ(違)

病気レベルではないけれど、健康体とも言えない中途半端な自分。
許されるのであれば、このままプチ逃亡したい気分。
竹本君は自転車だけど、自分は電車に乗ってしまう。
他力本願かも知れないけれど、何かにふらりと流されてみたい。
そしてどこかの小さな駅をスケッチして、あとでそれを基に漫画を1本書き上げてみるとか。
 
 
 
 
 
 

…うわあ、なんて夢物語(汗)。
 
   
 
 
 
 
 
 
いつも妄想するだけして、7割くらい満足したら次の日には忘れてしまう。
脳内で無計画に積み上げられたプロットはdat落ち。時々思い出してみるけれど。

自分の世界観が如何にせまっくるしいかを実感する今日この頃。
就職活動はある意味でゲームなのだろうけれども、それすらクリアできない自分はどこかおかしい。
とりあえず総理大臣を決める話に興味を持てなくなったのは、社会人の卵としてまずいだろうなあ。
未だに、高校時代の社会科を引きずっている自分がいます。
言い訳ばかり考え付く脳みそなら、いっそのこと減量手術をしてしまえと責任転嫁するところも(以下略)。
 
 


›2008年08月30日

こだわりというか偏りというか

2個前の日記でオタクオーラを封印せねばとか書いていたのに、やっぱり漫画のことを描きたくなってしまった(笑)。

というのも以前ねこあじさんが挙げた「漫画を知らない4つの理由」が、自分の中でずーっと引っかかっていたからです。
それに沿って自己プロファイリングしてみると…。
(って前も似たようなことを書いた気がするけれども)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1)家にその漫画があるかどうか (家庭環境)

→母が『ビッグコミック』『別冊マーガレット』、姉が『なかよし』を購読。
イタKISSセーラームーンをリアルタイムで読んでました。
『クレヨンしんちゃん』は母もはまっていたので一通りそろえてましたね。
そういえば『のたり松太郎』『ブッダ』『火の鳥』も実家にありました。
あとはおばあちゃんの家に『じゃリン子チエ』があって、そこからエセ大阪弁を使うようになったり(影響されすぎ)。


2)周りに読んでいる人がいるかどうか (友人)

→小学校低学年まできわめて交友関係が狭かったので、友達同士での漫画の貸し借りをあまり経験しませんでした。
小学4年のとき、おやこ劇場で同じ班だった子の家で読んだ『名探偵コナン』が、自分がはじめてはまった「少年漫画」でした。


3)待合室などで遭遇するかどうか (偶然の出会い)

→病院の待合室では『ドラえもん』くらいしか読まなかった記憶が。
あとはいしいひさいちさんのドーナツブック(年の割にはマニアックすぎ)。


4)自分から進んで読むかどうか (自発性)

→基本的に少年漫画を食わず嫌いしてました。
(1)に挙げたように、生まれたころから年齢層高めorジェンダー的に女の子よりの漫画文化で育ったこともあると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というわけで、自分の生育暦は明らかに平均からずれている気がするのです。
同年代男子のバイブルであろう『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』は所持せず、というかジャンプ自体との接触機会も極めて少なかったので、
クラスでの漫画の話についていけなくてすごい孤独感をおぼえたことがあります。
(アニメは3作品ともある程度見ていましたが、ストーリーを覚えなかったので結局ついていけず)

とはいえ小学生の癖してビッグコミックを読んでいたためか、児童・少年漫画お約束のコテコテな展開を苦手としていたので、みんなの話題についてくために焦って読むことはありませんでした。
むしろ少年漫画にはまる同級生を見下していたような気がします。ビッグコミックを読んだだけで大人ぶっている自分のほうがまだまだ子どもなのに(笑)。

その後姉が同人活動を始めたこともあり、好きになる作品がどんどん平均から外れるようになりました。
『最遊記』なんて、クラスではまっていたの自分だけだったかも。
そのうえ雑誌の『ファンロード』を定期購読していたので、毎号のように載るジャンプファンの悲鳴(主に打ち切り問題について)を目にしていたことで「漫画の作品性と商業活動とのジレンマ」について考えるようになり、なおさら「流行の漫画」に抵抗感を覚えるようになりました。

そんなわけであまりにも世間一般ではやっている漫画を知らなすぎたので高校時代に同級生があきれてしまい、半ば強制的に『稲中卓球部』を読まされたり、ジャンプを定期的に読むよう言われたことがありました。
そこからは少しずつ流行も気にするようになりましたが…でもやっぱりジャンプにははまれませんでした。

大学で漫画研究会に入ってもジャンプの話題についていけず、結局挫折してしまいましたし。
(コレは部自体が悪いのではなくて自分の適応力の問題なので、念のため)


自分のこだわりはやっぱり偏っているものだと痛感。
なのである程度はゴーイング・マイ・ウェーでいいやーと開き直りました(笑)。


…で、自分はなにがいいたかったのだろうか(汗)。

漫画の話、長くなりそうなので後半に続く。




›2008年08月23日

同時多発的レポート

竹林さんといい、濱さんといい、なのはなさんといい、
明日のビッグサイトはムサビ日記率が高くなりますね。

きっと明後日には、同じ場所で繰り広げられたさまざまなイベントのレポートが揃うことでしょう。




【訂正】
なのはなさんが行っている「マナビゲート」は、国際フォーラムでやってました(汗)。

かくいう私も、コミティアに参加しますが。一般参加で。

コレがハムフェアだったら完璧だったのに…という手羽さんの声が聞こえてきそうです。

Posted by akaiwa at 21:30 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2008年08月22日

公式情報の大切さ、というかそれ以前の問題…

またコミケの話になりますが、最近自分でも(コミケに限らず)気になっていたことなので、
コミケ暦2桁で数年前からスタッフをやっている実姉との話の中であがったことを書いてみます。
 
 
 
「公式情報にまったく触れないまま、コミケに参加しようとする人が急増している」
 
 
 
普及すること自体はいいのだけれども(…ともいえないのですが、参加人数が増えすぎて会場が大混雑)、
問題はきちんとした情報を得ているか、得ようと心がけているかどうか。
それすらしない人が多すぎて困る、というのがスタッフとしての姉の談。
公式カタログを購入して読むか、お金がなかったら公式サイト+αにちょっと目を通せば正確なルールを把握することはできるのだけれども、
興味本位くらいの人だと、そういうことは堅苦しくて面倒臭く感じてしまうのもわからなくもないです(本当はダメですが)。それよりもオタクな刺激に浸りたいですし。
ただその結果、会場での列の並び方もわからなかったり、近隣での野宿行為が許されていないことも知らずにやるといった事例が増えているそうですし、
「コミックマーケットというイベントは、同人誌を売り買いするところである」
という、超・基本的な部分を知らずに来場してしまう人も多くなっているとか。
これって、「美術大学は美術を学ぶ場所です」というのをわからずに受験するようなモンじゃないかと(汗・例え悪いですが)。
 
 
情報の量を満たされるとそれだけで自分か賢くなったような気分になることは、情報化社会ではよくある錯覚のひとつ。
ニコ動でMADな映像をたくさん見たからって、一人前のオタクになれるとも限らない。最初はそこから足を踏み入れてもいいけれど。
物事の本質がわかっていないまま偏食していると、結局は知ったかぶりで終わってしまうことでしょう。
その結果が他人への迷惑(→やがてはイベント中止行き)だったら、最悪の自己満足です。

あと、聞きかじりの情報というのも結構危険だったりします。
「盆暮れに有明ですげーオタクなイベントがあるらしーぜ。ちょっとのぞいてみない?」という又聞きっぽい話は特に危険だと思います。伝言ゲームと同じでどんどん都合のいい内容に変わっていることも考えられるので。

逆に同人サークルさんのサイトでも悪びれもせず違反行為を書いている場合もあると聞きますし(複数応募したとか)、
悪気がなくても情報に何らかのバイアスがかかってしまって正確性にかけることもあると思います。

自分も今この記事をできるだけ正確に書こうとがんばっていますが、100%正しい自信はありません。
なので赤岩日記を鵜呑みにしすぎないほうがいいです。自分が言うのもあれですが(汗)。


やはり最終的には基本の情報を押さえるために、公式情報というものに目を通すことが必要なのかと思います。
とはいえただ目を通したところで、聞きかじりで得た情報(と自分の思い込み)にしがみついたままだと、自分勝手な行動を起こすことも考えられますが。
ネット経由の初心者が多かったとある同人イベントでは、待機列の中で踊りだして流れを乱す人がいたらしいです。
(ごめんなさい、コレも又聞きなので例えばの話くらいにとどめておいてください)


コミケだって初心者を完全排除しているわけではないですし、最近の目に余る初心者問題でもベテランの方の中から、
「俺らだって中高生のころは痛々しかったんだから、温かく迎えて育て上げようぜ」
という人も出てきているらしいですが(2の方角の住人である姉の話による)。

さすがに「自ら学んで身を正す」という学習姿勢をもてない人は、周りから白い目で見られるのは当たり前でしょう。人数の多さをはじめ色々問題を抱えて余裕がないですし。
それで叩かれたことへの悪口をブログとかに書いたところで、オタクのフリをした非常識人であることには変わりがないです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と い う わ け で 。

さんざん「コミケ」という単語を聞いたので、今すぐ公式サイトをチェックしましょう(笑)。
この記事も赤岩の主観が混じっているので、100%正確である自信はありませんし。
(大事なことなので2回言いました)
あと、情報と心理の関係性は自分も勉強不足なので…ごめんなさい。


世の中に存在する大部分の情報はかなり適当であると自覚した23の夜。
そして自分もその現状に加担するその他大勢であると自覚した大学4年生の夏。

実はこの記事が壮大な前フリである件について(苦笑)。
やっぱり自分、簡潔な文章を書くのが下手だわ〜orz




›2008年08月20日

コミケにいってきました

まあ毎年のことなのですが、今回はいつもとちょっとだけ違う意識を持って参加してみました。
(コミケに行ったことない人は、できれば公式サイトに目を通しておいてくださいね)
 
 

もともと自分が美術大学にはいることになった遠因は、
4歳上の姉が中学のころからコミケに行きだしたことであって、
そこから表現活動というものに興味を持ち出したことが、今の自分につながっていると思うのです。
 
 

とはいえ、漫画を書きたいといいつつきちんと描いたことは少なかったから圧倒的な実行力不足であることは確かだし、
それを今も引きずっているのはかなり大人気ないなと、いつも言い訳をしていてばかり。
 
 
 
さらにいうと、いまの自分に至るまでに
 
 

漫画→ネタ探しに文学部?(高校2年1学期)→でも美術学部も気になりだした(2年1学期後半)

→すでに勉強のほうの予備校に行っているからこのまま文学部で

→ところが予備校の理事長の講演会に参加したら、バブルの幻影を追っているように感じて不信感が募る

→部活疲れもあり、予備校をサボりだすようになる(2年夏)

→そもそも最初から勉強サボっていたから受験に間に合わないかも(2年秋)

→予備校の担任に怒られたことで現状を思い知り、これから頑張る自信をなくして辞めた(2年の3月31日・汗)

→じゃあ思い切って美術学部を目指してみようか(どさくさに紛れて吹っ切れたフリをする3年の春)

→でも大学の漫画専攻というのがしっくり来ない(精華大にできたばかりのころだった)

→サラリーマンになる自信がないと思い込んでゲイブンとデザイン系を敬遠(ごめんなさい)

→じゃあ絵画専攻?(油絵描いたことないけど)

→うーん、平面よりは立体のほうがおもしろそう?少なくとも鑑賞している限りでは。

→じゃあ彫刻学科で。まったくもって作品制作の経験がないけど(汗)

→(色々面倒なので中略)

立体作りたくない宣言
 
 

という、間違っても中高生の進路学習の例には出せないような道を歩んでいて、
どんどん自信を失っていくばかりだったのです。
 

なので卒業制作に取り組む前に一度原点を見つめなおしたいなと思い、今回はちょっとだけ意識を変えての参加を試みてみました。

表現という行為で何をやりたかったのか、
それとも「みんなもやってるから自分も」くらいのノリだったのか、
表現そのものが目的ではなく、本を媒介にした萌えトークをしたかったのか、
結局自分は何をしたいのか、そしてそのためにはどのようなフィールドにいるべきなのか。

というようなことを考え直してみようと思って。 
 
 
 
 
 
 
 

とはいえ、会場に入ったら買い物で一生懸命になってしまったのですが(汗)。

ただ、今回いつもとはちょっと違った形での参加をすることができました。
 
 
 
 

入場待機列を作るときに使う、「最後尾」の団扇に絵を描きました。
 
 
 

スタッフとして参加している姉が、赤岩の描いたオヤジ絵をmixiにアップロードしたことから(註・事後承諾)、
それを見た部署のリーダーの方から、1月ごろに依頼を受けました。
やってみたいけれども、とてもじゃないけど自分はそこまで絵がうまくない、最大で20万人の目に触れられるほどのクオリティは出せないと、
最初のころは抵抗があったのですが、

もともと部署のメンバーで作ってしまうものであるとのことで(カタログなどの売り物はある程度選抜しているようですが)、
とりあえず法律に引っかからない程度に(笑)好き勝手やっていいよということだったので、
お引き受けすることにしました。

締め切り1〜2週間前になって(汗)やっと描いてみたら、やっぱり今まで手を動かすことに言い訳してばかりいたので、
思い通りの形が紙に現れてくれないし、それ以前の問題でより良い形を思い描くこと自体ができず、
今まで手を動かすことをサボっていたこと、いいわけばかり思いつく頭を作り上げた自分を恥じるばかり。
やっとこさ絵を描きあげても、今度はフォトショやイラレーでの加工に四苦八苦。
美大生なのにアドビのソフトから逃げていてばかりだった結果がコレです。

そんなわけで、少なくとも100%のしっくり感を覚えるような仕事はできなかったわけです。
こんな言い方をしてしまって、スタッフの方には申し訳ないのですが。

ですが、現実に手を動かすことで自分のやりたいこと・そうでないことがなんとなくわかってきて、
先の展望が1%でも見えてきた気がして、この勢いのまま少しずつ切り開きたいと思えたことが、
今回の仕事の最大の収穫なのかな、と思います。
…いつもの勘違いなのかもしれませんが。
 

また今回は学外というのがいい方向に働いたのかな、とも思います。自分自身を学校制度に縛り付ける癖があるので。
ちびくろも大学生のサークルだし(とはいえやっていることは下手な企業より馬鹿でかいですが)、
ファインアート系の自由と自己責任の空気の中で何をやっていいのかわからなくなったまま、言い訳をつけて逃亡してばかりだったのですが、
「学校外」の「仕事」という束縛を課すことで、目標に向かって形を作ってみて、適性やポリシーはあとから考えるということが少しでもできたのかなとも思っています。
自由すぎると何も考えられないので(汗)。
 
 
 
もっと、自分のやりたい事を知りたい。
そのために今から描かなくちゃ、と思いました。
頭で考えるだけだと、何でもできるような気分になって、何にもできないような不安を覚えるから。

…卒制(と一個前の課題)、がんばろ。

 


›2008年08月06日

考えながら行動することも、考えてから行動することも苦手

教育実習をやっていたときにおもったこと。

今の自分は目の前にいるツッパリ男子生徒と、どこが変らないんだろうかと。
ただ立場と年齢が上なだけで、偉そうにしているだけなんじゃないかと。

今やるべきことを見つけてすぐさま実行、なんて自分が一番できていない。
中学校のとき、サボり癖のある人を見て「とっとと勉強すればいいのに」と思っていたけれど、
高校から地滑り的に堕落して言った自分は、今まさにそう見下される格好の対象。
考えてから行動しようと思ったら、変な方向に考えているばかりで行き詰って、結局はグダグダになるか、思いつきの行動ででっち上げるか。

そして、言葉を発することで問題を摩り替える始末。
だから最近は書くことも話すことも自重していたけれど、
脳みそが勝手に考えることに酔いしれる癖まで自重できませんでした。

 
 

就職活動を始めたとき、合同説明会のあまりの商業臭さによってしまって以来、企業広告に対しては過剰なまでの拒絶反応を示すようになってしまいました。
 
 
 
デザイン系の人には悪いと思うけれど、チラシやHPの画面がかっこよければかっこよいほど裏であくどいことをやっているように見えて仕方なくて。
リクナビやマイナビでDMを送りつけるだけで「人事がうまくいってないんじゃねえか?」と一方的に疑ってしまったり。
説明会で過剰なまでに人を追い掛け回す社員さんを見て、ノルマという言葉に対して異常なまでの抵抗を示したり。
大企業というだけで何か大きな波に飲み込まれそうな、漠然とした恐怖感を覚えたり。

自分の場合は最初からずっと少子化で斜陽気味の教育業界ばかり見ていたから、なおさらその思い込みが強くなっていったような気がします。
(教材の押し売りで定評のある某企業が、摘発後に分社して名を変えて合同説明会に居座ってたりしているので)


そんなわけで、今まで口だけは達者だったものの就職活動には力を入れられていませんでした。
本当に、今までの日記はなんだったのかと(汗)。

行動を起こしながら考えるほうが手っ取り早くて効率的ということに今まで気づかなくて(むしろ就職課の人に今日になって指摘されて)、
マイナス方向の考え方を気軽にする割には、リクナビのエントリーボタンを押す手はものすごく重ったるい。

 
 
で、今日はというと。 
 
 
 

就職課の職員さんに、リクナビの賢い使い方を手取り足取り教えてもらってました。この時期になって(恥)。
企業広告について色々諭されながら、とにかく数多くエントリーするように強く言われました。
勝手に送られてくる説明会のDMに対しても抵抗を示さずに、一通りは目を通しましょうねとも。
あとはちゃんと就職四季報を見て、業界トップクラスから順に受験しなさいと。そうすれば業界の合う合わないがわかってくるから次の行動が起こしやすいそうです。
…今まで敬遠していたのは、タモリ倶楽部的なニッチ系企業に微妙にあこがれていた、なんていえない(汗)。


高校あたりでいろいろと躓いて以来、自分の感情を最優先にしてばかりだったけれど、
その分物事を客観的に見て、建築的に行動を起こす能力が養われていないと実感。


うーん、やっぱり中学時代からあまり成長してない!!
orz




›2008年07月20日

どーでもいいことですが

KY復活事件以来、りんらんさんとおきなまろさんの日記が、

「ちょっと男子〜! しっかりやってくれなきゃ困るのよ!!」

と憤る女子中学生のようでほほえましいです。

特にここらへんのやり取りが

実際のおふたりは、以前から相っ当振り回されているようですが…。
なので赤岩は基本的に手羽さんを擁護しません(笑)。



›2008年07月04日

毎度恒例の独り言

竹本君は自転車をこぐ気力も体力もあったからあそこまでいけたんだ。
自分は気力と体力もなければ、それを押しつぶすだけの被害妄想力を蓄えてしまいがちだから、
結局ロフトベッドの上でウジウジしているだけなんだ。
あるいは、形だけアトリエに行ってボーっとしているという、みっともないことをするだけなんだ。

結局、反抗期だ何だと主張するのも「わがまま」の一言で終了してしまうんだし。



›2008年07月02日

THE★遅杉

最近おきなまろさんにいわれたこと。

「中高生時代に反抗期を経験していないの?そしたら後になって精神的にきつくなるよー、気をつけてー。」
 
 

中学時代は勉強することに疑問を持たないでいた上に、学校制度の鋳型にはまることが好きだったし、
高校〜予備校でサボり癖がついても総ては自分が悪いと考えていたし、
大学でも彫刻学科でどんなにアウトローっぽく振舞っても最終的には端っこにいるようにしていたので、
周りの環境に刃向かうなんてとんでもないことだ、と思っていたのですが。
 

ここ数年の自分をあらためて思い返してみると、
自分の実力の限界を試すのを怖がるし、でも口先ではえらそうなことばかり言っていて。
弱い自分を見られるのが怖くて、教授の出講日にはアトリエから逃亡してばかりだから、椴金のようにたたかれて伸びることもない。
たいした行動力もないので学外で自分の活路を見出すこともせず、脳内の理想郷ばかり拡大していく自慰的日々。
総てが自分の思い通りにならないと気がすまないから、割り切って行動するということもできないでいる弱虫。未だに履歴書がかけていない。
針で刺す痛みすら怖がっていたら、死にそうなほど重苦しいおもりがあとに待ち構えてました。
 

結局、今が自分にとっての反抗期なのかな。だとしたら、かなりのバッドタイミングなんですけど(汗)。
高校受験で親ともめる中学生より痛いんですけど。自分の生活をどうするか決めていかなきゃいけない時期だけに。
物事をそれなりに客観的にみれる分、今の自分のしょうもなさが見えてしまって情けなく思うばかり。
もっと、自分のことばかり考えられるときにわがままになっていたほうが良かったのかな。

今となっては、単なる後悔でしかないけれど。気づけなかった自分が一番悪いんだし。

周囲に反発しながら自分なりに折り合いをつけて社会の枠組みにはまっていくのと、
反発することすら知らずに枠にはまって大人ぶっているのでは、結構な精神的成長の格差があると思う。

後者の場合でいつか自分の幼さに気づいたとき、今まで周りの評価が高かっただけに精神的ショックは甚大なものだけれども、その怒りのやり場は大人の社会にはないと思う。今から暴れたら「こどもがえり」になってしまうから。
前者は周りの評価は低くなりがちだけれど、まだ親や学校が怒りを受け止めてくれるから、実はこっちのほうが健全な成長過程なのかもしれない。著しい脱法行為を犯した場合は話が別だけど、年相応ではあるのだから。


よく優等生タイプの犯罪で「何であんな出来た子が大人になって…」という人がいるけれど、
それは早めに成長して精神的に大人になって「出来た」のではなくて、
型にはまることに疑問を持たないくらい子どもっぽいから、大人が扱いやすい分「出来た」ように見えるだけなのかも。
だから後で大きいしっぺ返しが来る。順序良く成長できなかった結果に対して。


いままでも自分の精神的成長が4〜5年遅い気がしていましたが。
遅いなら遅いなりに何か贖わなければと焦るばかりの今日この頃です。




›2008年05月29日

逸脱どころか脱落気味

4年生展、明日の昼までです。
 
 
 
昨日と今日の2日間にわたって講評会がありました。
自分の作品が突っ込みどころ満載であることはわかりきっていたことなのですが、
そのなかでも、
 
「入試の立体構成みたいに決まった形でつくってるね」
 
といわれたのはかなりの反省点だと思いました。

因みに今回は音楽を基にした制作を試みたのですが、それについても
 
「音楽を聴くのにモノなんかいらない、まずそこからはじめなきゃ」
 
という、根本的なご指摘をうけました。
骨抜きの状態で無理矢理立体制作をしていたのは事実なのですが、それによって一番大事なことも忘れていた名と思いました。
 
 
 
 
前々から「彫刻」を作ることに対して違和感を覚えていて、それでも課題だからといってがんばって立体を作っていたのですが、
「がんばって」といっても他の人と比べたら気合が圧倒的に低いし、アトリエに足が向かないときもあるけれど、
それでも「彫刻学科の学生」という身分にしがみついて、中途半端なアーティストぶっていました。
 

けれど今回の課題を通して色々考えて、いちど「立体」から離れてみようかなと決めました。
殆ど同じようなことをずっと(2年の終わりごろから)考え続けていたのですが、
そのころはまだ目の前の問題から逃避しているに過ぎないと思っていたし(今もだろうけど)、
離れること自体は学生時代ならいつでも簡単にできそうな気がしていたし、
彫刻学科なのに彫刻をやらないことがなぜだかもったいないような気がしていたし。

今まで「理想の彫刻学科生」ばかり妄想し続けていて、でも面倒臭がり&格好つけたがりで努力はあまりしようとはせず、
結果的に表面すら取り繕うことのできない、しょーもない作品と自分自身ばかり粗製乱造していましたが。
 
 
もっと、自分に素直になれる表現方法を探っていったほうがいいなと思いました。
 
 
 
 
…それにしてもいまさら遅いですが(汗)。
 

話は変わって。
今回の作品でビー玉をらせん状に並べたりしたのですが、
そのときとある先生が「昔から「玉を転がすような音」という表現があって…」や「中国は左回りに並べるのが美しい音の表現で…」などのお言葉をいただきました。
その話自体を面白く聞くと同時に、自分の教養のなさと下調べのしなさに反省。

やっぱり、自分って口先ばかりだな改めて自覚しました。

 
 


›2008年05月26日

ウダウダ言っていましたが

何とか形になりそうです。
…今の時点で希望的観測の文章を書くのも問題ですが(汗)。
 
 
 
というわけで、彫刻学科4年の課題展示をやります。

場所:9号館の地下1階展示室

日時:5月28・29・30日の朝9時〜夕方5時か6時くらい(30日のみ昼休みまで)

テーマ:「逸脱」
 
 

展示課題のことばかり考えていたら、
来週から始まる教育実習の準備を怠ってた…(汗)。
急いで実家に荷物を送らなければ。

 


›2008年05月25日

悩んでナンボなのかもしれないのだけれども。

この前の日記が本当に自己満足で終わったので、
教職の話に絞ってもうちょっと話を整理してみるテスト。

 
 
自分が教職を第一志望にしなくなった理由は、主に三つ。
 
 
滑舌が悪かったりとっさの対応ができなかったりなど、教師としてはハンデになる要素を抱えているから。
 
学校教育や美術教育に対して懐疑的になり、意義を見出せなくなってしまったから。
 
「学校中心に物事を考えていたら、それ以外の世界のことがわからなくなった」ことに愕然としたから。
 
 
 
一つ目については「やる気があれば何でもできるから大丈夫!」という人がいるかもしれませんが、
自分の場合はちびくろを3年以上やってきただけに、実感を持って不安を覚えています(苦笑)。
果たして自分の声はきちんと耳に届いているのだろうか、と思うときが多いです。
子どもに発音の悪い部分の声マネをされたときには、正直凹みます。
「モノマネされるのも愛情表現の一つ」と思えればいいのですが、自分は割と無理です(汗)。
これが和気藹々としているときならまだいいのですが、もしも不良の子をしかるときだったら、と考えると本当に自信がなくなります。説得したくてもどこか腑抜けに聞こえてしまいそうで…。

とっさの対応のできなさにはちびくろ内でも定評があります…笑えませんが。
突然の予定変更とか苦手です。脳内で予測させる変更パターンを幾つか予行演習していないとパニックに陥ります。
スケジュールをひっくり返すのが苦手です。楽しさの追求よりもノルマの遂行に走ってしまいがちです。
最近はある程度慣れはしたし、子どもも大人もぜんぜん違うことを考えている人ばかり集まっているサークルに長く身を置いていれば、
「やるべきこと」と「やりたいこと」と「みんなで楽しむこと」の突合せで行動できるようになりましたが。
でも子どものころから「あらかじめ決められたことに乗っかる」ことばかりしていたので、
子どもに合わせて毎日アドリブを求められるであろう教育現場に行っていいのだろうか、と思う時もあります。

と書いてみたものの改めて考えてみたら、どちらも「教育」以前にまず「働く」という時点でハンデになると思ったので、
これについてはある程度短所を受け入れるか、長期計画で改善するしかないのかなあ、と思ったり。
 

  
二つ目については、手羽さんが言うところの「論理的に否定することは簡単、肯定することは難しい」というのに行き着いてしまうのですが(汗)。

今まで無条件に受け入れていた「学校」というものの意義について、教職課程で一通り学んだことはとても有意義であった半面、
芋づる式に発掘される現状の問題点からその矛盾を感じ取って解決しようと脳内であれやこれや考えているうちに、
そもそも「教育」という行為が持ち合わせるジレンマを見つけてしまい、最終的には
 
総ての教育行為に、有意義で実に見える効果を見出すことが面倒臭くなってしまう。
 
という極論主義に走り(苦笑)、脳内だけでの試行錯誤なのに疲弊してしまいました。
いや、むしろ机上の空論に対し脳内活動で対抗しようとしたからこそ無駄に疲れたのかなと。
特に学校生活の中での割合が、今の「30分の1」から「30分の0か2(選択必修)」、下手すると「ゼロ」にされそうになった、
美術科という圧倒的少数派にいたことも大きかったのかと。
倒すべき(または、和解するべき)相手が、常軌を逸した大きさであることはいうまでもないから。

こちらに関しては今まで理論だけでしか攻めていなかった分、今度の教育実習で体感していきたいと思ってます。
本来なら「先生になると決めたから実習に行く」というのが建前としてあるのですが、
自分は「先生になりたい(なりたくない)かどうか確かめに実習に行く」考えでいます。
 
 
 
三つ目は…正直、この理由が一番大きいと思います。
「学校以外の社会を知らないで、生徒を社会に送り出す仕事をしていいのか」とかいっていたこともあったけど、
そんなの、履歴書に書くようなおあつらえ向きの文章だったなと思う。
 
自分の脳内にはいつも「理想の自分」があって、それに及ばない「現実の自分」にいつも悩んでいるから。
さらに高校以来はその間にあるギャップを埋める努力をする気力をなくしてしまっているというタチの悪さ(汗)。
自己を語るときに否定形を用いるのが多いのもこのことが原因かと思います。
 
優等生じゃないと気がすまないのだと思う。
小中学校のころ、中途半端な感じで「優等生」をやっちゃったから。
さらに高校以降は、自ら努力をしない性格であることを認めたくなかったから。
 
作品を作りたくなくてもとりあえずアトリエに行って見たりする。けどやっぱり作らない。
でも努力をしないから「どうせ自分はダメ人間」か「まだ本気を出してないから」のどちらかの言い訳をして逃げてばかり。
 
学校以外の事を知らないのなら今からでも色々アプローチしていけばいいのだろうけれど、やっぱり変な失敗はしたくない自分がいる。
学校にいればとりあえず安定するし(最近はそうでもないですが)、
行動に移していないくせに「自分は美大生なんだ、もの作りの人なんだ」と思い込みたいから、
結局は依存してしまう。
 
そんでもって中だるみになりやすいときには、
アパートのロフトベッドの上で独りきりになって、悲劇のヒロインぶった妄想を繰り広げては、気分を底なし沼に沈めていく。
脳内活動と現実の行動を結びつける努力を怠れば怠るほど、その悪い癖はひどくなる気がする。
 
うーん、学校の話から外れてしまったけれど、この現状は教職以前に人間としてまずくないか。
そこまで言わなくても、「実在するもの」を扱う彫刻学科の人間としては…といって、
また自慰にふけてしまう(性的な意味ではなく自己愛的な意味で)。
 
これはもう自分の根幹に関わることなのである程度は割り切りたいけれども、
根本的な自分の弱さを認めたくないがために、今まで歩んできた道を否定して、話をそらしたり責任転嫁させたりしてしまう。
問題解決になっていないから、自分の中に不良債権をためるだけなのに。

なんだろうなあ。教職以前に働くことを否定するための既成事実を作ろうとしているのかもしれない。
それがイヤなら、弱さを受け入れてとりあえず走ってみるか、
スーパーマン級に自己改革起こしてから社会に飛び出すか、
どちらもイヤなら引きこもるしかないか…。
 
こんな二極相対化をしないと気がすまない自分の脳みそが本当にうざったいです。
うざったいけれども付き合っていくしかないです。
頭と身体は切り離せません。
 
 
 
 


›2008年05月20日

就職活動の途中経過報告…のはずでしたが

今現在は実質的な就職活動をストップしていますが、それでも就職課の資料ゾーンをうろうろしてたりします。
ちょっと気になる会社がひとつだけあって、とりあえずネットエントリーだけ済ませたのですが、
果たして選考開始のお知らせは来るのだろうか。

11月の就活開始宣言から半年たったら考え方も身の回りの状況も変わってきたので、
今一度情報を整理したうえで日記で晒してみるテストを。
もはや自己満足の極みなのでスルー推奨で(でも書く)。

★院に行く予定
→今のところナシ(変わらず)。ただ、院ではないスクールに行くのを考え出した。最近になって「作る」ことに未練が出始めたので。
ただ単なるモラトリアムでは終わらないように、今目の前にある課題にきちんと取り組みたい…けれどいまいち取り組めていない(汗)。
 
 
★教職について
→実は今迷っているけれど、今の時点ではあまり気は進んでいない。
今年の採用試験は出願しなかったけど、教育実習を経たらまた考え方が変わるかも。
そのときのために私学での採用を調べている途中。
 
 
★就職イベント
→もう行かないかも。世の中にある会社の大半がブラック企業であるような被害妄想に陥ってしまう(それはどうだろう)。
やはり「持つもの」がどんどん目立って社会を引っ掻き回していくんだなーと(イベント的な意味でも)。
なので自立促進の面では大学の就職課を頼りにしている今日この頃。
 
 
★希望勤務地
→最初はUターン就職の予定でしたが、地元の終電が鷹の台駅より早いので勤務地が限られてしまうことと、
仮に終電に乗って帰ったとしても夜中に家族をたたき起こすことになることが大きな問題として浮上。
父が病気持ちなので下手にストレスを与えるようなまねはできず、結局卒業後も一人暮らしをすることに。
…総合職で仕事を探さなきゃ。
 
 
★希望業種・職種
→今までの「作品作りたくない病」の影響で徹底的にクリエイティブ職を避けてきましたが。
ここにきて「作る仕事」も考え出したけれども、今の自分では志望分野も決められないし、
決まったとしてもスキルが足りなさ過ぎるので何かしらのスクールに通うことになるかも。
それにしても自分を見つめなおすのが遅すぎた…。
 
 
★教育業界に対して
→結局のところ今の日本の教育業界でお金を生み出すのは「塾」か「教材」しかないんだなとわかったので、
実習あけてもこの分野は受けないかもしれないです。
気になっていた会社はみんな受験して落とされたので、それで満足しちゃったというのもありますが(笑)。
 
 
★SPIなど試験対策
→まったくやってない。高校以来、勉強というものに対しての拒絶反応を身につけてしまった模様。
よくわからない遠い先のことに対してはがんばれない性格になってしまった。
だからとりあえずネットをついついやってしまう。




›2008年05月14日

美大に通っているのは

単純に惰性なのではないのかとか。
退学する理由がないだけだからなのではないのかとか。

かといって見切り発車できる性格でもないから、
結局グダグダな生活を送ってしまうのだろうとか。

あまり立体で表現されないような概念に挑戦しようと思ったけど、
そんなのきちんと彫刻にいそしむ人がやることじゃん、と今頃になって気づいたりとか。

そもそも「ひたすら作る」という気合も経験も、
今の自分には絶望的に不足しているとか。

新卒での教員採用は受験しないと決めたけれど、
願書だけでももらって置けばよかった、と今頃になって後悔したりとか。
一般企業の採用試験もグダグダだったからあまり前向きではないとか。

休学や留年や自主退学にあこがれるのも、
今現在の自分の欠点から目をそらすための逃避行でしかないとか。

とかとか。

ロフトベッドの上で考え事をしていたら、もうこんな時間(汗)。
現実的な問題で、しょぼい結果しか出せなくても仕方ない自分だから、
とりあえず何か「形」をひとつ作り上げなきゃ。
…あと10日で(汗)。

以下余談。


今思ったけど。
教職課程の人がよく使う「一般企業」という言葉。
美大生が言うところの「一般大学」みたいな優越感があってイヤになってきた。

学校とて社会であり団体であるうえに、国公立ならひとつの行政サービスで教職員も「イチ公務員」。
私企業もタイプは違えど日本の国家体制に組み込まれているのに(たぶん)。



›2008年05月01日

突然ですが

就職活動をやめる運びと相成りました。

 
 
 
                                         …教育実習が終わるまで(笑)。
 
 
 
くだらないことをしてしまってごめんなさい(汗)。
 

どちらにしろ教育実習は普通に激務である上に、
「先生になること(≒一般企業に行かないこと)」を前提に受け入れてもらっているので、
その期間中に就活なんてできるわけがないです(過去に実習休んで面接に行った人もいますが…)。
5月になった今からESを提出したら最終面接が6月に食い込む可能性も高いので、
当たり前の選択っちゃー当たり前だし、そのことを踏まえたうえで行動していたわけですが。

ただ11月辺りから「就活始める宣言」をした手前、今の時期に内定をいただけていない状況は、
「卒業までに決まればいいやー」と思っていても若干あせるものもあり、
かといって興味のない分野の企業まで手当たりしだい受験する気にもなれず(教育系を5社受けたっきり)、
それに加え今頃になって「正社員になる」ということが自分にとって有益であるかどうかも悩みだすという(汗)。
経済的に安定しちゃうとぬくぬくしたまま育ってしまいそうで、自分に厳しくなれない気もするのです。
(仕事そのものが厳しいものではあると思うけれど)
 

でも今日になって就職課の方とお話して、そんなもやもやした自分でも、
それなりの今後の展望がなんとなく見えてきたので、自分としては割とすっきりした気分。

もう5月中は制作と実習準備のことしか考えない勢いでいくつもり、になればいいなあ(なぜか希望形)。
 
 
世間ずれしているって言われてもいいやーって思ってます。
その「世間」とやらは、自転車操業っぽくなってきた雇用産業が決めたことだと思うから。
(資本主義批判…汗)
みんな広告戦略に乗せられ流されて、「オートクチュールっぽい」ライフプランを押し売りされているのであれば、
その裏側が見えて嫌な気分になった自分は、
言葉を飲み込んで社会悪に洗脳されたフリをするか、
自ら荒地を開墾して本物のオリジナリティを構築するしかないのだろうか。

美術大学なら、圧倒的に後者を選択する人が多いと思うけれど。




›2008年04月29日

結局のところ。

昨日のもやもやは逃避行動だったのだろうか。

現実を一生懸命見ている振りして、
実際は「ストイックなシチュエーション」に萌えているだけの、
手のつけられないドリーマー。

うん、引っ越しよりも先にやるべきことが多すぎる。

でも、不動産物件を漁っているとものすごーく楽しくて(笑)、今すぐにでも引っ越したくなってしまう。
やばい、消費社会の罠だわコレ。
自分の欲望が高まることで、不動産屋が儲かり、運送業者が儲かり、家具や雑貨のお店が儲かり…。
それでもいいけど。最終的には個人的満足の有無が居住環境の採点基準になるし。

実際問題、今の家の契約が卒業制作展の期間中に切れるので、就職先によっては本当に早く移るかもしれないです。
親(と不動産屋さん)に説明がつけばですが…せっかく徒歩通学圏に住んでいるのに、それを捨てようとしているので。

家と学校を往復するだけの生活にはなっていないとは思うけれど、
今の自分にとって、閑静な住宅街にこもっているのが果たしていいものなのかという疑問も浮かぶ今日この頃。
いままでおとなしく型にはまる(のを周囲のオトナに見せびらかす)のが大好きだった分、
ちょっと冒険するときがそろそろ来たのかな、とか勝手に考えたり。
(美術大学に進学すること自体が冒険なのかも知れないけど、自分の場合は「大学の学部を選ぶ」という軽い感じだった反省もある)

かといって高円寺とか阿佐ヶ谷とかに住んでも「寝に帰る」だけではあまり意味がないし、
結局は自分の努力の問題なんだろうなー。
でも現状は打破したいなー。
そのうちの一課題として環境を変えたいなー…。

はい、引っ越し貧乏フラグ立ちました。




›2008年04月28日

和室4畳半、男性限定、共同キッチン・トイレ、お風呂は銭湯、月2万5千円(ガス水道込)…

おきなまろさんと話した直後から、自分の身の振り方について色々考えてばかりの今日この頃。
 

この先の生活を考えてみたら(就職活動がうまくいっていないのもあって)、

今の仕送りに頼っている状態より明らかに大変になりそうで(フリーターフラグ立ちかけ状態)、

でも実家に帰ることは今のところ選択肢にはなくて(病み上がりの父と生活リズムが合わないので)、

そうすると今住んでいる家賃4万8千円のアパートがすごく贅沢に思えてきて(実際ちょっと広めだし)、

その上学校から歩いていける位置にあることで生活がだれているような気もして(立川に住んでたときは大変だったけど)、

それなら家賃の安いところに住んで電車通学をしたほうが自分を律することができるのではないかと言う風に考えて、

ネットで所沢や本川越や高円寺などの物件をあさってみたりして(おくともさんの記事に影響されすぎ)、

4畳半だったりお風呂がなかったりする図面を何十枚と眺めたりして(もともと賃貸広告に萌えるタチ)、

「もっとストイックな生活を経験しなきゃ、ぬくぬくした状態で終わってしまう」なんて思ってみたり(今が湯水状態だからか)。


でもそれは今現在の自分の部屋が荒れているからだったり(ゴミ屋敷3歩手前)、

いまだに賢いお金の使い方を身につけてないこともあるし(バイトもあまりできていない)、

自分の問題を自分の身の外に求める悪い癖があるし(うだうだ言うのもそこから来ている)。


けれど環境に左右されやすい性格なので(周りの人にも影響されやすい)、

孟母三遷じゃないけれども形から入っていくのもありなのかなと思ったり(形だけで終わりがちだけれども)。


…まあ実際に引っ越すとしても、夏休みか11月の芸祭休みじゃないと動けないんですが。
(それも卒業制作を考えるとバクチに近いものがある)


よし、妄想はほどほどにしておいて、そろそろアトリエに戻ろう。




›2008年04月20日

美術の授業をやる意味

赤岩です。
さんざん悩んだ癖して結局英語の履修を取り消しました。
そうでなくても週4コマ授業を入れたし、その上で実技時間帯のにも一コマもぐりこむ予定。
これから就職活動・教育実習・卒業制作と立て続けに忙しくなるのに対して、
まじめな振りしてかなり面倒臭がりな自分の性格を考えてやめてみました。

その分、他の授業は落とせないのですが。
後期の日本工芸史を落としたら、工芸の教職免許が取れなくなるという瀬戸際の状態です(汗)。
 

さて、四輪駆動さんが悩んでいた、美術の授業をやる意義について、個人的な見解を。
自分は(今のところ)教員免許を生かした職につく予定はありませんし、
かつては自分も美術より受験科目をがんばっていた人間なのですが。

3年間のちびくろ経験+それなりに(汗)がんばった教職の授業から得たものから、
自分が導き出した「それっぽい」解答は、

美術の授業は、

「絵をうまく描くこと」を追求するための訓練の時間、

ではなくて、

作品制作をがんばることで、人間としての成長をする時間。
 
 

…いや、指導要領の一部を自分の言葉に置き換えただけなんですが(汗)、
コレは保護者からのクレーム対処に使えそうな言葉なのではないのかと(オイ)。

「最初からスルー、だからできない」よりも、「やったけれどできなかった」のほうが、
まだ得るものはあると思いますしね。
 
 
 
 
とはいえ、コレは「学校教育」の枠内でのお話でしかなくて。
指導要領は約10年ごとに改定されるので思ったより不安定なものですし、
そもそも要領の存在目的自体に異を唱える人も少なからずいますし、
学校に目を落としてみても、
嫌なものをやりすぎてトラウマになったら逆効果ですし(努力至上主義による教育効果は結構バクチものかと)、
学校での努力が学校外でも通じるものかというのもしっかりと考えなくてはいけませんし。

そもそも、
学校自体、本当に「善きもの」なのか。
学校に行っていない子はみんな駄目な子になってしまうわけでもないし、
(逆に、学校に行かないけれど人一倍しっかりしている子を自分は知っています)
空気のように存在する国家体制に、手放しの信頼を置いているだけなのではないのか。

もっと言ってしまうと、

「教育」自体、本当に「善きもの」なのか(汗)。
必要だとしても、過干渉で子どもをダメにしてしまわないか。
「かわいい子には旅をさせよ」で子どもを見殺しにしていないか。
 
 
 
…うん、いい感じに不毛なループにはまってきた(苦笑)。
そもそも「教育効果」とやらに期待を寄せる一方で、
それ自体の議論に関しては、

壮大な仮説

と言うことにして逃亡する癖があるので(無責任ですみません)、
とりあえずここでストップしておきます。


学校に適応する子もしない子も、

「教育」というものに呪縛されていると思うのです。

自分なんかはある種の狂信者級ですが。
 
 



›2008年04月10日

サブロク判にぶつける闘魂

最高学府潜入計画は、入学式前で閑散としていることが予想されたため自主的に延期しました。
(過去に精華大で寂しい思いをしたことがあるので)

でもなんだかお出かけしたい気分だったので午後から国立へ。
大学通りの(割と散りかけている)桜並木をずーっとあるいていくと、一橋大学に差し掛かる。
中に入りはしなかったけれども、乱立するサークル勧誘の看板を見て、
やっぱりこの時期はどこの大学も同じことをやっているのかな?と思う。
 
 

けれど、なんだか雰囲気が違う。
ナンだろうと思ったときに、ひとつのことに気づいた。

ムサビは紙のポスター(とDM)が主流なのに対して一橋は、
「サブロク判(約90センチ×180センチ)のベニヤに、ペンキか絵の具で絵を描く」
というものばかりでした。

木にくくられ、校門にくくられる、新入生に強くアピールする。

コレだけの言葉だと学生運動っぽい「ペンキ書きなぐり」をイメージしてしまうかもしれないけれど、
実際は「ごめんなさい、偏見持ってました」といいたくなる様子だった。

みんな同じサイズで、でも中身は各自工夫していて、
「牛乳に相談だ。」のパロディーあり、色彩構成の試験のような看板もあり、どれも本気モード。
それでいて(遠目だったから全部は見ていないが)仕事が丁寧なものが多い。
イメージとしては、中学のときのレタリングの授業を100倍に引き伸ばしたような「きっちり感」。
デザイン性とか言うと突っ込みを入れてくる人もいるかもしれないけれど、
どのサークルも(切実に)がんばっている様子が看板から伝わってきて、
美術大学の看板にぶら下がっている自分はちょっとあせる。

ムサビでベニヤ看板が少ないのはキャンパス環境が違いすぎるからとりあえず置いとくとして、
(校舎がコンクリ打ちっぱなし、板をくくりつけられる木が少ない、デカブツは生活課からの許可が要る、そもそも学生数に対するサークル数がやや少ない…)
ポスターの本気度とその裏にある熱い思いは、自分も見習うべきだと反省。

「ゆる〜い雰囲気」もいいけれどそれだけに頼らないで、
自己の新境地を開拓するような「ガチ」な努力も必要だと思った。
作品でもサークルでも。




›2008年04月08日

桃色が混じったシャボン玉のよう

実は今日、12下の優秀展で受付ボーイをやっていたのですが、
お昼ごろになると、ぴちぴちでフレッシュな新入生が学食にずらーっと並んで、
それはそれは圧巻でしたわ。

12下はいつも混むけど、展示室の入り口近くまで人がせり出すのは初めて見た気がします。
みんな一斉にご飯にありつこうとするから大変だろうけれど、
階段の目の前にある鉄格子群も展示作品だから、触ったり倒したりしないように気をつけてね。

4年生にもなると、新入生の大群を目の当たりにしてもあまり動じないようになりました。
2年前の今頃は、1〜2歳だけ下の人が入ってきたところで妙に動揺したのですが。
それだけ心が老けたってことですかね(汗)。5月で23歳ですし。
(同学年にもっと年上の人がいますが…)

現役合格した同級生はこの4月からサラリーマンになってるし、
1浪した友人は国家公務員になるべく猛勉強中で、
自分だけぷあぷあ気ままに生きているような気がして反省中。

そんな自分に喝を入れる、という嘘八百の理由をでっち上げて、
明日は最高学府に潜入しようともくろんでおります(え




›2008年03月19日

美を成す術(すべ)

遅くなってしまいましたが、みちくささんの日記でなんとなくわかったことがありました。


自分は総てのことに「正しさ」を求めすぎているようです(汗)。
 

だからキミ子方式の書き方が好きになったり(子どものくせして整った萌え絵を描けなくちゃと思っていたので)、
酒井式には苦言を呈しつつも「軸がないと不安になる」先生方には微妙に同情したり(微妙ではありますが)、
作品制作でも先生にほめられなきゃいけないような気がしたり(みんな言うことはバラバラなのに)。
だからアトリエから逃げ回った挙句「それっぽいもの」をでっち上げてお茶を濁す(ぶっちゃけ、無理矢理立体に置き換えていた)。

美術以外のところでも、
義務感がないとあまり動けない自分がいたり、
「好きにやっていいよ」で好き勝手やれなかったり、
逆に独善的な正義感を暴走させていわゆる「KY状態」になってしまったり、
個性重視・弱者救済が叫ばれる世の中だから、
「勉強が出来るから苦にならない」という古典的な優等生キャラであることに、
なんとなく疑問を持ってしまったり。


「正しい」を自分の中で不動の位置に持ってきてしまったために、自分をそこに拘束している気がします。
絶対全がもたらすジレンマに悩まされる自分、に酔いしれてしまったりも。
生産性のない自縛プレイです(オイオイ)。

自分はみちくささんとはたぶん正反対で、
もともとピアノが好きで(惰性と義務感で続けていたのでもうやめてしまったけれど)、
歌うのも好きで(自分ではうまいと思っていたが、歌い方が独善的であまりよろしくなかった模様)、
「ドを押せばドが返ってくる」という感覚には慣れしたんでいたことも、
もしかしたら強く影響しているかもしれません。

といってもそれだけが原因じゃないとは思いますが。
(言い方は悪いけど)前衛的でグッチャグチャなアートよりも、プロポーションの「整った」「萌える」漫画絵のほうが親しみがありますし、
前述の「KYな正義感」を狂信していたので「反発されることほど善行」なんてとんだ勘違いをしてしまったし、
中学までは(一応)がんばって勉強していたので、80点取れたことよりも残りの20点を落としたことに凹んだりもしましたし。
…なんかすごい嫌味な人間だな自分(汗)。
 

そんな「正しさ」を人生の軸に起きすぎていたからこそ、音楽の感覚についていけたのかもしれないです。
 
 
 
うん、どんどん自分が美術向きじゃない人間に思えてきた。
まあいいや、排泄的になってもいいから駄目なら駄目なりに表現していけばいいや。
 
 
 


›2008年03月09日

音を楽しむこと

昨日作った音源は結局、没になりました。
まあいいや、形にしてからわかることもあるし。
 
 

そんな音の切り貼りを楽しんだ後に読んだ、みちくささんの日記
コメント欄に書き込もうと思ったけど、長くなりそうなので日記にしてみました。
 
 
動画を見たときに、音階以前にに「モノとしてのクオリティーが低いかも」と思ってしまいました。
大掛かりな仕掛けの割には出てくる音のチューニングが微妙で、すでにピアノを習っている子だったら「これドレミじゃなーい!」と思いつつも、
本体に「ドレミ」と書かれているから言葉を飲み込んでしまう、という被害妄想をしてしまいます(しすぎですが)。

そこらへんの木をたたいた音が面白いから連打してみる、というくらいのレベルであれば楽しめるかもしれないですが、
電子楽器を使ってとなると、効果に対するコストが中途半端にかかりすぎている気もします。
(音楽ではなく個人的な電子工作と割り切って楽しむのならアリかもしれないですが、お店に並べる商品としてみると…)

500円くらいの雑誌で、小学館のおにーさんおねーさんも色々苦労していることだと思うので(売り上げ的な意味で)、一方的に批判するのは暴力的だとは思いますが、
出る音がホ長調なのは、もはや凡ミスだといわれても仕方がない気もします。
「円の角度は360度じゃない」という数学の世界を知っていても、それを小学校で教えると弊害が出てしまうのと同じように、
「ドレミといったらハ長調」が原則の学校音楽でも、最初から総てのコードを教えるのは難しいと思います。
学問の追求と、大衆的な普通教育が必ずしも一致するとは限りませんし…って、たぶんそこまで考えないで作ってしまったかも知れませんが(苦笑)。
 
 
この先の話は専門家じゃないと語れないかもしれないのでやめておきますが、
 

もうちょ っと『音を楽しむ』ための「音楽」のおもちゃを作ってほしかったなあ、と残念な気持ちになりました。

あと、みちくささんの日記でちょっと気になったのが「音楽の正しさ」という言葉。

教育的な「正しさ」が必ずしも「音を楽しむ」ことにつながるとも限らないので、ちょっと引っかかりました。
けれど理論的に反論できないので引っかかるだけにしておきます(笑)。
 
 
 


›2008年02月11日

面倒臭い赤岩

先日とある友人から、この日の日記は現職の人の気分を害するのではないのか、という指摘を受けました。

自分としては、友人からの一言から色々考えたことを書きとめただけのつもりでしたが、
今見返してみると、外部からの干渉にいちいちマジレスして疲れがたまったのを、愚痴るようにつらつら書いただけになってました。

もっと言うと、
「そんな鬱々とした状態を1から10まで認識してほしい。だから自分の現状を事細かに説明して、相手にうなずいてほしい」
そんな面倒臭いことを無意識に求めてしまう人間なので、熱くなるとついついしつこくしてしまい、相手を疲れさせてしまうことも日常茶飯事です。

そんなわがままな性格が、実はこのブログの原動力の一つだったりするのですが、
その記述内容によって気分を害された方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありませんでした。

そして今日も、そんな面倒臭い性格を発動させてしまって、人を困らせてしまった。


就職イベントでたまたま話をした女子学生に、自分が彫刻学科在籍であることを伝えると、
相手は「彫刻っていうと、粘土とかも?石膏とかもかしら?」と返事を返した。

自分としては粘土も石膏も「作品というよりかは原型の材料」という認識だったので、
(とはいえ作品として使う人もいるので厄介なのだが)
まずそのことを伝えようと一生懸命説明しようとし、
それでも相手の表情が晴れないのでブロンズとかプラスチックとかの素材名を挙げたりしたけれど、
それでもうまくいかないので、仕舞いには「例えばペットボトルに練り消しを押し付けたら〜」と、
割と専門的なマケットの概念まで持ち出したところで、相手が一言。
 

「へ〜、面白〜い」(棒読)
 

…やってしまったorz
 

彼女は彫刻を専門的に知りたいわけではなく、就職活動の合間の小話をしたかっただけなのに。
自分は(ろくに制作も勉強もしていないのに)コアすぎる話で納得してもらおうとしてた。
自分がすっきりしたかっただけなのに、それを相手が求めていると取り違えていた。
いや、わざと取り違えて、無理矢理押し切ろうとしたかった、のか。

いわゆる「KY」でも正義は勝つと信じて疑わない生き方をしてきたし、
しつこいくらい丁寧なのが礼儀なのだと思っていたのだけれど。

蓋を開けなくても自分は「KY=正義」だと思い込んでいた馬鹿で、
自分のわがままが世界の正義だと勘違いしていて、
マジレスは単なる趣味で相手には面倒臭がられていて、
おまけに自分自身には空回りな疲労感がたまる一方。


そんな生き方を変えていかなければ、「反省から学ぶ」や「失敗を水に流す」といったスキルを観につけることは無理な気がしてきた。

そしてまた今日も、読むのが面倒臭い日記を書きなぐっている。

何のためにムサビ日記を書いているのかが、最近わからなくなりました。
わからなくなったのではなくて、わからなくなりたくなりました(壊)。



›2008年02月06日

2007年度卒業制作展(4日目)とか

ヤバ、書くの忘れてた(汗)。
時間が空いちゃったので印象に残った作品だけ。

・「視覚言語の本」
県のシンボルマークにこめられた思いがどれだけほかの人に伝わってるかを検証。
個人的にはもっとやってほしかったけど、とりあえず千葉県の県章が「お星様じゃない」というのに違和感を覚えるのは自分だけではないようで。
でもこの観光用ロゴは伝えようとしすぎてる気がしますが…有名なデザイナーさんらしいので大声ではいえませんが(汗)。
うまくバランスが取れないの焦っているからなのか(行政的な意味で)、それとも今まで芸術分野に手が回らなかったからなのか(公立の美術高校が数年前にやっとできたし)。

・「2008歳のキリスト」(タイトル間違ってるかも)
いまどきの女の子による、デコメ・顔文字一杯のブログでの「信仰告白」…を想定して作られた本。
作者はプロテスタントの学校を卒業されていて、卒業制作でも牧師さんに助けてもらったとのこと。
エリートな聖職者ほど高貴ではないと思うけど、隣に座ってそうなギャルの日記を通して見る「GOD」は、
人生そのものとしての「宗教観」を教えてくれるような気がした。
(多分ここらへん、宗教と日常生活を別にして考えがちな日本人が弱いところなのかも)

で、卒制展も終わって。
追い出しコンパも終わって。
就活も再開して(やば、就活日記も途切れたままだ)、
今日は図工教室の生活についてガッツリ話し合って。

身の回りのことをいろいろ整えなきゃいけない時期に突入。




›2008年01月23日

朝、カーテンを開けたら

雪降りすぎ。そのまま閉めて不貞寝を開始しました。
学校には夕方から行きます。


というわけで、手羽さんに出されたお題を消化消化。
 
 
 
なぜ上を目指さないのか


高校受験と大学受験ではちょっと話が変わってくるので、分けて書いてみます。

【赤岩の高校受験の場合】
県内でもトップクラスの公立高校を志望してたのですが、自分の場合は手羽さんとは逆にずっと合格可能性が80%辺りだったので、むしろ都内の超・難関校もがんばって狙ったらいいんじゃないかと思われるかもしれませんが。
うちの地域は私立より公立のほうがステータスが高い(とされている)こともあるし、都内の学校まで通うとなると片道1時間半はかかるところでした。
自分の中でも、周りのオトナを論破したうえで3年間必死になって早起きすることにメリットが感じられず、結局は県内の学校だけ受験しました。
それでもそのうちの私立1校は都内からも受験されるような名門だったので、今でも「…よくあの学校に受かったなあ」と思ってますが。

…こんなことを書くと嫌味に思われる気がするのでできるだけ学歴ネタは自粛していたのですが(それでも十分かいてますが)、
自分としては某雑誌の投稿欄にあった、
「自分は国立高校志望だけど親は早慶に行けとうるさい。それでもめていたら挙句の果てに『そんなところに行くくらいなら就職しちまえ』といわれた」
という方よりはましかと思ったので、思い切って書いてみましたが(オイ)。
…極端すぎる例で申し訳ありませんが、現実にはこういう家庭もあるようです。

というわけで自分も「上を目指す」タイプとは言いがたいのですが、かといってがんばらなかったわけではなく(たぶん…)、
「1問も取りこぼさない」という感じで努力してました。
トップクラスの公立高校の場合は100点中90点以上取らないと合格できない場合が多く、試験問題は教科書レベルだとしてもその中で限りなく100点に近づくかが勝負の分かれ道だったので、
がんがん問題を解いて、ミスしたところがあったら即復習、って感じでした。
なので「攻め」より「守り」の要素が強い努力の仕方かと。下手にせめても向こう側が素直な問題を出すので。
 
 
 
 
うん、この頑張りが高校受験後も続けばよかったのですが(汗)。

自分のことを書き過ぎたので、周りの雰囲気のことも。
といっても、基本的に自分のことしか見えてない人間なので推測の部分が大きいのですが(汗)。

千葉県の公立普通科高校はこんな感じで学区制がしかれていますが
(…といわないと中高一貫校の人や、学区が撤廃された地域の人がわからないと思ったので一応フォロー)
学区の面積がもともと大きい上に、隣の学区の学校も無制限で受験できたので結構緩いです。
実家のある地域だと公立普通科だけでも100校から選び放題で、学区制限のない専門学科や私立高校も入れるとさらに多くなります。
といってもさすがに県の端っこにある学校は通うのが大変なので、現実的な選択肢はもう少し狭くなりますが。
 
 

この制度が総ての元凶だとは言い切れないのですが、「選び放題」の裏を返せば、「とりあえず、こだわりがなければどこでも入れちゃう」ということにもなるわけで、「必死にならないと後がなくなる」という状況ではなかったです。
名門校以外でがんばったところでなんとなく先が見えちゃうし、だったら変にがんばっても格好も効率も悪いし。

手羽さんのころはまだ高校の数が足りなかったのかもしれないですが(違ってたらごめんなさい)、自分のころは逆に少子化で高校の統廃合が始まりだしたころだったので余計にそんな雰囲気がありました。
 
 
もろもろの事情から「とにかく高校にいけるだけでも幸せ」という人もいたし、
「知り合いのいない、ちょっと遠くの進学校に行ってみたい」という人もいたし(そして彼女は良いとこの看護学部に進学)、
選択肢が広いことはいいところもあるんだけれど、広いだけだと何かが足らない。
権利だけもてあましちゃって、いまひとつ突き抜けることができない、煮え切らない感じ。
 
 
 
 
 
 
…うーん、ここまで書いてなんですが、なんだか人事のような書き方で反省。
あくまでも一個人の推測だとして流してください(汗)。
 
 
この項、続く。




›2008年01月18日

公務員の方ごめんなさい

2ヶ月くらい前の食事の席で、同級生の友達から言われたこと。
 
 
「赤岩は、公務員になったら?」
 
 
 
その理由として友達は、

1・頭はそれなりに良い
2・プライドが高い
3・人の話を聞かない
4・マイペース

を挙げた。

1については、あくまでも「美大生」としてのレベル設定で。
高校は学級にひとりは東大に行くようなオバケ学校でしたが、1年の3学期から常にクラス最下位だった自分の学力はそんなにたいしたことがないので、結局人一倍がんばらなくてはいけない。
2と3は…自分の思うことが通らないと満足できないんです、だから人を押しのけて場の空気を壊してしまったりするんです。
でも、それだと公務員は余計に務まらないはず、なのだけれども。

4にいたっては、
「9時5時で仕事を切り上げて、帰りにブックオフで本を買って、夜はそれを読みながらのんびり、なんて生活が君にあってると思うのだが」
と提案されてしまうほど。
 
 
以上のことはあくまでもその友達のイチ意見だとしても。
それほど自分は、人から見て「公務員体質」なのだろう。
良くも悪くも。

じぶんでも高校生くらいからそれを自覚していた。
そしてそれがずーーーーーーっと嫌でたまらなかった。
なあなあな感じで生きていて、低いノルマだけ足りあえずクリアして、それを超えるような向上心のない、
そんな自分を変えたいと思っていたけれど、結局は思うだけだった。
6年間臭いものに蓋をしただけであったことに、友達の発言でやっと気づけた。


良くも悪くも体質なんだから、それに乗っかってしまってもいいんじゃないかー、と思っても。
今度は子ども時代の記憶が邪魔をする。

否、子ども時代の自分を無理矢理引っ張ってきてわざと邪魔をしてもっらって、
本当に大事なことから目を背けようとしている。
 
 
 
 
 
 
 


ワイドショーの見すぎ。
一言で表すならそんな感じか。
でもここではマスコミの悪影響とかメディアリテラシーの問題とかは少し置いておいて、個人的な感情の話。

街のためにがんばっているはずの市役所の職員さんが、税金垂れ流しとかの問題で、カメラを向けられて責められている。
でも自分には、職員さんも「弱者」に見えて仕方がなかった。

例えば、税金垂れ流しのみょうちくりんな建造物を立てると決めたのは、テレビに映るこの職員さんじゃないとは思うのだけれども。
市長とか議員とか、お上の決めたことは否定してはいけないから仕方なく悪役に徹するしかない。

下っ端のおれだって「ちょwwwこの都市計画ありえないくらい自重www」と笑っちゃうくらい可笑しく思うけれど、
そんなこと死んでも口に出せないからぐっと飲み込んで。

テレビ上で非難を受けるための「的」になるしかない、そのように思われることが何度もあった。

もちろん、テレビに出るくらいだからそれなりの責任者なのだろうけれども。
小中学生だった自分には、非常に不自由な身分に思えた。
言いたいことが言える、それが本当の「社会」だと思ってたから。

今となっては、
『一般市民という「弱者」を守るストーリーを紡ぐ、「それなりの報道番組」を作るために良く使われる構図』
と受け流すことが段々とできるようになったけれど。

ちびくろの図工教室で実際の「イチ公務員」さん(教育委員会の方)とお付き合いするようになって、
頭だけで理解していた「役所のおじさんの仕事」が自分の中で具現化されてきてはいるけれど。

世の中目立ったモン勝ち、トラウマにしたモン勝ち、の情報化社会の流れの中で、
小さいころから育んできた後ろ向きな感情は、大学3年の今になって自分を縛り付ける。
でも結局縛っているのは、考えが浅はかだった自分自身。

ちょっと考えれば、会社「社会」も役所「社会」もお上に逆らえないことは大体同じだろうに、
公共性ゆえに後者の露出度が高くて、叩かれやすいからだろうに。
それに気づいたのは、トラウマで自己を構築しきった大人になったとき。
 
 

友達の「公務員になったら?」という一言は、割り切りも含めた前向きな助言だったのかもしれないけれど、
自分自身が過去の記憶に執着していたために、かえって不快感を覚えてしまった。
おそらく、その呪縛を自ら解きほぐさない限り公務員になろうとは思うことはないだろうし、
たぶん公務員試験までに渡航とも思わないで終わるだろう。


けれど、「自分に縛られている自分」に気づけただけでも良しとする…か?




›2007年12月16日

あと1年

「もう3年生が終わる」よりも、「あと1年で卒業」という意識のほうが若干強い今日この頃。
でもそれに対する具体的対処がわからないまま心だけ先走ってしまう。


3年生ながら「1年生へ10の質問2007」をやってみました。

(1)あっという間の1年間でしたか?それとも長い1年間でしたか?

だんだんと、体内時計の「1年」が短くなっていっている気がします。


(2)イメージしてたムサビ(美大)との「いいギャップ」「悪いギャップ」はなんですか?

良いギャップ:なんだかんだ言って教師も学生もハイレベル。でも自分はそれについていけてないし、付いていこうともしていなかった。
悪いギャップ:思ったより学外との交流が少ない。個人単位で動いている人はそれなりにいるけれど。でもそれは裏を返せば「ムサ美大好き」の感情の表れかも。


(3)入学する前にイメージしてた「自分に厳しい」生活はちゃんとできましたか?

そもそも「美大に入れば漫画家になれるかな」とか適当に考えていたので、自分への厳しさはもともとなかったというオチ(汗)。


(4)大学というお風呂は意外と「ぬるい」ことに気がつきましたか?

ぬるさに救われたところもあり、自分をだめにした部分も多かったり。


(5)でも、お湯がぬるいのではなく「ぬるくしてお風呂に入りたい人はどうぞ」で、ぬるくしてるのは自分なんだってことに気がついてますか?

ちびくろをガッツリやりたくてほかの部分のお風呂をぬるくしてたけど、実はちびくろでも割と受け身の参加態度だったことに気づきました。
なので未だに水温は40度を切っていると思う。春図教までには45度くらいに持っていきたい。


(6)実は熱いお湯に入ってる人が沢山いることも気がついてますか?

ちびくろやって、実技もきちんとやって、講義科目も落とさない上に課外講座のスタッフを務めて、おまけに就活も早くに成功させた某先輩。
あなたには頭が下がります。ちびくろでは超マイペースでしたが(笑)。


(7)「周りもたいした活動してないし」って実はサボってるあなたの周りにそういう人が集まるんであって、他の周りは違うことに気がついてますか?

低度情報化社会」でいうところの、「ネット上で馬鹿同士がつながりあって、どんどん馬鹿になっていく」というスパイラルのことでしょうか。
ネット上だけではなく、オフラインの現実社会でも十二分にあることだと最近実感しています。ヘタレ自慢、不幸自慢を中心としたコミュニティが。自分もそのタチだと思います(汗)。
問題は、自分が存在するコミュニティが「成長系」か「ヘタレ系」か、きちんと振り返らないと判断できないことでしょうか。
それはたぶん、現在の環境に対して疑問と不満を持つことから始まると思う。


(8)課題をちゃんとやれなかったことに対して「サークルや恋愛やバイトで忙しかったから」といつまで自分に言い訳し続けるつもりですか?

えーと…(汗)。


(9)「大学に入ったらアレをしたい。これもやりたい」がいくつできましたか?

あまりできてない、というか具体的な野望を殆ど持ってなかった。
ちびくろをやったことが、漠然とした願望への代償行為になったのかなと。


(10)ムサビ日記はもちろん買いましたよね?

執筆者特権で無料入手。
「ただでちょうだ〜い」といってきた先輩を半ばシカト。できればお金を出して買ってほしい。自分への印税はもう入らないけど(原稿買い切りなので)。

今の自分に必要なのは、漠然とした夢の構図ではなく、目で見てわかりやすい自己達成への段取り表だと思う。
就活とか、教育実習とか、卒業制作とか、卒業したあとの身の振り方とか。

そのためには一人で考える時間もほしいし、今の環境とは別のところにいる人とも話してみたい。
けれど、ほかにも今やっておきたいことがありすぎて、日々の忙しさに押し流されやしないかと危ない現状。



›2007年12月15日

自由に鳥が飛び回る、緑色の鳥籠

この日記を踏まえたうえでの回想。


小学生のころ。
とあることがきっかけで手に取った漫画の単行本からは、作者の織り成す無限の世界が広がっているように見えた。
それをいち早く我が手に入れたいがために、掲載誌は毎号買っていた。
その行動には特に疑問を持たなかった。

中学生のころ。
好きだった漫画がアニメになったとき、その出来上がりの悪さに愕然とした。
当時読んでいたアニメ雑誌(というかファンロード…)の投稿欄には、「お願いだから●●を打ち切らないで〜!」という、オトナの事情と戦うコアな漫画ファンの叫びが書き連ねられていた。
漫画やアニメを「売るもの」として意識するようになったのは、おそらくこの2つの経験からだと思う。

高校生のころ。
友人に勧められて(というか、あまりに世間知らずであることを心配されて)、オトコノコのステータス的雑誌を何ヶ月か読んだことがあるけれど。
誌面の裏に見え隠れする商業的攻防戦がつらく見えたし、そもそも雑誌の方向性が自分の感性に合わなかったので、結局読むのをやめてしまった。
世間一般の趣味に合わせられないことに若干の苛立ちを覚えたが、もともと少数派のポジションが好きだった自分の場合はそこまでストレスにはならなかった。

大学受験前:
ふと思い出した、幼少期に見たアニメの記憶。それを頼りにお年玉を握り締めて新春の神保町へ。
予備校のコンクールの採点時間に、20巻以上をオトナ買い。今考えれば受験生失格な行動だ(苦笑)。
その作品はメジャーというほどではないけれど、固定ファンが多い「知る人ぞ知る」タイプの傑作。
自分にとってのターニングポイントとなった作品に気づけたから、世間一般とは若干ずれていても結構平気。
ただ、その作品は4コマ漫画で連載ペースが比較的ゆっくりなので、雑誌をちまちま買うより気長に単行本を待つことにした。

今:
「漫画好き」といってるくせにたいした数を読んでいない。
世間一般で言われる王道作品を知らないので、思考は十分偏ってると思うし、漫画史の流れをいまいちつかめていない。
だからほかの「漫画好き」の人と話が合わない。

単行本では自由な夢が広がっているように見えても、その出典元の雑誌は、「ターゲットに売るため」のデザインがされていて、マーケティングがされている。
雑誌にもよるけれど、ぜんぜん「自由」ではない漫画家さんも大勢いる。やはり漫画は売れなきゃいけないから。
売れなきゃ業界自体が成立しないから。

でも「売れなくてもいい、それよりも良い作品を」ということになると、たぶんみんなの手の届かない存在になってしまう気がする。
勉強に勉強を重ねた一部の人にしかわからない、ハイセンスな世界。
それが業界標準になるとまず大衆的な広がりはなくなると思う。実験作品としてなら存在していいと思うけど。
子どもでも大人でも入り込みやすい表現だから、末永く支持されているのだと思う。
自分もそのうちのひとりである。


物語の夢を見続けたい自分はその現実とジレンマから目を背けたくて、漫画雑誌を否定的に見るようになった。
夢「だけ」見たくて、単行本だけ買うようになったのだと思う。
雑誌内での新たな作品との出会いを求めるよりも、商業臭さから逃げたいがために自分の守備範囲だけ守るようになる。
表現主義の引きこもりっきり。結局背伸びしてない、成長してない。
今は少しばかり緩和されたけれど、それでも漫画雑誌を買う気が起こらない。
一人暮らししてから、漫画に対して日々の生活を天秤にかけるようになったからだろうか。毎週の資源回収が億劫だからだろうか。

いわゆる「ファインアート」といわれる作品も、ルネサンス辺りなら教会や時の国王からの注文制作ばかりだったとは聞くけれど。
(薄利多売でかろうじて成立する)「いまどきの漫画」を、
(売れるのは二の次の)「いまどきのファインアート」のように扱うのはどうなのかな〜。と思ってしまう。
自分も人のことは言えないけれど。単なる勉強不足から来るものかもしれないけれど。
下手にちやほやしてしまうと、この先の業界構造がますます崩れそうだし、一読者としてもそんな現場を見るのが厭だ。


何でこんなことを書いたかというと、kokoさんの日記を読んだから。
現実らしきものを垣間見てから「漫画家になりたい」と思えなくなったけれど、
それでも漫画という表現方法は好きだから、いまでもWEBの端っこでうだうだ言い続けている。
今回は相当取り留めのない日記になってしまったが。
う〜、また間を置いてリベンジしたい。





›2007年12月06日

就職課面接(そのいち考察編)

前の日記を踏まえて。

就活はマイペースで進めようと思ってたけど、なんだかんだ言って焦っていたことが面接の場でわかった。
mixiの就活コミュではすごい勢いで学生団体主催のイベントの宣伝が書き込まれていて、自分はそれを見て「こんなガツガツしたくないなー、もうちょっとゆったりめに進めたいなー」なんて考えていたけど、結局情報に振り回されていたのは自分だったというオチ。いや、その手のイベントには行ってないんですけどね。

情報に振り回されるといえば。
本屋さんに並んでいる就職関連の本や雑誌はみんな超・大手企業を基準に書かれていて、
そういったところを狙う人たちは早めの準備をしたほうがいいから、すぐに役立つのだろうけれども、
自分は「大手命!!」なんてことは考えていないので、記事は流して読んでいたけれど、
そこから醸し出される「急げや急げ」の雰囲気には呑まれていたなー、と反省。
実際、就職課の職員さんも「アレは一般大学の人向けだから、あまり参考にならないでしょー」って言ってましたし。

自分は自分なり、他人は他人なりの違った事情があるのだから、それに応じた行動をすればいいんだな、とは思ったけれど。
それが初めからわからないから、変に焦って転んで凹んだり。

でも、面接してみて少しわかってきた気がする。

とはいえ。

もしかしたら美術以外の学部の人から見たら、職員さんの言動はのんきに見えるのかな?とも思ってしまう。
11月の時点で「今は業種を絞らなくていい」とか、「エントリーシートは会社が決まらないと練習できないよ」か、「選考がちびくろの図工教室にかぶらない会社にしよう」とか(コレには個人的事情があるのですが)。
ファイン系だし、「とにかく一流企業を目指す」というよりかは「まずは職に就いて生活を安定させる」ということを重視しているのかもしれませんが。
ほかの学校、というか、ムサビ内でもほかの科に比べればずいぶん優しいかも。

ただ自分は何かと空騒ぎするタイプなので、面接することによってブレーキをかけてもらおうかと思ってますが(オイ)。

ちなみに、またこの後しばらくして就職課面接をやったのですが、その前に書きたいことがあるのでまた今度。




›2007年11月29日

トラウマで良くも悪くも

高校の地歴公民の授業では。
理想と現実のギャップ、教育が子どもに対して「仕組む」面を持つこと、公正公平と言う言葉の難しさと胡散臭さを学んだ気がする。
これらが見えてから、政治経済のあらゆることを拒絶するようになった。
正直、社会科教育と言うものがつらくなったこともあったけど、それによってものを見る目を自分なりに創り上げられるようになった…と思う。
ただ、今まで6年以上世の中のことから耳をふさいでいたので、就活ではマイナスになる部分もあるとおもう。


【1年・世界史B】
自分が一番初めに赤点を取った科目(最終的には5教科の殆どで赤点を取ったけど)。
世界の時の流れをつかんでから現代社会の問題がなんとなくわかりやすくなったと思うけど、
覚えることが多すぎてドロップアウト。

【2年・政治経済】
夏休みの課題。自分は国民投票についての本を読んでレポートを書いた。
正直、投票制度のプラス面のことしかかけず、マイナス面をきちんとまとめられなくて悔しかったのに、
帰ってきたレポート用紙には「良い本を読みましたね」のコメントが。
もしかしたら先生は、マイナス面を挙げての注意喚起をしたかった自分の気持ちをがんばって汲んでくれたのかもしれないけれど。
そのときの自分は「世論誘導」という感じに捉えてしまい、凹んだ。

【2年・倫理】
この科目を、小中学校でいう「道徳教育」だと思い込んでいた自分も馬鹿だけれど。
脳内でいかにすばらしい思想や秩序が思い浮かんでも、いざ脳の外に出すとそれらを100%共有することはできず、結局はどんな体制も崩壊するような気がした。

【3年・日本史B】
高校3年間で激しく拒絶反応を起こした科目ベスト3。
(あと二つは現代文と…何だろう)
先生の歴史解釈が独特だなーと思っていたら、いわゆる左寄り(というか某組織系?)の見方だったらしい(と、右寄りなクラスメイトの指摘で気づいた)。
プチナショナリズム化が進んでた時代だったけれど、それとは対極の思想がにじみ出るのを聞くのも苦手だと思った。
先生の話を聞くのが、思想・心情とかとは別の次元でつらくて、
でも自分には「聞き流す」能力が備わってなくて(人の話を聞かなかったりするときはあるけれど)、
何回か仮病を使って、保健室に逃げたこともある。
教育の公正・公平性は大切だとは思うけれど、ひとりの先生が1年間の授業を抱え込む限り、
「中立」の2文字なんて、絵に描いた餅じゃねぇか――――――――――、と思った。
いまでは、「中立」とは達成するべきゴールではなく、絶えず目指すための指標だと思えるようになったけど。
それにしても話が激しすぎて(口が悪いわけでなく、攻撃するための論調という意味で)、
「なんとなく中立」思想に萌えていた(なんじゃそりゃ)自分には痛い喝だった。
先生自体は、(バツイチだけど)お父さんタイプで親しみやすい人だったけど〜。

【3年・地理A】
社会科の中で一番なじめた科目。NIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)をがんばっていた。
新聞記事をたくさん使った授業で楽しかった思い出がある反面、NIEの弱点も見えてきた。
例えば、時には記事も訂正すべき部分はあると思うけど、そのフォローがあまりなされてない気がしたりとか、
捏造記事は論外だけど、新聞社のスタッフの世論誘導で授業が振り回されそうで怖かったりとか。
ウィキペディアの記事では(11月29日の時点で)もっと指摘されてますね。こんな感じの疑問と不安を抱いていました)
でも前述4科目よりはずっと親しみやすかった。

と、就活用のクロッキー帳にずらずらと書き連ね、
自己分析のための自分史作りをしてみたら。


面接のときに、就職課の人に「コレはやりすぎでしょう」と苦笑されました。


確かに、書き上げてみたら「自分ってなんて僻んでて性悪なんだ」と思いましたし(汗)。

でも、それまでは学生の最低ノルマかつ受験における重要科目だと思っていた「社会」という科目が、
ここまで色々考え苦しむようなターニングポイントになっていたんだな、と気づけたのは良かったかもしれないです
ただ、気づいたところで、これからどうするかが問題ですが…社会問題から逃げがちだったから時事問題がわからない(汗)。
結局自己満足で終わりそうな予感。ヤバス。




›2007年11月13日

えすぴいあい

古本屋さんに新刊同然のSPI本があったのを勢いで買って、パラパラ読んでみて思ったこと。

これって、中学受験の問題じゃん。


自分は「一応」中学受験を経験していたので(本気で勉強しなくて全落ちしましたが)、
鶴亀算とか旅人算とかを「懐かしく」感じてしまうのです。
(図形や理科の問題は、高校受験の範囲も入ってしまうけれど)
そうか。半ズボンを穿いていたころに解いていた問題は、一流企業の入社試験だったのか。
だから難しかったんだ。そうなんだ。
そんな懐かしいものを10年後に出されたなら、張り切って再チャレンジしようと思いますよ。
少なくとも、就活であわててる自分は。


いまや中学受験は産業として花盛りで、行政側もちょっと商業臭いニュアンスを匂わせる今日この頃。
就職活動に関してもDMが一杯届くし、イベントに行くといっそう「商業臭さ」が酷くてつらくなる。
どちらも人生の岐路にあるイベントで、できることなら自分自身の力を信じて切り開きたいものだけれども。
正直わからないことだらけだから「誰か」の力にすがっているうちに、
いつの間にか「誰か」という名の営利団体に振り回されていて、思う壺になっていたりする。
進路すら自力でがっちり決められない自分の非力さを嘆くとともに、
マスプロな「オリジナルの人生設計」を提供される、詐欺臭い世の中が厭になる。


これで週刊誌とかの受験ネタで、中学受験の経験の有無による就職率の統計とか出された日にゃ、
もう、マスコミと受験産業と就職産業が裏でしっかりつながっている、と疑われても仕方がないと思うのだけれども。
たぶん多くの教育ママのはその雑誌にガッツリ食いついて、向こう側の思う壺にされてしまうのだろうなあ、

なんて、飛躍して僻んだ学歴観バリバリの被害妄想をしてしまう。


そんな性格の悪い事を考えながら日記を書いてる。
SPI本は、まだ一問も解いてない。




›2007年11月11日

アミバのトップを防ぎたかった。

はい。ハガキ職人だった赤岩です。

自分の場合はラジオではなく雑誌だったのですが。
「Fanroad」って雑誌です。
今回のタイトルでわかる方も多いでしょうね…ええ、シュミ特の一番はじめの項目になりたかったのですよ。
ろくにイラストを送ってなかったのに、馬鹿です。


今回はややオタク風味なので、ついてこれそうな人だけ続きをお読みください。

自分がはじめて買ったのは、「最遊記」のシュミ特のときでした。
存在自体は前から知ってたのですが。姉がセーラームーンのシュミ特のときに買ってましたし。
うちはオタク姉弟なのです(笑)。

もともと漫画絵が描きたかった自分は時々イラストを投稿してましたが…描くたびに(下手な故の)恥ずかしさを感じていたので、枚数はかなり少なかったです。絵で載ったのは1枚くらい。
それよりも文章投稿が異様に多かったです。一時期は封筒にはがき大の原稿用紙10枚分とか送ってました。
笑うのが不謹慎なくらい不幸なことが起こっても、FRでネタにすれば昇華させられるくらい懐が広い雑誌だったもんで、それに乗じてネタ探しが毎日の日課になりました。
2003年前後のバックナンバーを見れば、ほぼ毎号のハシラ部分に「赤岩」って名前が載ってるはずです。
恥ずかしいから引っ張り出さなくてもいいですけど(汗)。

中3からきちんと定期購読をしていたのですが、大学に入ってからは書き込みネタの昇華先がムサビ日記にシフトしたこともあり、投稿量は激減しました。
さらに、もともと自分が少年漫画が割と苦手であり、でもFRで少年ジャンプのネタが多いのに気持ちがついていかなくなったこともあり、大学2年あたりでちょっと読むのをやめてしまいました。
…ジャンプが苦手なのに6年間買い続けられたのもすごいですが、自分は「それ以外」の部分を楽しませていただいてたし、
なによりも、「ネタが載った!!」という幸福感がたまらなかったもので。

ただ、「ネタにする」という行為が目的化されて、脇の甘い発言が掲載されて反省することも多かったですが。
しかもムサビ日記でも現在進行中。反省できてない…!

思えば、自分の文章は「推敲を重ねて練り上げる」というよりかは、「ネタを一発当てていく」という感じであることが多い気がします。
それはおそらく、いや明らかにローディスト(ファンロード読者)時代に培われたものだと思うし、その延長線上にムサビ日記があるのだと思います。

それに、自分が表現したものが公に現れるときのうれしさが、美大に行こうと思う動力になったのだと思います。
高校時代には美術関係のことをやっていなかったのに(汗)。

そういえば、FRの美大生の日記漫画を読んでから美術大学への進学を考え出したっけ。
…「彫刻家になる」というには、すっごい不純で、的を得ていない理由だとは思いますが。
結果として(正統派の道ではないとはいえ)美術大学で楽しくやっていけた上で、自分を見つめなおして、進路をきちんと考えられるようになりましたし。

そこにいたるまでの素地を作る土壌になったFRには感謝です。
今度また買ってみようかな?あ、でも部屋がもっと汚くなる(涙)。


いま、自分のアパートの押入れには買いためていたFRのバックナンバーが仕舞われてます。
ダンボール3箱分(汗)。
部屋を片付けたいけど、気持ち的に手放したくないし、でも実家に送ったところでそちらの押入れの容量を削ぐことになるし、どうしたものか考え中です。
マスコットのカモノハシに、片付けの相談相手になってほしい…。



›2007年11月07日

中大理工白門祭

前回の日記はこちら


そのほか、気になった展示を二つ。

計算力学研究室
T君お勧めの研究展とのことで、行ってみました。
部屋に入ると向こう側に、前・横・床にグレーのスクリーンが張られた怪しげな一角が。
研究員さんに渡された眼鏡をかけてそこに足を踏み入れると…。

「うわ〜!!」

目の前に浮き出てくる西新宿のビル街と、そこを駆け抜けるビル風のライン。
風の通る道と強さを計算して出したデータを、可視化する研究をしているとのこと。
画像がないのでお伝えするのが難しいのですが、風がぐるっと回り込むのが3次元で見えてくるのですよ。
何かこう、ぐるっっと!回り込む感じが。
回り込みが描けないとデッサンが平面的になるぞ〜、ってそれとは違うかもしれないけど。

科学的データというと例えば天気予報のように、テレビの画面に映し出されるような2次元情報を思い浮かべがちですが、
風のような空間的現象だと、それでは確かに伝達力の限界がある。
そこで、回り込みを3D表現することでわかりやすく伝えると。
さらに研究員さんが持つコントローラー(プレステのものを改造?)をいじると、風の筋をたどって走る様子を見れるという、
ビバ・バーチャルリアリティ!な機能つき。
(本当に、画像がなくてうまく伝えられないのが悔しい)
なんか、ただ鉛筆で塗りつぶすデッサンから回り込みが描けるようにステップアップして、
やっとこさ「紙の中に立体を描いてます」といえるようになってきた気分だ(だからちょっと違う)。

ただ…欠点というと、

ぶっちゃけ酔います(苦笑)

自分が動かずに映像だけ迫り来るばかりなので、感覚のずれから10分位したら気持ち悪くなってしまいました。
乗り物酔いをしやすい人にはつらいかも。でもこればかりは人間の身体次第だしなぁ。
設備で何とかするというのも難しそう。
すでに1億掛かってるらしいですし(T君談)。
 
 
 
物理学研究部

読んで字の如し、物理学を研究する「部活」らしいです。
自分としては、「え?学科じゃないの!?」と言いたくなりましたが、
そんなこと言ったらムサビだって「版画部」も「ガラス研究会」もありますし(ちょっとニュアンスが違うけど)。

で、ここを取り上げた理由はずばりコレです。

hakumonsai03.JPG

hakumonsai04.JPG

hakumonsai05.JPG

hakumonsai06.JPG


動画じゃないのでわかりづらいですが、こいつが結構コミカルな動きをしてるんですわ。
(ネット検索したら、これの4番にCGでの再現がありました。短いですが)
コレが廊下にあるだけでも雰囲気で「勝ち」だな、と。

結構長いことチョコマカ動いていたので、自分は「永久機関的なことを表現したいのかな?」なんて思ったのですが、
実際は「カオス振り子」と言って、「カオス理論」なるものを基にしたものだそうです。
非現実的な方向に想像をめぐらせてしまう時点で、「美大生だけど理科好き」なんて言ってられない…。

カオス理論と言うのは「不規則っぽい動きの中にもきちんとした法則性はあるが、それを予測するには膨大な情報量が必要な上、微妙な差異で大きな誤差が生じる(だから計算するのはほぼ不可能)」…って感じでざっくり言っていいのかな?
ウィキペディアでの説明はこちら…ってわかんないです(汗)。
たすけて音量子さ〜ん。
 
 
 
 
ここからは個人的に思ったことを。

中央大学は理工学部だけ後楽園キャンパスで、それ以外は全部多摩キャンパスで授業を行っているそうです。
文化祭もまったく同じ日に多摩の「白門祭」と後楽園の「理工白門祭」とで二分されているため、どうしても理工のほうは寂しくなってしまうとのこと。
とある展示を訪れたときなんか「こんな寂れた文化祭ですが…」なんていわれてしまいましたし。
たぶん、人でも少なくて大変なんだろうなあ、なんて想像してしまったりも。

ですが、その分「文化祭に最低限必要な要素」はきちんと押さえてあった気がします。
模擬店があって、ステージがあって、サークルの展示があって、
(理系の学校だから)研究室を開放したりして、アイドル(夏川純)のトークショーなんか催したりもしてる。
人数が少なくても、多少装飾が少なくても、きちんと文化祭してると思う。
「お客さんが少ない」のはともかく「要素が欠けてる」訳ではないから、特に卑下しまくることはないと思うんだけどなあ。
確かに芸祭のカオスを知っていると、少し寂しく感じてしまいますが(汗)。

一方ムサビは、中央広場は圧死者が出るんじゃないかと思うくらいの賑わいだし、
装飾は過剰なくらいがんばるし、展示は逆に多すぎて今年は制限が掛かったくらい。
盛大なのはいいけど、理工白門祭みたいなシンプルな文化祭を見ていると、
お祭りを派手にすることが、いわゆる手段の目的化になってしまって、変に一杯一杯になってるんじゃないかとも思った。
苦しいけどその後すごく楽しい、はずなのに、なぜだかいつまでも苦しい、みたいな。

とはいえ自分としては芸祭ならではのカオスっぷりがある意味快感だし(笑)、
あの異様なまでに凝ったパンフやサインシステムも、それをつくる過程が実践的なデザイン学習として生かされているのかもしれないし、
展示だってきちんとやりきればちゃんとしたキャリアになるだろうし(自分なんかが言う台詞じゃないけど)、
何よりも、楽しい空間を作り上げるってことは貴重な人生経験になるし、来年もまた進んでやりたいと思えたのは大きな収穫。
芸祭にも理工白門祭にも大事なのは、目的を見失わずに限界まで盛り上げていくことなのかな。
(だから、必要以上に凹まないでね、ヤ・ス・タ・カ…笑)


と、我ながら臭い台詞を言ったところで、現実的な突込みを。あまりたいしたことはないとは思いますが。

理工白門祭の展示企画で気になったのが、「お客さんへの見せ方」について。
ある教室をのぞいてみたら、展示の内容も入り口に掲示してないし、ドア近くの机に部誌がポンと置いてあって、部員は奥のほうで駄弁っている…なんてシチュエーションを何件か見かけましたが、割と萎えました。
サークルだから内輪で楽しみたくなるのはわかりますが、一般開放された文化祭ですし、もうちょっとウェルカムオーラを出してほしいなぁ、と思いました。
インパクトのあるポスターを貼るなり、お客さんが困らないような対応をとったり。通りすがりの人が部屋に居やすくなる工夫があるとうれしいです。
そういう意味では前述のカオス振り子はよかったと思います。でも、展示ではそれに触れたものがなかった気が…。
あとは、お客さんに楽しんでもらう展示空間も。
パネルを立てたり掲示物を集約させたりして、「展示」と「プライベート」の仕切りをつくるとか。
展示も、部誌をポンと置くだけでなくキャプションや掲示物をがんばるとか。
美大のようにパネル張りまではしなくていいから、せめて模造紙とかに説明を書いて、お客さんの興味をひきつけるとか。
これ以上言うと長くなるし、最終的には各々の展示で考えることだけど、
せっかくいい研究をしていてもお客さんに伝わらなきゃ損じゃん、もうちょっと見せることを考えてほしいな、
ということを言いたかったわけで。


…ムサビコムで長々と書くことじゃないだろうけど。
まずもって中大理工の人は読まないだろうし。
やばい、結局独り言の押し付けじゃん。
キモイわ自分。
キモイキモイ(汗)。

でも他の大学を見て気づいたことなので、自分自身のために書き残しておきます。

Posted by akaiwa at 21:25 | Comments [2] | Trackbacks [0]

›2007年11月04日

多摩美芸祭、中大理工白門祭(そのいち)

昨日は多摩美に行ってきました…が。

めまい(?)のため途中退出。

自分は疲れていると地震の縦揺れを歩いているような感覚に陥るのですが、
久しぶりにそれが来ましたわ。
普段は疲れるほど動いてないことがバレバレですが(汗)。

とりあえず、今回多摩美で一番驚いたこと。
 
 
新校舎に、オサレなベーカリーカフェが出来てる…。
 
 
ムサビの2号館建設中には「テナントでスタバが入る」というデマが流れたらしいですが、
これで多摩美にぐっと先を越された…ちと悔しい。
でも、食券を買ってカウンターに並ぶあたり、学食臭は否めない。
 
 
 
で、今日は水道橋の中央大へ。これで文化祭3連続(笑)。
というか、非美術系大学の文化祭初めてだったり(日芸は美術系とみなしてます)。
友達のT君が鉄道研究会の展示をやっているとのことで、ちょっと気になったので行ってみました。
 
 
 
で、その光景を。

hakumonsai01.JPG

hakumonsai02.JPG

写真ぶれちゃってごめんなさい。
でもこれ、手のひらサイズの模型なんですよ。上の写真のはHOゲージというらしいです。
(「らしい」ってあんた…)
これが教室の中心をがーーーーっと走り回る。
鉄道模型というとミニマムなものだという思い込みがあったので、期待以上のものが見れてよかったです。
因みにこの模型、とても細やかな仕事をされたものなので、一編成あたりのお値段は(安くても)自分の仕送り額くらいします(汗)。
今回の展示の総額は、40〜50代公務員の月給くらい…?
なので、T君は展示の見張りをやりながら予算交渉の資料をまとめてました。
で、下の写真はNゲージ…だっけ?(汗)。つくり的に建築学科とかの課題を思い出してしまいます(笑)。
駅舎そのものは既製品かもしれませんが、それにLEDをつけて、電池ボックスをつけて、
夜中の駅の雰囲気を出せるようにしてました。LEDはざっと100個買ったらしい。
すごい熱意と、それを具現化するための努力…やばい、負けてられない(汗)。
夜中の鉄道風景を再現している様はとてもきれいでした。
教室全体の雰囲気がよかったのに、デジカメが安くてうまく写真に収められなかったのが残念なくらい。

T君は高校のときも文化祭でNゲージを走らせていたこともあり、
その経験を生かして、展示に来てくれたお客さんに楽しんでもらうことを考えていたとのこと。
実際には家族連れや女性3人グループが来たりするらしく、
鉄研だからといって鉄オタ向けにしすぎないよう気をつけたようです。
純粋に「これいいね!」って感じで理解してもらえるようにしたい、とmixiの日記に書いてました。
実際そこまで鉄道に詳しくない自分でも、部屋の電気を消して夜間走行の雰囲気が演出されたときは、
素直に「きれい!!」って思いましたモン。

ここからは自分の意見ですが。
今でこそ「鉄子の旅」や「タモリ倶楽部」ががんばってくれているけれど、
ちょっと前までは鉄道趣味というと、入れ込んでいる人とそうでない人での温度差は相当あったはず。
非オタの人は必要以上に煙たがるし、オタの人はそれを見て余計に内輪に走る、のエンドレスループ。
自分が楽しければそれでいいってのもあるけど、一般公開された文化祭で「それ」だと見る側はつらいというか…。
だからT君の「楽しんでくれるための演出」って、見せる側だけでなく見る側としてもうれしいし、
そこから相互理解が少しずつ始まるかもしれないし。

白門祭の話、まだまだあるので明日に続く。
カオス振り子とか〜、ビル風分析の3D体験とか〜。



›2007年10月15日

じぇねれーしょんぎゃっぷ

保守的な大人が懐古主義に走るとき、「最近の若者は(以下略)」というけれど。
二十歳(ギリギリ)ちょっとすぎの自分も、「最近の子どもは(以下略)」と思うことしばしば。
まあ、ちびくろをやってるからなんですけど、まさかこの年でこのせりふを言うとは。

最近そう思ったのは、切符の絵を描いていたとき。
長方形の左下に、M字型の切れ込みを入れたときに、
「今の子って、この形が切符だってわからないんじゃないかな?」と気づいた。

自分はいわゆる「カチカチ」を知っているギリギリの世代だとおもう。

現代美術館も都営大江戸線もなかったころの清澄町(今で言う「清澄白河」)に住んでいた、幼稚園のころ。
営団地下鉄(現・東京メトロ)の門前仲町駅で、駅員さんが手持ち無沙汰で改札鋏をリズミカルに鳴らしていたのを記憶している。
軽く騒音になってたけど、見ていて楽しそうだった。

その後、改札鋏からホチキスみたいなスタンプになり、
しばらくしたら駅員さんが自動改札機に置き換えられていき、テクニカルな改札風景に。
今では東京はおろか、茨城の岩間でもsuicaが使えるんだモンなあ(簡易読み取り気だけど)。
平成2桁生まれには、「切符を手作業で切る」なんてわからないだろうなあ。
せいぜい自動改札でのパンチ孔くらい?

どうしよう、おもちゃ屋さんの「駅員さんごっこセット」とかに改札鋏がなかったら。
アレがなかったらどうやって切符を処理するんだ。
もしかして今はsuicaみたいなICカードが入ってるのか?
それじゃあ何か「ごっこ遊び」の味わいが少なくて厭だ。

今度、調べに行ってこよう(え

★今回の参考資料
「鋏こんデータベース(「旅と鉄の盲腸」より)
自分がすぐに「M字型の切れ込み」を思い出すのは、たまたま門前仲町がその型の改札鋏だったからなのかな。
あとは漫画の影響かな?むしろそっちのほうが大きいかも。
ちなみにはしもとみつおの漫画「STATION」(マイナー?な漫画でごめんなさい)の「新新宿駅」は三角形の鋏痕でしたが、モデルになったであろう実在の新宿駅は違う形でした(詳しくは↑のサイトで)。

「相鉄モノ中古品ドットコム」より鉄道グッズコーナー
今は休止中ですが、鉄道会社で使い古しのものを通販してたんですね。
1本3500円とは、案外高い。
でも鉄道ジャーナルかなにかを読んだときに見た広告では、6000円のものも紹介されてたし。


…やばい、後半がオタク臭くなってしまった。




›2007年10月04日

つくづく思う

やっぱり、頭ばかりでなく手を動かしながら考えたほうが手っ取り早いよね。

と、ちびくろの活動合わせの試作をしているときに思い出した。
彫刻学科だろてめえ、といわれてしまうかもしれませんが。


そしてそれに気づくきっかけとなったのが、
友人の、この前の日記に対する雑感を聞いたからなんですが…うがが。


熱い思いを煮えたぎらせてるときに限って、それが単なる思い込みや勘違いだったりしがちの私です。




›2007年07月21日

だって、どうやって教えればいいかわからないんだもん

ウィキペディアの医学系記事を渡り歩いていたら、
いつの間にか「酒井式描画指導法」の批判サイトにたどり着いてました。
(酒井式についてはこちらを参照のこと)
そのせいで頭がモヤモヤ、夜も眠れナイト(いや、もともと生活が崩れてますが)。

うーーーーーー、判断材料もあまり持ち合わせてないし、
頭の中の考えをいざ打ち込もうとしても、自分の中で整理でき無くてアウトプットしづらい状況。
なので相当砕けた文体にして見ましたが、不快感を覚えてしまったらごめんなさい。

酒井式を否定するのは簡単で、自分もあまりお勧めはしない立場ですが、
でもこれをすすんで実践する先生の気持ちはわからなくも無いです。

たとえば小学校の先生は、全教科を教えることを前提に養成されます。
詳しい理由を知らないのですが(すみません、勉強不足で)、どうやら「何でもできる人」のほうが小さい子どもを教えるのに適している、という考えのようです。
確かにスーパーマンな担任の先生と一緒にいたら、色々な刺激を受けることが出来て面白そうです。
花の名前を教えてくれたあとは、原っぱで元気よくサッカーしたり…ちょっと安直かな?

けれどそんな夢のような人材、そこらに転がってるかぁ?とも思ってしまうのです。
…現場の方すみません。でも人間には少なからず得手不得手があると思うのです。
仮に赤岩がきちんと国立大学の教育学部を出て、
厳しいといわれている(けれど普通の企業と比べたら…?)教員採用試験をパスして小学校の先生になったとしても、
もともとが非力なので、体育の授業には全っっっっく自信がありません。
5・6年男子に振り回されそうでガクガクブルブル。

…いや、自分を例に出しちゃいけないか(汗)。
でも「図工」や「美術」って、好き嫌い・得意不得意の出やすい分野だと思うのです。

筆記試験みたいに判断基準がバシッとしているわけではないし、その分努力のベクトルを定めにくいし、
器用不器用に左右されやすい部分も多いし、
「ぐちゃぐちゃでもいいから自分の思いをぶつけてごらん」なんていわれても、
でも100点を目指そうとして(目指さなきゃいけない気がして)「整ったもの」をつくろうとしてしまう、
いい子いい子することがその子の自我を確立する手段になっていたら、
自分の思い=相手の評価を高めることは切実な問題。
けれどそのための技術は無いのでお茶を濁す。そして自己嫌悪。
中学ならそれに加えて、難しい高校に行くための内申点が気になってしまい「冒険」なんて無理無理無駄駄々ーん。
はい、受験勉強系のHPに「先生に色々聞いて、気に入られやすい絵を描こう」とあったので実践してみました。
だって美術高校に行くわけではないんだもん。自分の世界なんてナッシング。

…脱線してしまったので戻しますが(ごめんなさい、少しふざけすぎました)。
全国の小学校の先生全員が、必ずしも図工が得意ではないし(得意という言い方も微妙だけど)、もしかしたら「芸術なんて超わけわかんねえ、自分はバッサリしたわかりやすいのがいいの!」なんて思っている人もいるかもしれない。

でも現実問題、小学校の先生は「図工」を教えなくてはいけない。
東京都は採用の時点で美術の専科枠(中学の免許でも小学校の美術の先生になれる)があるけど、
そんな自治体は希少価値ものですし、都内でも僻地まで美術の先生がやってくるかはわからない。
(主に予算と法律と当局のパッションの問題で)

大学の授業や採用試験の勉強で、図工教育の意義や目標はさんざん勉強した。

けれど、いざ子どもの前に立ったら、具体的には何をやればいいの?


水彩画をやるって、どんなものを描かせればいいの?
色を混ぜすぎて茶色くなった絵をどう評価すればいいんだろう。「汚く」なっちゃってる。
「思うようにかけなくて厭!」って言う子をどうしよう。元気がいいところをほめたいけど、意にそぐわない評価に本人が逆に凹んでしまった…。
こっちは端っこにピカチュウ描いてるし。描きたいものを描いてて楽しそうだけど、教育的にはどうなのかなあ。
で、この子は飽きちゃってる模様。中学受験するからって、受験以外の教科をなめてかかってるのはいただけない。

うーん、今日も何とか2時間「乗り切った」。
本当はもっといい授業をしたいけど、国語や算数に時間をとられてなかなか研究できないからどうしよう(涙)。

※※※※※

…自分の妄想が多分に入ってしまったうえ、まずい表現も使った気もしますが。
正直「乗り切る」状態の先生って、少なくない気がします。
美大出身者でも、小学校で求められる「図工の授業」はまた別物で苦労をすると思います。


乗り切るためには、高尚な思想の字面に萌えるだけじゃやっていけない。
だから具体的な実践例がほしい。
それも美大に行かなかった人間でも出来そうなくらい入りやすくて、
なおかつ実績が多そうなものを。だって心細いもん。
 
 
と思って本屋さんに行くと、酒井式の本ばっかりだった。
だからそれを試してみる。
というか、それしか試せない。ほかに具体例があまり無いし。
第一美術の専門家じゃないから判断できにくい。
 
 
※※※※※

結局妄想ばかりになってしまって身の無い文章になってしまった…。
学校の先生の気持ちの面から考えて書いたつもりですが、論点がずれてしまいました。
美術の授業におけるメゾット先行の弊害については、
色々思うことがあるのでこれからも書いていきたいなと思いつつ、
実は教員になるパッションが年々低下しているので(汗)素人がわかった口調で書くのもどうなのだろう、とも思います。
研究するだけならどっかの大学院にすすんで論文を書き上げることもちょっとだけ考えましたが、
自分の教育熱の温度と、なし崩し方フリーターになりそうな自分の性格と、自分の勉強のしなささとを、
両親とも病気をしている家庭環境との秤にかけたら、どう考えても後者の比重が高いと判断した次第です。
というわけでとりあえずムサビ日記で言うことは言って、あとは赤門をくぐって勉強する妄想をする事にします(後ろ向きだ…しかもなぜ赤門)。


正直、自分は「元気のある絵」より「整った絵」のほうを描きたい人間だったので(今でもですが)、
完全肯定はしなくとも完全否定は出来ないです。むしろ肯定も否定もしたい感じ。

小学校5〜6年のころ(酒井式では無いけど)「キミ子方式」を習ったことから、
漫画のように(?)「整った絵」を描くという一応の幸福追求を達成したことがあったので、少し複雑な気持ちなんです。
あくまでも「一応」なのですが。

…まとまらない。どうしよう。とんでもないことに足を突っ込んでしまった。
思うことあって、美術からも教育からも一歩下がってみたかったのに。
いや、下がってしまうのは「国民の義務」に反するのですが。
でもでも…ちょっと沼から上がりたい。でも無理。




›2007年06月18日

「制作」は「実験」と読み替えます

オープンキャンパスはあまり見れなかったので、ブログの話題としてはスルーします。ごめんなさい。
ともかく、手羽さんお疲れ様です。

今日はFRPのレクチャーを受けました。
一身上の都合により(苦笑)2年生に混じっての授業でした。

薬品の臭いと、素材のケミカルな感じから今まで食わず嫌いでいたのですが、
目の前で先生がいじる樹脂の、
色が変わったり、
粘り気が出てきたり、
薬品が加えられたり、
だんだんと固まったり、
手違いで湯気が出てきたり(汗)、
そんな様子を見ているうちに抵抗感が薄れてきました。
むしろ「今すぐ自分にやらせろ!」という気持ちに。


この感覚は、理科の実験のときのそれに似ている気がします。


自分が小学校5〜6年のときに、担任の先生に恵まれたおかげで理科の実験を好きになって、
中学にあがっても薬品を混ぜたりするのが楽しみだったりしたおかげか勉強もはかどって、
受験でも理科が「好きだし得意な科目」だったおかげでほかの科目もがんばれた気がします。

高校になると実験のうえで専門的な分析をする必要性が出てきて、
最低限の努力しかしない自分はモル計算とかから逃亡したので成績はがた落ち。
でも、理科の4分野(物理・化学・生物・地学)を一通り勉強させてもらったことから見えてくることもあったし、
自分の場合は生物の先生と仲良くなれたのはかなりの励みになりました。
なので3年になり理科が選択必修になったときも、迷わず生物を選びましたし、実際の授業も「当たり」でした。
文系クラスで授業時数に余裕があったので、理系クラスより実習が多かったのです。
鶏の解剖もやらせてもらえましたし、手と動かすことが多かった気がします。

そのころはプライドに見合う努力をするなんて気にすらならなかったし、
学校のテストはほぼ放棄していたので赤点の常連だったし、
進学に対する危機感も義務感も無きに等しかったのに、
受験教科の中で「好き」といえる分野があったことはかなりの救いでした。
特に、クラスで1〜2人は東大に進む子がいるような高校にいた人間にとっては。


ノリと勢いと現実逃避で美大生となったあと、
自分の興味や適性・思考パターンを分析しているうちに、
理系の進路をとらなかったことを少しだけ後悔することがあったのですが、
今日のレクチャーを受けた後しばらく考えてみて、
もしかしたら、今までの理科経験を美術に還元できるかな?なんて思ってみたりしました。
…論理は相当こじ付けなのですが(汗)。


というわけで明日からしばらくは、
そんな昔の理科実験を思い出しながら、樹脂を型に塗っていこうかと思います。
実験なので「美術」が仕上がるか怪しいですが、
そもそも自分の中に美術の素養が少ないですし(汗)。
まずは手を動かさなきゃ。



›2007年06月08日

つくろう、まずはそれから…つくろう、まずはそれから。

タイトルは、ウルフルズの曲「あそぼう」をいじってつけました。

書き込みは10日ぶりかな?
お久しぶりの赤岩です。

2年の冬から3年の第一課題にかけて、あんなに彫刻制作から逃げたがっていたのに。

今日はしばらくぶりに水粘土を練っていました。

頭でコンセプトをがっちり考えてから物を作ろうとすると、自分はついつい妄想の脳内完結で満足してしまうので、
今回はまず手を動かしてから自分の方向性を考えることにしました。

塑像用の回転台を運んでいるとき、助手さんから「この前の作品とのつながりはあるのかい?」と指摘されてしまいましたが、
今現在行き当たりばったりの自分には、確固たる制作テーマなんてあったもんじゃないです(汗)。
でも、そこでまた下手くそに思索の世界に入ると精神的引きこもりになってしまうので、
目の前の立体という現実世界と対話しながら、一歩ずつ進んでいければと思います。

…なんて、この考え方自体が机上の空論かもしれませんが。

とにかく、今は作品を仕上げたいです。
というより、仕上げなきゃ。




›2007年05月17日

いろいろと

バランスが取れない。

ちびくろの活動とか。

30日講評の作品とか。

部室が狭くなることとか。

残高がそろそろやばいこととか。


自分の情熱不足、メリハリ不足でうまくいかない。


でも楽しい。忙しいけど。


でもちょっと苦しい、かも。


もっと耐性のある人間になりたい。

けど、すこーーしだけ風邪気味かもしれない。
麻疹ではありませんように…来週ちびくろの活動なんだから(結構切実)。



›2007年05月10日

昨日のテンションは何だったのだろう

もう正午ですが、未だに家にいます。
昨日の夜は、神経が異様に冴えていたので夜中の3時になっても寝れませんでした。
その間は作品制作のことを、ずーーーーーーーーーーっと妄想し続けていました。
いままでのウジウジは何だったのだろう、というくらいのハイテンション。
赤岩の夢は夜開く、ってか。

で、今朝は毎度おなじみの二度寝三度寝。
おまけに胃がまた痛くなってきた。
遠足当日に限って高熱を出すガキみたい。
作品制作はまた自主延期。

やっと起き上がっても、シャワーを浴びながらぐったりずるずる。
精神が凹んでいると、被害妄想にとらわれてしまう自分。
その重荷の内容は、あまりにも自慰的過ぎて書く気になれない。
自分、悲劇のヒロインぶりたいジコチューなんだ、と言う感じ。
そのジコチューのために、タオルに石鹸をつける気力もうせたのだけど。

今日は彫刻学科の新入生歓迎会。
やっとこさ体が起き上がったので自分も出るつもりではいるけれど、
ストレス性の胃炎のため、医者から禁酒を命じられています…。
いいもん、どうせすぐ酔って人に迷惑かけるし。



›2007年05月09日

へこみスパイラル

この前の記事を読んだ友人から、「自分の弱い部分を見せてるのが意外」みたいなことをいわれた。

自分、明らかに強くないです。肉体的にも精神的にも。
なので日記の上で強がることは出来ないです。
書き始めのころは模範生っぽくしようと努力はしたけど、根っこがそんなよくないので、
結局自分のグダグダ感炸裂の文章になってしまって、最近は少しずつ開き直ってきています。
自分は弱いんだ、というところから自分を見つめなおしている今日この頃。

一方で、それは自分をか弱いキャラに見せることで「いい子いい子」してもらおうとする、結構卑怯な手段にも思えるのです。
人の意識を独占しようとする、無意識な偽善行為。
優等生ぶりっ子(…現実には、成績以前に出席も危ういが)。
そんな自分にも嫌気がさします。

客観的に自分を見る、という言葉は机上の空論っぽくてあまり使いたくないので、
自分を突き放して見る、ということを手段にして前に進みたい、進みたい…。

二度寝三度寝のあとの不快感と罪悪感から、最近はアトリエにいることが極端に減りました。
もともとサボりんぼなのは自覚してますが。
ちびくろをやってなかったら、今頃飢えながらアパートで引きこもりになっているかも、という被害妄想をシバシバします。

とりあえず、明日こそアトリエの中で建築行為をしよう。
大掛かりなことをやるので、迷惑をかけたらすみません。


明日こそ…と、自分を追い込んでみる。




›2007年05月06日

20過ぎると

不摂生が体に現れるのが早くなるなあ、と実感し続けているここ2〜3ヶ月。


体が大きいものの、内面はかなり弱いです。
ちょっとしたストレスですぐ胃を壊します。
内臓もメンタルもちっと繊細すぎます。

肩幅はありますが、体の前後は薄いです。
裸の状態で横から見ると、胸板より腹のほうが出っ張って見えます。
今まで「胸板が薄いからだ!腹筋が無い分内臓が前に出てるんだ!決して太っては無い!!」
と思うことにしてましたが…そろそろ現実を見なくてはいけないようです(汗)。
暴飲暴食は控えたい…けれど、下手に食事量を減らすと精神的に落ち込むので結構微妙。

体力無いです。小さいころ、たぶん小学校に入るころまでにはすでに、
「如何に体を動かさないで、超効率的に生きてゆくか」を人生のテーマとしていたので、
外遊びの経験も極端に少なくて、学校の体育の時間もテンションが低かったです。
アトピーのせいで「汚れる」ことを無意識に避けてたのかもしれないし、
学区外通学や転校経験などで遊び友達が少なかったことも原因だとは思いますが…。
そんなのは単なる言い訳にしかならず、20過ぎてしっかりとツケが回ってきました。
今はとりあえず、朝早起きして走ることからはじめようかと思います。
中央公園3周で疲れて、翌朝起きられなくなりましたが…ひ弱すぎ。

ちびくろのOGさんに手相を見てもらったときにも、
「体力が足らないでしょ?気疲れも心配だわ」って言われたし…凹。




›2007年05月01日

「好きです、いえないけど…(BY河合奈保子)」という台詞には程遠い

「赤岩が本当に好きなことって何!?」
 
とっさに聞かれて、無言のままでいた自分。
 
 
「好きなこと」はそれなりにあるけど、
「本当に」とつくとみんな取り下げてしまう。
それほど情熱的に入れ込む経験がないからだろうし、
そうしようとも思わなかったからだろう。
 
 
あとは、
ハッタリでも「好き」といえる潔さと、
そこから次の道を切り開こうとする精神も。

昨日といい今日といい、友人の言葉で日記を書いてしまった。
しかも殆ど同じ内容だし。

…いまさらだけど、これは無断転載かもしれない(汗)。
友人の言葉をもとに自分を見つめなおして、
自分らしさ=オリジナリティとしているけど、
結局同じ悩みどころでループしているので(しかも脱出しようという努力が足りない)、
言葉を借りるだけで終わってしまう。
他力本願、もっと自分の言葉で語りたい。
けれど最後は借り物競争。



›2007年04月30日

自分直視してみるフリ

自分、もの作るの好きじゃないかも…。

この前友達と赤岩の今後について色々話した
(というか、あきれられたというか、心配されたというか…)
ときに、↑のように考えていないか?と指摘されました。
(以下、内容はややうろ覚えです…汗)

「アトリエでもくもくと制作するよき美大生」
というタイプではない自分は、そのことを恥じている、と思いきややっぱり制作から逃げていて、
友達には「それは制作が好きではないからじゃない?
本当に制作が好きなら、何もいわず真っ先にアトリエにいってるはず。
だったら彫刻とは別の、自分の好きなことをやればいいじゃん。」といわれた。

まずもって自分には「いい子いい子」されないことに対する恐怖がある。
自分のたち位置がそこしかない、と思い込んでたのであろう。格差の世界を浮き沈みする自分が想像できない。
だから立体制作が苦手だと薄々気づきつつも、「彫刻」を作ろうとしてしまう。
いい子いい子しようとしてばかりだと、怒られ慣れもしなくなるから変に従順になろうとする。
でも「目上の人」が目の前からいなくなると、とたんに自分中心の世界でゆる〜くなるから、
結局うわべだけの「いい子」。
だから「がんばっているフリ」で済ましてしまう卑怯な自分がいる。

その次に「本当に好きなこと」がわからないという初歩的な問題がある。
探さなかったというか、ちょっと足を突っ込んでは途中放棄したのかもしれない。
漫画とか仏像とか…あ、仏像制作の本、高かったのにきちんと読んでないや(滝汗)。
もともと集中力がないのでのめりこむのが苦手だし、
「のめりこむ」という行為が自分の視野を狭めそう、という思い込みでためらってしまう。
多趣味は無趣味、みたいな感じ。

ほかにも指摘されたことはあるけど、すごーく長くなるので省略します。
30分以上話したから書ききれないし、頭の中で整理できていない。
あとで少しずつ思い出しながら、独り反省会をやってみます。
自分を直視するの、結構避けていたから大変だろうけど。

それにしても、ここまで指摘してくれた友人2人にはすごく感謝してます(←平易な表現で申し訳ないけど)。
「やりたいことについて色々質問しても答えに詰まるんじゃ、結局自分のこと考えてなくて中身空っぽなんじゃない?」
というようなまでいわれたけど、これくらいのパンチをくれないと自分は動けませんでした。
ココまでひどくなるくらい現実逃避していた自分が悪いんだけど…。




›2007年04月17日

当たり前を疑ってみる試み

ムサビって、なんで校内で美術雑誌を買うことが出来ないんだろう。
月刊Galleryとか、美術手帳とか。
 
 
 

単に生協が組織されていないとか、
世界堂のスペースが狭いとか、
それくらいのレベルの理由なんだろうけど。


本に載っていることが、
アートシーンの総てではないのだろうけど。


もしかしたら、
美大生は学内に引きこもりがちだから、
雑誌を買うために校外に行く必要性を仕掛けておいて、
学生の視点を世界に向けさせる、
なんて裏配慮があるのかもしれないけど。


美を極める学校で、
美についてのメジャーな情報を、
あえて入手しにくくする。
それによって、
美を志す人の自主的な研究心を鍛える、
…そうでない人は淘汰される、
なんて話だったりして。
 
 
 
 
 
うん、微妙におかしいかも。

 
 
 
 
 
 
なんて、アートから離れがちな自分が言っても説得力がないか。

あくまでも赤岩の妄想なので、鵜呑みにしないでくださいね(笑)。




›2007年03月31日

大学生活折り返し地点

…の日は、図工教室のお祭りの日でした。

制作よりサークルを優先していた二年間。
教授にまた「カルチャースクール(みたいに軽いな)」といわれそうな状態でした。
正直自分も、進んで制作しなかったことについては反省してます。
が、ちびくろをやり続けたことはあまり後悔していません。
活動を通していろいろなことを吸収して成長出来たし、自分を見つめ直すことができたからです。それは一度では語り尽くせないほど沢山あるのでので、今日は簡潔に。


★頭でいくらたくさん考えてもそれを形に表し人に伝えることがいかに難しいかを、
●子どもとの活動中に計画の甘さに気づき、困惑した経験から気づきました。

★計画を立てて実行してもうまく行かないときは、思い切って内容をひっくり返してみる必要性を、
●活動にあきて逃走する子どもから学びました。

★いいものを作りたいという思いのためにがんばることを、
●たった五分間の影絵をやりたくて徹夜で作業をした友人から学びました。

★自分の感性と適性を自覚することを、
●備品係の仕事に燃えたことで実現できました。


「…今の今まで気づかなかったのかよ!?」という内容であるのはごもっともで、しかもどの問題も解決していないのですが、知らないことを知ることができただけでも大きな成長かな、と思っています。

…成長遅すぎですが(汗)。

たぶん他の人は作品制作を通じて、上記の★印のことを何度も痛感して成長しているのだと思いますが、
まともな美術経験が少ないまま美大に入って、なおかつ課題から逃げがちだった自分は、そのプロセスを歩むことはありませんでした。
なので自分にとってちびくろは、人間として成長していくのに重要な要素になっていました。


造形学部彫刻学科に在籍する学生としてはいい作品を作ってなんぼで、
サークルを通して成長が云々というのは甘い考えなのはわかっています。
でも今の自分には「それ以前の問題」というか、
何かものすごい大事なものが欠けている状態のまま体だけ大きくなっている気がして、
それを補完しないと前に進めないかもしれなくて。
錯覚なのかもしれないけどその感覚を黙殺してもやもやしたまま生きていくのができない気がして、
今現在「ちびくろやってよかった」という回答に至っています。


もうすぐ法律的に大学三年生になるのにあたって、進級制作ではないけど二年間の学生生活のひとまとめとして書き留めた次第です。
これから学校の課題や就職活動を進めるための参考資料として…なるのか?(笑)
でも青春の一ページ的な記録(爆)として残してみます。


でも自主制作はもっとすべきだったな(汗)。


[写真]
★前日準備で作ったコウモリ型の番号札
50枚作ったけど実際使ったのは9枚(笑)
★祭りの様子(昼)
子どもの作るものは可愛いものもあり、グレたものもあり(笑)
★祭りの様子(夜)
愛する妻が失踪し、失意の念のゾーオ(憎悪)伯爵




Posted by akaiwa2 at 23:27 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年11月25日

例えば、フリーハンドで描くとか

余り畏まらずに気軽に、 でも手と頭はフルに使って、 ものを作っていきたいと思っている、


口先男が約一名。

(写真は下書きなしで描いてみた親父画。しばらくはこのクロッキー帳を愛用します・笑)


追記、といってもブログランキングのバナーだけ。
(あとカデコリーをmobileから変更したり)




Posted by akaiwa2 at 12:48 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年10月25日

芸祭から話が外れるけど

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061024-00000014-yom-soci

↑今回は地理歴史だったから問題が表面化したけど。
私立だと「芸術が3年間で1単位」とかやってるところもざらなのです。
教職課程を履修しているムサビ生さん、就職先のカリキュラムには気をつけてね。
(別に時間数が多いからよい教育が出来るとは限らないけど、法律は守りたいよね)

家庭科はもっと悲惨だったり。平成に入るまで文字どおり「女子教科」だったので、男子校だと家庭科室すらない場合もたまにあります(男子は履修しなくてよかったから)。
そして学校側は受験科目にお金をかけたいから、家庭科はパソコン室で3クラス合同授業という学校もあるらしい…。
↑という同人誌を読んだことがあります。この人の学校、今は改善されてるのかな…。

とはいえ、カリキュラム組みに苦労することにも一因あるのを忘れてはいけない。

自分は、中学・高校・大学受験を経て「受験オタク」になってしまって、
子どもの分際で指導要領の本を買ってきて、
学校のカリキュラムを作る遊びをやってました。どんな子どもやねん。
(しかも現在進行形)
今も、学校のパンフレットがあると、一番にカリキュラム表を探してしまいます(コラ)。

なので(?)、今の週休2日制だと教科数をやたらと増やせないことも(紙の上では)わかってます。
しかも、今は情報科が必修ですし。
「総合学科」とか「授業選択性」という形で選択肢を増やしたらどれを取るか迷うことはわかってることだから、むしろ余裕のある時間数のほうがいいと思う。
まだ高校生は、自分の責任で何でもできるわけではないから、練習用紙(時間)は多目の方がいいかも。
…でも、どの学校も1日7限までになってしまったら、疲れてしまって脱落する子がかえって出てきそうだから…うーーんバランスが難しい。


はい、中途半端な美大生がナマ言ってすみませんでした!!

Posted by akaiwa at 09:08 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年10月04日

自己矛盾・被害妄想・そして自己中心的思考

「先生になるの?」という言葉に反感を覚える今日この頃です。

そりゃあ、実際に教職課程を履修しているし、
しかもがんばって工芸科の免許も取ろうとしているし(工芸分野はサッパリなのに)、
教育ネタはそこまで嫌いではないし(でも最近の重いネタにはアレルギー反応あり)、
小学校のときは「塾の先生」、中学では「理科の先生」、高1のときは「家庭科の先生」が「将来の夢」だったし、
そもそも父が公立小学校の校長先生だったので、人一倍「教職」というものに親近感があります。
もしかしたら、水や空気のように感じていたかもしれません。大学に入ったらみんな教職を取るものだと思い込んでましたし。

ただ、実際に勉強をしてみたら「うーん、第一志望ではなくなったなぁ…」と感じるようになりました。
実際、教師という職はすばらしいものです。やりがいがあると思います。
しかし、自分の場合あまりにも「学校人間」であったような気がして、その状態で卒業→即教壇に、と進んでいいのか疑問に思うようになったのです。
あまりにも学校という環境に順応してしまっていたので、逆にその温和な「世界」の外に出たことがあまり無かったように思います。
ぬるま湯に浸かりすぎ、ということでしょうか。

個人的な意見なので流して読んで欲しいのですが。
学校というのは、現代社会が必要とした制度であり、なおかつ一種の「異世界」である、と思い込んでしまうのです。ものすごい被害妄想ですが。
野獣だらけの「現実世界」という森に子どもたちを放って、多少の死傷者を出しつつも荒波にもまれて帰ってきたもので社会を形成していく、よりも、
野獣の来ない「異世界」を制度として作り上げて、出来るだけ多くの子どもそこで「一時的に」預かった上で純粋培養していくほうが、安全でひとつのこと(研究とか)に没頭できることでしょう。

でも、うっかりすると一時措置のはずの環境があまりにも快適すぎて、そこから出たときに「現実」という場所で生き延びる能力が育たなくなるような気がします。
今の自分は、まさにその状態にある気がします。

学校では学級会長として良くでしゃばり(でも人をまとめる能力は無かった)、
偏差値やテストの点数にはきちんと反応し、
怖そうな先生には「優等生萌え」のキャラクター性を提供して安心させ、
「運動は苦手だけど勉強は得意、ついでにピアノも少々」という「ちょっとした個性」のある人間としてキャラ立ちし、
割と「学校」という「子どもの世界」をそれなりに渡り歩いてきた人間でした。

でも、逆に教える立場になったとき。
教室には、こういった「学校っ子」ばかりいるわけではない気がします。
むしろ、学校という名の社会的システムが窮屈に感じる子が多いと思います。
学校という世界しか知らない自分は、その子たちの不満をきちんと理解できるのか、自信がありません。
一方、学校に順応しすぎて外に出たがらない子は、現実世界のつらさと楽しさを知らなければなりません。
自分は、学校でぬくぬくしすぎて、現実を直視できていません。

その上、自分が自分自身の「学校人間」性に嫌悪感を覚えるようになりました。
今まで外の世界に出ていかなかった自分を恥じるようになりました。
もっと現実世界に飛び出さねば。
もっと現実を…。

こんな状態で学校の先生になっていいかどうかがわからなくなってきました。
教師をやるにしても何かが足らない気がしてならないのです。
なので、教師になりたいと思うようになっても、もしかしたらいったんは一般企業に勤めてからにするかもしれないです。自分の妄想では。


というか、ここまで来て訳もわからず「現実世界」という単語を出来の悪いファンタジー小説のように多用する時点でダメですね。
「現実」って何ですか?
「不条理な縦社会」って何ですか?
それを言葉で説明してもらおうとする自分は阿呆ですか?

日記が病んでてすみません。
実は今日、大家さんとこの話で軽く喧嘩をしました。

大家さんは(嫌々なった、らしいのですが)薬剤師として働いていたので会社社会のつらさを知っています。
なので、彫刻をやってる自分には安定性の高い教職を勧めるのです。世間が不条理であるがゆえに、教職を取るのならそれを生かして、学校に守られながら生きていくべきだと。
助言はありがたいことなのですが、自分の思考が上記のように変な方向に行っている状態なので、好意がプレッシャーというか、うざったいというか、重荷のように感じるようになっています。
で、今日話しているうちに当たったら、あきれるように怒られてしまいました。
それならご自由にしなさい、就職のチャンスは卒業するときの1回しかないんだよ、といわれてしまいました。

とはいえ、自分もあまり反論できる状態には無く、
彫刻学科にいながら課題以外で作品を作ることは殆どせず、
ちびくろに没頭するもあくまでも「サークル」で、
漫研にいながらもあまり漫画は描いていなくて、
バイトも時間がうまく組めなくて半年くらいやっていないし、
就職したくても「仕事」:というものの具体的なイメージが沸かないことで動こうとせず、
大学院も興味はあるけど今の状態だとモラトリアムで終わりそうな予感がして、

結局頭で考えるだけ。
そして今日のように痛い長文をブログでさらす馬鹿自分!!!!


何も行動しない自分が乖離していて厭。
自分なんてどうにかなってしまえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
(やけっぱちで現実逃避、そして何も解決しない…)




Posted by akaiwa at 23:10 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年07月06日

頭でっかち

彫刻を作る前に、
「彫刻とは何ぞや?」ということばかり考える。
でも、それ以前に見ることも作ることも圧倒的に足りていない。
それでは考えても無駄無駄。


漫画を描く前に、
「漫画とは何ぞや?」ということばかり考える。
でも、こちらも書くことも読むことも圧倒的に少ない。
やはり、いくら考えても無駄無駄。


基本的に、自分はパソコン的な人間です。
思考回路がパソコンです。
インストールのように機械的な方法を取りたがります。
これでは人間になれない気がします。


でももう遅いです。
大学に入ったら、どうやら頭でつくることを考えなければいけないようです。
「作る」ということをがむしゃらにしたことのない人間には、考えるためのストックがありません。
そんな人は、おいてけー、おいてけー、置いてけ堀。


時の流れを操作したら自らの進化をとめてしまうことになる、と頭でっかちに考えてみた。
でも、今自分は、子どもに戻りたい。
戻れない。


なーーーんて、あほなポエムを書いてしまうくらいぐだぐだの自分。
受験生の人は試験課題以外のところで自分の作品感を磨いたほうがいいと思います。
いろいろな作品を見聞きするとか。

具体的な方法は、聞かないでください…そもそも自分に言う資格があるのか謎なので。





Posted by akaiwa at 22:45 | Comments [1] | Trackbacks [0]

›2006年07月04日

バイオリズム低空飛行

先週あたりからいまいちテンションが狂っております、赤岩です。
具体的に言うと、

6月24日:5限終わって急いで千葉に行って高校の柔道部飲み会に遅刻参加。
不完全燃焼だったので2次会がてらにお茶をしていたら終電を逃す。
それで漫画喫茶で寝ようとしたら寝れなかった。

6月25日:ちびくろの野焼き活動の日。朝はがんばれたものの上記のこともあり、昼あたりからダウン。
野焼きで一番楽しくて大変な「薪入れ」の作業ができず、自分凹む、ほかのひとに迷惑をかける。

6月26日:風邪ひいたらしく寝るときにタンでのどが苦しい。

6月27日:昨日からの風邪で結局夕方に病院へ行く。

6月28日:ここらへんから石膏取りの作業ペース急降下。何か体に疲れがたまっている。

6月29日:ちびくろの図工教室の準備で、係の仕事をあまりやっていないことに気づく。

6月30日:介護等体験の試作、もうちょっと作っておけばよかった。

7月1日:もう1年の半分が過ぎたと勝手に凹む。

7月2日:カルティエ展を見に行った。作品がよかったので、その分自分の中途半端な精神に苛立ちを覚えて発狂したくなる。
そのあと昔住んでた清澄の間に波を散歩して気分が晴れる。やっぱ自分は単純思考なのか。

どうでもいいことに落ち込みつつも、今日は石膏取りの作業で終わりのめどがつきそうになったので気分回復。授業の出来不出来に精神が左右されるやじろべい人間の自分。
でも、結局部会ノートの字がへたくそでまた勝手に凹んだり。

うーん、低空飛行。このままレポート製作に突入したくないなぁ。





Posted by akaiwa at 01:25 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2006年04月08日

遊んでしまった(?)1年を反省して

2年では素材選択をしなくてはならないので、これをいい機会に自分なりの浅はかな「彫刻観」について軽く考えてみた。

ら、自分の中に「彫刻」に関するストックがなさ過ぎて失敗。

自分が本当に彫刻が好きであるかもわからなくなってしまった。

それでは今まで何に興味があったかと思い出してみると。

漫画だった(笑)。「ものづくり」というよりは「ものがたり」か。

しかし、今まで書いたのは1作だけ。それも酷い出来。有言不実行に等しいキャリア。

つくることもかたることもせず、空虚な妄想を脳内完結させてばかりの日々の自分。

つまりは、「遊んでばっかで勉学に励まなかった大学生」になった気がして。

そんな自分が、目の前に量感あるものを作り出す。
結構矛盾。
感じる資格のない不安。


ないものに対して愚痴愚痴言ってばっかじゃダメじゃないか!!


というわけで。

とりあえずYAHOOで「欄間」を検索したオリエンテーション6日前の夜。

ネット検索に頼っちゃダメじゃん、というのは重々承知していますが。
今風邪ひいているし足を運ぶために予備知識すらないので(やっぱり愚痴愚痴なので以下略)。

Posted by akaiwa at 21:25 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年12月02日

えいびっとさんに言われる前に(笑)

「萌え〜」は、「流行語」とはなんか違うと思う。


というより、「いまさら」感あるし。


単語の本来の意味から独り歩きしまくってるし。

ちなみに、個人的には「失楽園」レベルの単語でなければ「流行」した実感がしません。

Posted by akaiwa at 00:26 | Comments [0] | Trackbacks [0]

えいびっとさんに言われる前に(笑)

「萌え〜」は、「流行語」とはなんか違うと思う。


というより、「いまさら」感あるし。


単語の本来の意味から独り歩きしまくってるし。

ちなみに、個人的には「失楽園」レベルの単語でなければ「流行」した実感がしません。

Posted by akaiwa at 00:26 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年09月30日

美術系っぽさ

ある人に言われた言葉。

「赤岩君って、美術系っぽくないよね。」


屁理屈っぽい(というかオタクっぽい)話し方が「らしくない」らしいです。
というか、自分の場合、単に言い訳がましいだけのような気がする…。

「あまり感性とかで動くタイプじゃないよね。」


そういわれると痛い(涙)。
というより、感性でも理屈でもなく、その場の思いつきで行動する人間ですし(汗)。
どっちみち、「美術系っぽさ」は感じられなさそうだ。

「あなた、ホントは理系なんじゃないの?」


確かに、理科は好きでした。
高3の文系生物でも自ら進んで鶏の解剖をしましたし(笑)。
でも、求めるものが雑学どまりだったのと、高校入学以来勉強しない癖をつけたのがもろに数学の成績に響いたこともあって、理系クラスには進まなかったり。

「赤岩君、何で建築科に進まなかったの?屁理屈をこねなきゃやってられない世界じゃん。」


美術予備校での扱いが小さかったせいかいまいち興味がわかなかったし(建築の方すみません)、
「サラリーマンにはなれない」と思ってデザイン系はパスしたのもあるし、
当時は「建築=理系」という思い込みもあったからなぁ。

そして最後に言われた一言。

「それならあなたは先生になりなさい。」


芸術家タイプじゃない理論派の人間が、美術大学を出てからつく仕事の王道なので。
…自分の場合、職員室で苦労して美術室に引きこもる気がしますが汗)。

いいもん、あと3年以上あるもん。彫刻好きだもん。
(強がりだし)

Posted by akaiwa at 20:43 | Comments [2] | Trackbacks [0]

›2005年09月21日

なんというか

大学に入ったら自分から進んで作品を作らなくちゃ、
と思ってたのに、
ちびくろやらMAUCLやらが忙しい、
と言い訳してぜんぜん作ってませんでした。


今日久しぶりに3号館に行ってみたら、
廊下で自主制作している人が何人もいて、
自分がかなりで遅れているような気がした。


助手さんからは
「3年生になってからで大丈夫だから」
とは言われたけど、
何かと有言不実行な自分を
さらに助長させてしまうようで嫌。


嫌なんだけれど、
結局、またブログで「言い訳してる」。

もっとも11月に「小平野外アート展」なるイベントに参加するので、それあわせの作品を制作する計画はあるんですけど。
がんばりたいけど…大丈夫か自分。
(やっぱり言い訳)


★小平野外アート展に関しては、現在公式HP製作中(らしい)です。また後ほど。

Posted by akaiwa at 00:57 | Comments [1] | Trackbacks [0]

›2005年07月03日

「雑」学

やっと、漫画の原稿を書き終わりました。
編集担当のN先輩、今までご迷惑をおかけしてすみませんでした。

で、その漫画ですが。
…読み返して「それで、いいのか」といいたくなります。
ストーリーはおいておくとして、
画力の問題じゃないです。
「漫画を描く」という経験の浅さでもないんです。

ものすごく、雑なんです。
大胆、ではなく「雑」なんです。
丁寧じゃないんです、自分って。
そんなことだから、かなり「見づらい」絵になってしまいました…。
ほかの漫画研究会のメンバーの皆様、そしてお手にとって見てくださる読者様、どうもすみません。

なんか、この悪い癖が彫刻を含め人生全般に影響していると考えると…自分って、まずいかも。

あ、ちびくろのほうでも原稿を書かなくては(汗)。

こう、計画性がないのも「雑」なところなんだろうなぁ。

Posted by akaiwa at 22:45 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年06月28日

何で自分は

締め切り前になると、急にいいアイデアが浮かぶんでしょうねぇ。

昨日の日記で触れた美術教育法2の授業計画レポート、今日新しく思いついたネタで1から書き直したら、スムーズに終わりました。所要時間2時間くらいで。
この2週間、悩んだのはなんだったんだろう…。

ただ、その反面、

今日の漫画製作状況。

これから下書きを仕上げます…。
こっちはなかなか終わらない…。

絶対、最終締め切りは破らないぞ。宣言する。
だって、その前に十分に中間締め切りを破ってきたし(汗)。

Posted by akaiwa at 23:07 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年05月05日

いじりたいけど

ブログの色を変えてみたいと思い、まにあるを見つつスタイルシートを開きました。

HTMLのタグ(?)がわからなくてちんぷんかんぷんです(汗)。

結局断念。

もっと言うと、右下のリンクメニューに赤岩さんのクロッキー帳Type‐Gを追加したかったのですが、
スタイルシートのどのタグがリンクに関するものかもわからず、こちらも断念。
(そもそも追加の仕方もわからないし)

HTMLの勉強、しよっかなぁ。

Posted by akaiwa at 11:37 | Comments [2] | Trackbacks [0]

›2005年05月03日

むーびんぐ

GW中は学校の話題がありません。
そこで、トモさんがムービングについて語っていたのを思い出したのでTBしてみたり。

とりあえず、「彫刻学科の入試でムービングが出た」ことと、「今現在の課題で女性のムービングモデルが来ている」という上でお答えします。

モデルさんには特に「このポーズをやってください」ということは言われてないみたいです。
むしろ「不規則な動きをやってください」と指示しているみたいです(過去問に書いてあった)。
なので、モデルさんによってやることがばらばらです。
自分が現役のときは、モデルさんのネタが尽きたのか、後半になったら指を鳴らしだしました。
同じ年の別の部屋では、モデルさんがモチーフの布を棒状に丸めて、それを地面の上に立たせようとしたりとか(うまく立たなくて何度もトライしたらしい)。
今年はモチーフが縄だったのでそこまで変わったことはできなかったようですが、試験終了のとき、モデルさんが縄をハートマークの形に置いて去っていったのはちょっと面白かったです(笑)。

トモさんが言っている「三点倒立」も、全員がやっているわけではないと思います。
特定のポーズが多いのは、モデルさんの癖だと思ったほうがいいでしょう。
概して、男性モデルさんはダイナミックな動きが多い(と思います)。
今課題で来ている女性モデルさんも、なんかくねくねした動きが多いし。
(それよりも、縄跳びしたり新聞紙やぶったり、果てはバランスボール持ってきてそれに乗っかったりすることのほうが気になりますが)

あとは…

教材室とかで『倒立込みだと○○円増しで』 とか言われてるのか?

それはないと思います…。
ギャラの算出は、大体ポーズの種類と拘束時間で決まりますし(ムサビがどんなシステムかはわかりませんが)。
たとえば、「女性・ヌード・拘束3時間(20分ポーズ10分休憩)」だと、相場は1万円らしいです(言っていいのか?)。
ムービングだと服は着るものの、動き回るし、やれる人も限られると思うのでちょっと違うと思いますが。
(入試のときは前衛舞踏の方を呼んだ、と教授が言っていました←これも言っていいのかな?)

というか、どんなポーズをしたかって、確認しようがない気がするのですが…。

Posted by akaiwa at 18:34 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年04月10日

ほしいと思ったもの

赤岩の靴のサイズは28cmです。
普通の人より一回り大きいです。
靴を買うときは、まず28cmの在庫があるものを探すことから始まります。
専門店ならデザインからとびつくこともできますが、町の靴屋さんの場合はむしろこっちのほうが早いです。なかったらあきらめもつくし。

ですが、それ以上に大変なのは、靴下。
スーパーに並んでいるもののほとんどは「25〜27cm」のものばかり。
がんばれば履けるかも、と思うこともありますが、ハズレは引きたくないので結局買わなかったり。
28センチの靴下って、都会以外ではちょっとレアものです。
…なんかEカップ以上のブラジャーみたいだ(苦笑)。

最近ユニクロや無印良品で出てきた汗かきさん用の「速乾性」とか「ドライクーリング」みたいな種類のものも、ほとんどは27cmまで。
手足に汗をかきやすい体質の自分は、何度店頭でぬか喜びしたことか…。
(本当、蒸れやすい体質なんです)

誰か28センチの靴下がたくさんあるお店を紹介してください(切実)。

Posted by akaiwa at 12:16 | Comments [0] | Trackbacks [0]