›2010年03月31日
ありがとうございました。
朝起きてネットに接続したら、卒業生の皆さんがもうお別れモードになっていた…ので、自分も朝のうちに書き残しておきます。
大学生として4年間、教務補助員として1年間、日記を書く場を提供してくださった手羽さん&竹林さん。
この場を借りてお礼を申し上げます。
前のエントリーの通り自己満足な日記しか書いてなかったと思いますが、それを受け入れてくれて感謝してます。
就職活動で病んでたときに相談に乗ってくれたおきなまろ姐さん。
あなたのおかげでいい意味で人生棒に振ることが出来ました(笑)。
まだ仕事を探してもいないのですが、自分の道を自力で探して歩いていきたいと思います。
プライベートでは、彫刻学科の皆さん&研究室の方々。
こんなヘタレな教務補助員で済みませんでした。名前を覚えなかったりとか…(大問題)。
あとは親(もういませんが)姉貴その他親戚関係、こんな突拍子もない末っ子長男で済みません。
しかも仕事を辞めたのはまだ伯父には言ってないという…(超問題)。
その他、ムサビ日記のメンバーはじめムサビ関係者の方々、本当にお世話になりました。
ありがとうございます。
今後の予定ですが、持病を抱えているのでそれにけりを付けてからバイト生活&イラストレーターを目指して制作活動をします。
HPもつくったのですが、本名名義なのでここでは秘密にしておきます。
今後「赤岩」という名前を使うのはmixiとピクシブ(ほぼROM専)くらいかな…あとはファンロードが復刊したらまたハガキ職人始めるかも。
というわけで、5年間続けた日記を綴じさせていただきます。
どうもありがとうございます。
追伸
竹林さんの日記より転載。
>ご飯ぐらいだったらいつでもごちそうしますので、気軽に顔を出してください。
ほんとにこんなこと言っちゃっていいんですか?
…小川駅の近くに住んでるので、頻繁に出没しますよ(笑)。
結局「ムサビ」から卒業できないでいる赤岩でした。もうちょっと学校離れしたい…。
追伸その2(10時更新)
ちびくろのことをすっかり忘れてた…(汗)。
これとムサビ日記をやってなかったら大学中退してたかも。
それくらいのめり込めた場にいれたのは幸せでした。
あと漫研と版画部の方にも少しだけですがお世話になりました。ありがとうございます。
›2010年03月30日
結局、ムサビコムを続けて来た訳は、
目立ちたがりな自分の自己満足だったような気がします。
だから無理して彫刻の話をしてもあまりぱっとしなかったり、
逆に独りで悶々としているネタの方が受けが良かったりしたのだと思います。
そんな自慰的な日記なので、それを読んでいる人のことを考えてなかったです、正直。
それでも続けさせてもらえたのがムサビコムの懐の広さに救われたというか。
さて、明日の最後の日記は何を書こうか。
›2010年03月27日
作品を捨てるからこそ
四輪駆動さんがよく言ってましたが、美術大学はゴミをこれほどかと大量生産します。
作品も捨てます。特に彫刻学科は場所をとって仕方がないから。
小中学生の頃のように「学校で作って来た物は後生大事に取っておいて…」なんて言ってられません。
自分はそれに抵抗を覚えて作品が作れなくなったときもあります。
どうせ捨てるなら最初から作るな、と。
そのときは段ボールとホットボンドで小屋を造って、講評が終わったら解体してゴミ捨て場にもっていきました。
リサイクルになっているかどうかも怪しい上に、環境への免罪符にもなってないと思います。
完全に自己満足でした。
ただ逆に言えば、どうせ作品を捨てるなら、少しでもいい物を作り出しておくべきだ、とも言えます。
「作る」という行為の積み重ねから、また新しい表現が生まれるのであれば。
なので後輩には、とにかく手を動かしてほしいなと思ってます。
どうせ捨てるなら、いろいろ挑戦してほしいと思います。
自分は未だにそれが出来ないでいますが…。
›2010年03月23日
どうもこんばんは。
今後の予定が通院×2しかない赤岩です。
正直、学生の見本にならない日々を過ごしております。
次の仕事もまだ見つかってません。というより、わざと見つけてません。
その前にやっておきたいことがあるので。
最近自宅とコンビニの往復しかしてない日もあったので、明日はイラスト系中心にギャラリー巡りをしたいと思います。寝坊しなければ。
しかしあいにくの雨…そのうえ冬の気温に逆戻りって。
›2010年03月20日
›2010年03月16日
お祈りされました
とあるコンペの主催者に。
つまりは落選だったということです。
さて、気分を変えてもう一度。
›2010年03月09日
きっと誰かが
何なんですか。
気温20度超えそうになったと思ったら、今日は雪が降ったではありませんか。
びしょ濡れにならない分雨よりかはいいけれど、学校の行き帰りがちょっと大変。
誰かドラえもんのひみつ道具をいじったりしてないでしょうか。
おきなまろさんとは真逆で、自分は寒いのが苦手です。
ネーコはこたつで丸くなる♪状態になります。
(天気のいい日も昼寝して一日を無駄にしたりしますが)
›2010年03月08日
成長
この一年間、研究室業務を通じてたくさんのことを学ばせていただきました。
と、言いたいところでしたが。
夜になって、シャワー中に仕事上の大失敗を思い出して凹みました。
もしかしたらやらなくてもいいことだったかもしれないけれど、
本来だったら自ら気づいて準備しておくべきことでした。
自分って、いつもあとから思い出して後悔するタイプです。
この性格だけは治したいけれど、治る物なのか…。
今ひとつ、というか全然成長していないなと思う今日この頃です。
›2010年03月04日
回答と解答
前に指ピアノ論争(みちくささんの日記に詳しい)の時に、
「自分は何でもかんでも正しさを求めすぎる」
と自己分析したことがあるのですが、
もう少し深く突っ込んで考えてみたら自分の美大生活は、
一人一人違う「回答」と、
絶対的正しさである「解答」との違いに悩まされたものだったんだな、と思いました。
※美術に関して「回答」と「解答」という言葉を使うのは国語的に正しくないかもしれませんし、
この二つをきっちり分けることが出来ない気もしますが、
ここではニュアンスでとらえていただけるとありがたいです。
中学校までの自分は、公式を覚えて「解答」をはじき出すことに快楽を覚えていました。
個人的には答えが一つの方が楽だし、トップを目指して目立つことが容易だったからだと思います。
だけれども高校で「公式を覚える」ことにつまずいて(量的な意味で)、
さらに現代文で「行間を読む」ことにもつまずいて、
一気に最下位に落ちたあと、選んだ進路はなぜか美術方面。
人と違うことをやって目立ちたかったのだと思います。
(どれだけ目立ちたがりなんだ自分…)
受験段階までは良かったです。試験には「解答」とされるものがあったので、
どれだけ評価が低くても、それを飲み込むことが出来たから。
でも大学に入ったら、求められるのは一人一人の意見と表現、すなわち「回答」。
偏差値教育みたいに唯一の軸がある訳ではないからそう簡単に目立つことは出来ないし、
講評のときに先生の意見が相違してトークバトルが起こったりすることが、
自分にとってはうまく飲み込めないことでした。
「解答」がないから、何を信じていけばいいかわからない、という状況下に置かれていました。
それでもまだ自分が(彫刻ではないけれども)美術をやり続けよう、と思ったのは、
コミケの列整理うちわのお仕事がきっかけだったのだと思います。
まだまだ稚拙だけれども、自分の「回答」を認めてくれる人がいた、それがうれしかったからです。
(この件をまだ引きずるか、という気もしますが…)
見返りを求めてしまっているのはいかがな物かとも思うのですが、
自分を認識してくれる存在がいることが制作の原動力の一つになっています。
未だに自分は「やっぱ解答らしき物が欲しいなあ…」と思いがちで、
そのために手が動かなくなることも多いのですが、
これはもう自分の性格で仕方ないからいっぱい悩んで、
自分なりの「回答」を作り続けていきたいと思います。
とはいえ、イラストレーションだと顧客という名の「解答」があったりするんですけどね。
そこの折り合いがまた難しそうです…。
›2010年03月02日
納得がいかない
ただいまプチダイエット中。
減量したのはいいが、減ったのは筋肉量の方だった。
皮下脂肪の方がなくなってほしいのに。
›2010年03月01日
あと一ヶ月
大学1年のときから書き始めたこのブログも、あと一ヶ月でおしまいになりました。
たった今汚い机から「ムサビ日記で書いておきたいこと」なるメモ書きを引っ張りだして読んでみましたが…恥ずかしい内容でした(笑)。
一応ぱっと思いついた4項目が書かれているのですが、一つは結構書きづらいこと(没の可能性あり)、
二つはもうちょっと自分の脳内で練り直してから書きたいことなので、
今回は「今の時点でも書いていいかな…」ということを書いてみます。
長いです。
長細いです。
なので折り畳みました↓
実は自分、既に両親がいません。
母親を3年の1月にALS(筋萎縮性側索硬化症)で、
父親を4年の9月に肝硬変で亡くしました(元々肝炎経由の肝臓がんでした)。
と書くと苦労しているイメージを持たれるかもしれませんが、そこはヘタレな末っ子長男の赤岩さん。
父親が入院しているときもちびくろ三昧で「もっと親に顔を見せろ!!」と怒られたこともあったし、
葬式関連は伯父がいなければ何にも出来なかったし、
遺産相続や母の介護はほとんど姉が仕切っていたし(レンタカーまで借りてた)、
自分は大学生(しかも一人暮らし)ということで大目に見られていて、
あまり家のことを考えない「ドラ息子」でした。
ですが、両親を早くに亡くした、いやそれ以前に病気になったことは自分の人生に少なからず影響していると思います。
そりゃ、大学1年のGWの楽しいときに「実家に帰ってこい」とうるさいから帰省したら、
「肝臓がんになった。仕事は休職した。生体肝移植するかも」って言われたら、驚くしかないでしょう。
(実際、伯母の肝臓を移植してもらいました)
あと脳梗塞の後遺症だと思って一生懸命リハビリ運動をしていた母が、
実は治療法のない難病にかかっていて、日に日に弱っていく姿を見るのはつらかったです。
(リハビリのための健康食品やグッズとかの買い物を頼まれてましたし)
二人とも自分の病気のことで精一杯だったであろうに、自分を大学(しかも美大)に行かせてくれたことは、
本当に感謝しなければなと思いました…今改めて。
なのに何で今、自分はニート一歩手前なんだろう…(汗)。
親孝行したいときに親はいない、とはよく言いますが、
その言葉を実感する前に両親を亡くしてしまった今は、
とりあえず人並みに働くことが、親孝行のひとつになるのかなと思います。
ひとまず、4月から仕事、というか生活どうしよう…。
それと両親の死をきっかけに、自分が無意識に「死ぬこと」について意識するようになったかもしれません。
mixiでマイミクが人を不安にさせる言葉を残して退会したとき、自殺したんじゃないかと思って一人勝手にパニックになったりとか(そのときは共通の友人に諭された)。
では自分がいつ死んでもいいように生きる、そのためには何をすればいいか。
その答えの一つに「イラストレーターを目指す」があるのだと思います。
人間死ぬとき、好きなことを多くやってからの方がいいでしょうし。
(ただ、最近本当に自分は美術に向いているのか疑問をもってしまったり…)
あとは身辺整理。姉が母の入居してた介護施設の片付けで苦労したこともありましたし、
自分が死んだあとの物の9割はゴミになるのだと考えたら、自然と家の中の物を減らせました。
とはいえオタク的収集癖があるのでシンプルライフにはほど遠いですが。
同人誌の処分は姉に任せることに勝手にしています(笑)。
ともかく、今を一生懸命生きることが親孝行かな、と思って生きている次第です。
最近たるんで甘えていますが…(汗)。
「失って、始めて気づくこと も あるけれど元には戻れない」
(一青窈「大家(ダージャー)」より)