2008年04月20日
美術の授業をやる意味
赤岩です。
さんざん悩んだ癖して結局英語の履修を取り消しました。
そうでなくても週4コマ授業を入れたし、その上で実技時間帯のにも一コマもぐりこむ予定。
これから就職活動・教育実習・卒業制作と立て続けに忙しくなるのに対して、
まじめな振りしてかなり面倒臭がりな自分の性格を考えてやめてみました。
その分、他の授業は落とせないのですが。
後期の日本工芸史を落としたら、工芸の教職免許が取れなくなるという瀬戸際の状態です(汗)。
さて、四輪駆動さんが悩んでいた、美術の授業をやる意義について、個人的な見解を。
自分は(今のところ)教員免許を生かした職につく予定はありませんし、
かつては自分も美術より受験科目をがんばっていた人間なのですが。
3年間のちびくろ経験+それなりに(汗)がんばった教職の授業から得たものから、
自分が導き出した「それっぽい」解答は、
美術の授業は、
「絵をうまく描くこと」を追求するための訓練の時間、
ではなくて、
作品制作をがんばることで、人間としての成長をする時間。
…いや、指導要領の一部を自分の言葉に置き換えただけなんですが(汗)、
コレは保護者からのクレーム対処に使えそうな言葉なのではないのかと(オイ)。
「最初からスルー、だからできない」よりも、「やったけれどできなかった」のほうが、
まだ得るものはあると思いますしね。
とはいえ、コレは「学校教育」の枠内でのお話でしかなくて。
指導要領は約10年ごとに改定されるので思ったより不安定なものですし、
そもそも要領の存在目的自体に異を唱える人も少なからずいますし、
学校に目を落としてみても、
嫌なものをやりすぎてトラウマになったら逆効果ですし(努力至上主義による教育効果は結構バクチものかと)、
学校での努力が学校外でも通じるものかというのもしっかりと考えなくてはいけませんし。
そもそも、
学校自体、本当に「善きもの」なのか。
学校に行っていない子はみんな駄目な子になってしまうわけでもないし、
(逆に、学校に行かないけれど人一倍しっかりしている子を自分は知っています)
空気のように存在する国家体制に、手放しの信頼を置いているだけなのではないのか。
もっと言ってしまうと、
「教育」自体、本当に「善きもの」なのか(汗)。
必要だとしても、過干渉で子どもをダメにしてしまわないか。
「かわいい子には旅をさせよ」で子どもを見殺しにしていないか。
…うん、いい感じに不毛なループにはまってきた(苦笑)。
そもそも「教育効果」とやらに期待を寄せる一方で、
それ自体の議論に関しては、
壮大な仮説
と言うことにして逃亡する癖があるので(無責任ですみません)、
とりあえずここでストップしておきます。
学校に適応する子もしない子も、
「教育」というものに呪縛されていると思うのです。
自分なんかはある種の狂信者級ですが。
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