›2007年11月29日
トラウマで良くも悪くも
高校の地歴公民の授業では。
理想と現実のギャップ、教育が子どもに対して「仕組む」面を持つこと、公正公平と言う言葉の難しさと胡散臭さを学んだ気がする。
これらが見えてから、政治経済のあらゆることを拒絶するようになった。
正直、社会科教育と言うものがつらくなったこともあったけど、それによってものを見る目を自分なりに創り上げられるようになった…と思う。
ただ、今まで6年以上世の中のことから耳をふさいでいたので、就活ではマイナスになる部分もあるとおもう。
【1年・世界史B】
自分が一番初めに赤点を取った科目(最終的には5教科の殆どで赤点を取ったけど)。
世界の時の流れをつかんでから現代社会の問題がなんとなくわかりやすくなったと思うけど、
覚えることが多すぎてドロップアウト。
【2年・政治経済】
夏休みの課題。自分は国民投票についての本を読んでレポートを書いた。
正直、投票制度のプラス面のことしかかけず、マイナス面をきちんとまとめられなくて悔しかったのに、
帰ってきたレポート用紙には「良い本を読みましたね」のコメントが。
もしかしたら先生は、マイナス面を挙げての注意喚起をしたかった自分の気持ちをがんばって汲んでくれたのかもしれないけれど。
そのときの自分は「世論誘導」という感じに捉えてしまい、凹んだ。
【2年・倫理】
この科目を、小中学校でいう「道徳教育」だと思い込んでいた自分も馬鹿だけれど。
脳内でいかにすばらしい思想や秩序が思い浮かんでも、いざ脳の外に出すとそれらを100%共有することはできず、結局はどんな体制も崩壊するような気がした。
【3年・日本史B】
高校3年間で激しく拒絶反応を起こした科目ベスト3。
(あと二つは現代文と…何だろう)
先生の歴史解釈が独特だなーと思っていたら、いわゆる左寄り(というか某組織系?)の見方だったらしい(と、右寄りなクラスメイトの指摘で気づいた)。
プチナショナリズム化が進んでた時代だったけれど、それとは対極の思想がにじみ出るのを聞くのも苦手だと思った。
先生の話を聞くのが、思想・心情とかとは別の次元でつらくて、
でも自分には「聞き流す」能力が備わってなくて(人の話を聞かなかったりするときはあるけれど)、
何回か仮病を使って、保健室に逃げたこともある。
教育の公正・公平性は大切だとは思うけれど、ひとりの先生が1年間の授業を抱え込む限り、
「中立」の2文字なんて、絵に描いた餅じゃねぇか――――――――――、と思った。
いまでは、「中立」とは達成するべきゴールではなく、絶えず目指すための指標だと思えるようになったけど。
それにしても話が激しすぎて(口が悪いわけでなく、攻撃するための論調という意味で)、
「なんとなく中立」思想に萌えていた(なんじゃそりゃ)自分には痛い喝だった。
先生自体は、(バツイチだけど)お父さんタイプで親しみやすい人だったけど〜。
【3年・地理A】
社会科の中で一番なじめた科目。NIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)をがんばっていた。
新聞記事をたくさん使った授業で楽しかった思い出がある反面、NIEの弱点も見えてきた。
例えば、時には記事も訂正すべき部分はあると思うけど、そのフォローがあまりなされてない気がしたりとか、
捏造記事は論外だけど、新聞社のスタッフの世論誘導で授業が振り回されそうで怖かったりとか。
(ウィキペディアの記事では(11月29日の時点で)もっと指摘されてますね。こんな感じの疑問と不安を抱いていました)
でも前述4科目よりはずっと親しみやすかった。
と、就活用のクロッキー帳にずらずらと書き連ね、
自己分析のための自分史作りをしてみたら。
面接のときに、就職課の人に「コレはやりすぎでしょう」と苦笑されました。
確かに、書き上げてみたら「自分ってなんて僻んでて性悪なんだ」と思いましたし(汗)。
でも、それまでは学生の最低ノルマかつ受験における重要科目だと思っていた「社会」という科目が、
ここまで色々考え苦しむようなターニングポイントになっていたんだな、と気づけたのは良かったかもしれないです
ただ、気づいたところで、これからどうするかが問題ですが…社会問題から逃げがちだったから時事問題がわからない(汗)。
結局自己満足で終わりそうな予感。ヤバス。
›2007年11月24日
ぞろぞろぐるぐるすぺんすぺん(あまり意味なし)
超・朝寝坊したあと自転車をこいで学校に向かっていると、朝鮮大のバス停辺りで彫刻研の講師陣がぞろぞろ歩いていた。
基本的にアトリエにいない自分は、気まずい思いをしながらも学校へ向かう。
しばらくして鷹の台ホールで昼食をとろうとしたら、さっき歩いていたはずの講師陣が今度は券売機の前に並んでいる。
話によると、食事する場所が見つからなかったらしい。
学校の近所は食事どころが比較的少なく、特に昼の間は空いてないお店も多いのです。
行くとしたら自転車で青梅街道に出るか、五日市街道に出るか、鷹の台駅まで行くか。
どれも歩くと10〜15分くらいかかるので、昼休みに抜け出すのは割とつらい。
だからみんな、学校の中でご飯を食べる。
それどころか、制作が忙しい人は夕飯も学校ですませたり。
それにしても、基本的には出講日でない土曜日に、何で非常勤の先生が揃いも揃って学校にいるんだろうと思ったけど、メイさんの日記を読んで納得。
そういえば、もう推薦入試でしたな。昨日学校にいたくせに忘れてた。
自分のころは一般入試一本で、しかも(一応)藝大が第一志望だったので大学受験で推薦を受けることはなかったです。
まあ、「推薦される」どころの成績でなかったこともありますが(汗・高校ではサボり魔&美術経験ほぼゼロ)。
なのでアドバイスなんてできないのですが、きっと推薦入試に挑戦するような人は、
いわゆる「受験絵」だけで燃え尽きないような探求家の人が多いと思う(思いたい)ので、
その特徴を武器にして、受験の向こう側にあるものに向けてがんばってほしいです。
…と先輩風を吹かしてみるが、そんな自分は受験絵すら満足に描けなかったし、
今も自分の制作からはなれているし(汗)。
›2007年11月18日
藁をもつかむ思いで、つかんだ藁は。
また就活の話です。
実は対して活動してないつもりなのですが、今回を含めて3つくらいネタをストックしているのを考えると、割と焦って動いてるのかもしれません。
というわけで、また今回も焦りのあまりの迷走について書きます。
(前回の迷走はこちら)
赤岩は基本的にネット中毒だと自覚しています。
さすがに某ファイル交換ソフトを使うまでにはいたってませんが(高校時代、友人がコレを使うために1日中電源つけっぱなしとか聞いてヒきました)、
ニコニコ動画で映像を探すくらいならしてます(自分から書き込んだり、アップロードをしたりはしませんが)。
そしてひとたびウィキペディアを開けば、興味本位でリンク文字をクリックしまくり、情報のシャワーを浴びているうちに朝焼けを見たりとか、何回かやってます(汗)。
ビバ・低度情報化社会の申し子(笑えない)。
で、就職の不安からmixiとかで就活情報を探したりしたのですが、
そのときに見てしまって、「ちょっとコレに食いつきすぎたかも…」と思ったものがあります。
いわゆる「ブラック企業」のまとめサイト。
うん、我ながら「自分らしい」情報のつかみ方をしていると思います(苦笑)。
基本的に2の方角とかには行かないようにしているので、あくまでもmixiとまとめサイトの情報で留まりましたが。
色々不安になってるから、悪いことばかり大きく見え、無意識に悪い話ばかり聴きたがっている自分がいて、
悪いものを懲らしめたい人が集まりだしていく、それを見て「ああ、世の中怖いわ」と思う自分がいる。
特に赤岩は大学を出たら就職しないといけない状態なので、失敗したくない思いが比較的強いと思います
それはそれで人として当たり前のことだろうけれども、
情報と言うものが一面性が強いことを考えると、気をつけてないと木を見て森を見ず、の状態に陥ることも多いだろうし、
不安の大きいところで「それなりにいいところ」を挙げたとしても、負の情報が多数決で勝ってしまう。
とはいえ、割と説得力のある情報も多いし(信憑性、と言わないところがポイントです)、
自分の適正を考えて、ブラック情報から志望業界を消去法で絞ったこともありますし、
社会的に大問題になっているか、それに近い状態の企業は論外ですが。
都合のいいことばかりでない世の中だから、「叩く」ことを目的化しないで、
もうちょっと、全体を見て、「なんとなくだけど好き」と言えるようになりたいなあ。
なので、今はできるだけブラック情報に触れないようにしてます。
といいつつ、みんなの就活日記を読んでる時点でダメです自分(苦笑)。
こちらは企業がやっているとはいえ、うーん、どうなんだろう。
›2007年11月16日
愕然
まとまりを欠きながらも一生懸命書いた日記を投稿しようとしたら。
いきなりログアウト。
仕方ないのでログインしたら。
常軌を逸した文字化け具合。
泣く泣く削除。
凹むわ〜。
因みに書いていたのは、
絵画商法と疑似科学と、それを見て我がフリを直した(い)自分の話でした。
また時間があるときに書き直します。
›2007年11月13日
企業に振り回されなければ就職できないのか
さっき「就活では商業主義に振り回される」といった話をしたので、せっかくなので続きを書きます。
就活の第一歩として、よくネットで「●●ナビ」みたいな就活サイトに登録します。
そのHPでは、よくサイト主催イベントの告知がなされてます。
それを見て、自分もイベントに行ったことがあります。
就活の前にちょっと産業社会の勉強を使用、という感じの触れ込みのイベントでした。
わざわざスーツ着て、ビッグサイトまで電車乗り継いで。
個人的事情で就活最盛期の3〜4月にあまり動けないので、今のうちにやれることはやっておこう、
と思っていたけれど、今思えば自分なりの焦りと空騒ぎの行動だったと思います。
で、行ってみた感想。
割と商業臭い。
いや、企業主催だから当たり前なのだけれども。
なんか企業側が「がっついてる」感じがするところばかりで、あまり感心できないと思うことしばしば。
まだ9月の段階で「プレイベント」の扱いだから、
よほどの大企業or儲けが多い企業じゃないと参加してないからかもしれません。
(ここで、あえて「大企業」と「儲けが多い」を分けているところがポイントです)
悪徳商法で批判されている教育系企業が、ふつーにふつーにブースを持っていて、
そこにリクルート姿の学生がびっしりいるのを見たときには、正直悲しくなったりもしました。
他人事のようですが、自分が家庭教師の仕事に片足突っ込んでた時期があったので、
教育業界で「ブラック」のところの情報を自分なりにつかんでいたことも大きいと思います。
とりあえず自分は「いろんな業界を見たい」というと思ってジャンル違いの企業の説明会を見て回ったのだけれども、
「もうここは、イベントの趣旨を無視して自社の売込みをしているな」というところも多くて、
あまりいい思いをしないこともしばしば。
(普段直接関わらない業界の人と話せたことは面白かったですが)
あとはブースごと、業界ごとの人の入りの差を目の当たりにして、「ああ、淘汰される感じがする…」と思ったり。
いや、学校ではなく企業なのだから淘汰されて当たり前なのかも知れないけれど。
自分が見る限り金属系の会社のブースで寂しいところが多くて、ちょっとかわいそうに思ったり。
(自分も興味持てなかったのですが)
で、イベントで見学した企業には「訪問票」という名のエントリーカートを渡すのですが、
それを元に会社側で自動的にエントリー受付をしてくれるのはある意味ありがたいけれど、
その後のメールの多さがちょっと厭になる。
けれどわざわざエントリーを取り下げるのも面倒なので放置。
さすがに土曜の昼下がり、携帯に電話をかけてきた某外食系企業には腹が立って、
その場の電話口でエントリーを取り下げる旨を伝えましたが。
もともと興味本位で見たブースで、入社する気はまったくなかったのでちょうど良いや、って思って。
ただこれも逆に見れば、電話をかけたお姉さんも必死だったんだよなあ、
今から必死にならないと人材が確保できないんだろうなあ、という部分もあることは確かで。
社会に出るためにイベントに行ったのに、逆に産業社会の厭な部分を実感してしまうことが多かったです。
けれどそれもまた「社会勉強」と考えれば、間接的に就活に役立たせることはできるかな、と思ってます。
まだ「プレイベント」だったので、コレが1月辺りのイベントだったらまた様子が変わるかもしれませんが。
就活サイトもイチ企業。そこに群がる企業は多数。
無防備で喰らいついたら向こうの思うままだな、と実感しました。
まずは、自分の中に「軸」を持たなきゃ。自分なりの考え方と、それを踏まえた人生設計を。
…って、それが難しいんだけれど。
えすぴいあい
古本屋さんに新刊同然のSPI本があったのを勢いで買って、パラパラ読んでみて思ったこと。
これって、中学受験の問題じゃん。
自分は「一応」中学受験を経験していたので(本気で勉強しなくて全落ちしましたが)、
鶴亀算とか旅人算とかを「懐かしく」感じてしまうのです。
(図形や理科の問題は、高校受験の範囲も入ってしまうけれど)
そうか。半ズボンを穿いていたころに解いていた問題は、一流企業の入社試験だったのか。
だから難しかったんだ。そうなんだ。
そんな懐かしいものを10年後に出されたなら、張り切って再チャレンジしようと思いますよ。
少なくとも、就活であわててる自分は。
いまや中学受験は産業として花盛りで、行政側もちょっと商業臭いニュアンスを匂わせる今日この頃。
就職活動に関してもDMが一杯届くし、イベントに行くといっそう「商業臭さ」が酷くてつらくなる。
どちらも人生の岐路にあるイベントで、できることなら自分自身の力を信じて切り開きたいものだけれども。
正直わからないことだらけだから「誰か」の力にすがっているうちに、
いつの間にか「誰か」という名の営利団体に振り回されていて、思う壺になっていたりする。
進路すら自力でがっちり決められない自分の非力さを嘆くとともに、
マスプロな「オリジナルの人生設計」を提供される、詐欺臭い世の中が厭になる。
これで週刊誌とかの受験ネタで、中学受験の経験の有無による就職率の統計とか出された日にゃ、
もう、マスコミと受験産業と就職産業が裏でしっかりつながっている、と疑われても仕方がないと思うのだけれども。
たぶん多くの教育ママのはその雑誌にガッツリ食いついて、向こう側の思う壺にされてしまうのだろうなあ、
なんて、飛躍して僻んだ学歴観バリバリの被害妄想をしてしまう。
そんな性格の悪い事を考えながら日記を書いてる。
SPI本は、まだ一問も解いてない。
›2007年11月11日
就活する?しない?
「大学生活ってあっという間」という台詞を聞き飽きた上に言い飽きたところで、
就職活動の時期と相成ったところで。
美大の彫刻学科で就活?という疑問もあるけれど、自分は就職する方面で心を固めてます。
正直な話をするなら、
「この3年間できちんと彫刻に取り組んでなかった癖に、作家志望だなんておかしいじゃん」
というのが第一の理由(汗)。
ムサビの彫刻学科は毎年10人くらい修士課程に行くので、
大学院進学に対する抵抗感は学内イチ少ない…のかな。
自分も1年生のころは「院に行ってゆっくりと成長しようかな?」とか考えていたけれど、
今の自分を見つめなおすまでもなく、その台詞が皮算用的な言い訳であるなと気づいたり(遅)。
また自分の場合は両親が共に病気を抱えていて、
家庭事情を振り切ってでも彫刻を続ける意味と力量とパッションがないまま院に行っても、
モラトリアム期間を延長させるだけで親孝行をしないまま終わってしまうなと思い、
それならもう学部卒業で一区切りつけよう、ということで「就職希望」となりました。
あとは、自分が今までいた環境に疑問を持ったことも結構大きくて。
自分は比較的「学校大好き・部活大好き」で通してきた人間で、
小学校の頃から今まで学校に行くことになんら疑問を持たなかったし、
中学校では地元の友達が増えて楽しかったし、
高校から授業をサボるようになっても部活にはある程度顔を出したし、
大学ではアトリエに行かなくても(汗)ちびくろの部室にはいたし、
とにかく「学校」の敷地内に居場所をもてたことは、おそらく幸せだったのだろうなあと考えたり。
また親が教師だったこともあり、「大学にいったらみんな教職課程を取るもの」だと思い込んでて(笑)、
来年の6月には教育実習に行くまでになったのも、
「学校」があって当たり前という意識があったからだろう。
ただその分、学校以外の事を知らない自分がいることにも気づいた。
アルバイトもそんなに長く経験したことは無いし、世間のことを結構知らない。
予定を立てるときは第一に部活を置いていて、学外に自分の定位置を作るなんて意識はまったくなかった。
それどころか小さい頃からなぜか商いごとに対して抵抗感というか、子どもが関わってはいけないイメージを持っていて、
たぶんそれは自分が学校の先生から「いい子いい子」されたかったからじゃないかなー、なんて考えたりもした。
ところがいざ大学で教職課程をとってみたら、
今度は「美術の授業」とか、「学校」とか、「教育」とかの存在に対して疑問を持つようになって、
学校というものは絶対的な存在でないのだな、と考え直したのと同時に、
自分は学校制度・受験制度に乗っかって生きてきたんだなあ、と気づきました。
それが「いい子」の生きる道だったのはいうまでもないけれど。
「学校」は悪く言ってしまえば国家体制の一部に収まってしまうし(反論もあると思いますが)、
「制度」であるから強制力がある分、人を不幸にしている面もあると思う。
たまたま自分は、それに抵抗を覚えなかっただけ。
このまま院に行ってしまうと一生学校という結界の中で暮らしそうだなあと思ったし、
かといって教職取ってるからそのまま教師になっても、
学校という世界しか知らない人間が進路指導とかできるわけないだろー、子どもを社会に送り出すには無責任だろー、と考え、
学部卒業後すぐに教師になることは考え直しました。
ただ「学校」だからこそできることもたくさんあるし、「教育」を完全に見捨てているわけではないので、
社会人を経験してから転職、という可能性はとりあえず残したくて、いまも教職課程を取ってます。
ホント、教職の授業を受けることで自分ま今まで歩んできた道を振り返ることができたので、
教師にならないにしても時間の無駄にはなってないです、自分の場合は。
学校という場は好きだし大切だと思うけれど、それに乗っかりすぎた分、今度は別の世界を見てみたくなった。
コレが第2に大きい理由。
第3の理由は…ちょっと不純かもしれませんが、コレです。
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飛ばし飛ばし読んでいるのでまだ読書マラソンでは書いてませんが。
しりあがり寿さんはサラリーマンをやりながら漫画家をやっていた、というのを知ってから、
「あ、そういう方法もありだな」なんて単純に思ってしまって(笑)。
彫刻のようにハードなジャンルを専門に取り組むなら難しいかもしれないけど、
自分の場合は漫画でもブログでも何でもいいから適当にその場その場で自己表現してしまうので(FRの件も同じようなもんだ)、
彫刻をやれなくなっても、サラリーマンで毎朝通勤電車に乗っても、たぶんアイデンティティは保たれるだろうな、と思ってます。
というか、この本を読んでそう思えたから「就職しよう!」と決意できた部分も大きいです。
美大生としては脇の甘い考えだとは思いますが(汗)。
と、今の自分の思いをダーっと書き連ねたところで、その後は自分なりに行動をしているのですが、
それはまた今度。
アミバのトップを防ぎたかった。
自分の場合はラジオではなく雑誌だったのですが。
「Fanroad」って雑誌です。
今回のタイトルでわかる方も多いでしょうね…ええ、シュミ特の一番はじめの項目になりたかったのですよ。
ろくにイラストを送ってなかったのに、馬鹿です。
今回はややオタク風味なので、ついてこれそうな人だけ続きをお読みください。
自分がはじめて買ったのは、「最遊記」のシュミ特のときでした。
存在自体は前から知ってたのですが。姉がセーラームーンのシュミ特のときに買ってましたし。
うちはオタク姉弟なのです(笑)。
もともと漫画絵が描きたかった自分は時々イラストを投稿してましたが…描くたびに(下手な故の)恥ずかしさを感じていたので、枚数はかなり少なかったです。絵で載ったのは1枚くらい。
それよりも文章投稿が異様に多かったです。一時期は封筒にはがき大の原稿用紙10枚分とか送ってました。
笑うのが不謹慎なくらい不幸なことが起こっても、FRでネタにすれば昇華させられるくらい懐が広い雑誌だったもんで、それに乗じてネタ探しが毎日の日課になりました。
2003年前後のバックナンバーを見れば、ほぼ毎号のハシラ部分に「赤岩」って名前が載ってるはずです。
恥ずかしいから引っ張り出さなくてもいいですけど(汗)。
中3からきちんと定期購読をしていたのですが、大学に入ってからは書き込みネタの昇華先がムサビ日記にシフトしたこともあり、投稿量は激減しました。
さらに、もともと自分が少年漫画が割と苦手であり、でもFRで少年ジャンプのネタが多いのに気持ちがついていかなくなったこともあり、大学2年あたりでちょっと読むのをやめてしまいました。
…ジャンプが苦手なのに6年間買い続けられたのもすごいですが、自分は「それ以外」の部分を楽しませていただいてたし、
なによりも、「ネタが載った!!」という幸福感がたまらなかったもので。
ただ、「ネタにする」という行為が目的化されて、脇の甘い発言が掲載されて反省することも多かったですが。
しかもムサビ日記でも現在進行中。反省できてない…!
思えば、自分の文章は「推敲を重ねて練り上げる」というよりかは、「ネタを一発当てていく」という感じであることが多い気がします。
それはおそらく、いや明らかにローディスト(ファンロード読者)時代に培われたものだと思うし、その延長線上にムサビ日記があるのだと思います。
それに、自分が表現したものが公に現れるときのうれしさが、美大に行こうと思う動力になったのだと思います。
高校時代には美術関係のことをやっていなかったのに(汗)。
そういえば、FRの美大生の日記漫画を読んでから美術大学への進学を考え出したっけ。
…「彫刻家になる」というには、すっごい不純で、的を得ていない理由だとは思いますが。
結果として(正統派の道ではないとはいえ)美術大学で楽しくやっていけた上で、自分を見つめなおして、進路をきちんと考えられるようになりましたし。
そこにいたるまでの素地を作る土壌になったFRには感謝です。
今度また買ってみようかな?あ、でも部屋がもっと汚くなる(涙)。
いま、自分のアパートの押入れには買いためていたFRのバックナンバーが仕舞われてます。
ダンボール3箱分(汗)。
部屋を片付けたいけど、気持ち的に手放したくないし、でも実家に送ったところでそちらの押入れの容量を削ぐことになるし、どうしたものか考え中です。
マスコットのカモノハシに、片付けの相談相手になってほしい…。
›2007年11月07日
中大理工白門祭
前回の日記はこちら。
そのほか、気になった展示を二つ。
●計算力学研究室
T君お勧めの研究展とのことで、行ってみました。
部屋に入ると向こう側に、前・横・床にグレーのスクリーンが張られた怪しげな一角が。
研究員さんに渡された眼鏡をかけてそこに足を踏み入れると…。
「うわ〜!!」
目の前に浮き出てくる西新宿のビル街と、そこを駆け抜けるビル風のライン。
風の通る道と強さを計算して出したデータを、可視化する研究をしているとのこと。
画像がないのでお伝えするのが難しいのですが、風がぐるっと回り込むのが3次元で見えてくるのですよ。
何かこう、ぐるっっと!回り込む感じが。
回り込みが描けないとデッサンが平面的になるぞ〜、ってそれとは違うかもしれないけど。
科学的データというと例えば天気予報のように、テレビの画面に映し出されるような2次元情報を思い浮かべがちですが、
風のような空間的現象だと、それでは確かに伝達力の限界がある。
そこで、回り込みを3D表現することでわかりやすく伝えると。
さらに研究員さんが持つコントローラー(プレステのものを改造?)をいじると、風の筋をたどって走る様子を見れるという、
ビバ・バーチャルリアリティ!な機能つき。
(本当に、画像がなくてうまく伝えられないのが悔しい)
なんか、ただ鉛筆で塗りつぶすデッサンから回り込みが描けるようにステップアップして、
やっとこさ「紙の中に立体を描いてます」といえるようになってきた気分だ(だからちょっと違う)。
ただ…欠点というと、
ぶっちゃけ酔います(苦笑)
自分が動かずに映像だけ迫り来るばかりなので、感覚のずれから10分位したら気持ち悪くなってしまいました。
乗り物酔いをしやすい人にはつらいかも。でもこればかりは人間の身体次第だしなぁ。
設備で何とかするというのも難しそう。
すでに1億掛かってるらしいですし(T君談)。
●物理学研究部
読んで字の如し、物理学を研究する「部活」らしいです。
自分としては、「え?学科じゃないの!?」と言いたくなりましたが、
そんなこと言ったらムサビだって「版画部」も「ガラス研究会」もありますし(ちょっとニュアンスが違うけど)。
で、ここを取り上げた理由はずばりコレです。
動画じゃないのでわかりづらいですが、こいつが結構コミカルな動きをしてるんですわ。
(ネット検索したら、これの4番にCGでの再現がありました。短いですが)
コレが廊下にあるだけでも雰囲気で「勝ち」だな、と。
結構長いことチョコマカ動いていたので、自分は「永久機関的なことを表現したいのかな?」なんて思ったのですが、
実際は「カオス振り子」と言って、「カオス理論」なるものを基にしたものだそうです。
非現実的な方向に想像をめぐらせてしまう時点で、「美大生だけど理科好き」なんて言ってられない…。
カオス理論と言うのは「不規則っぽい動きの中にもきちんとした法則性はあるが、それを予測するには膨大な情報量が必要な上、微妙な差異で大きな誤差が生じる(だから計算するのはほぼ不可能)」…って感じでざっくり言っていいのかな?
ウィキペディアでの説明はこちら…ってわかんないです(汗)。
たすけて音量子さ〜ん。
ここからは個人的に思ったことを。
中央大学は理工学部だけ後楽園キャンパスで、それ以外は全部多摩キャンパスで授業を行っているそうです。
文化祭もまったく同じ日に多摩の「白門祭」と後楽園の「理工白門祭」とで二分されているため、どうしても理工のほうは寂しくなってしまうとのこと。
とある展示を訪れたときなんか「こんな寂れた文化祭ですが…」なんていわれてしまいましたし。
たぶん、人でも少なくて大変なんだろうなあ、なんて想像してしまったりも。
ですが、その分「文化祭に最低限必要な要素」はきちんと押さえてあった気がします。
模擬店があって、ステージがあって、サークルの展示があって、
(理系の学校だから)研究室を開放したりして、アイドル(夏川純)のトークショーなんか催したりもしてる。
人数が少なくても、多少装飾が少なくても、きちんと文化祭してると思う。
「お客さんが少ない」のはともかく「要素が欠けてる」訳ではないから、特に卑下しまくることはないと思うんだけどなあ。
確かに芸祭のカオスを知っていると、少し寂しく感じてしまいますが(汗)。
一方ムサビは、中央広場は圧死者が出るんじゃないかと思うくらいの賑わいだし、
装飾は過剰なくらいがんばるし、展示は逆に多すぎて今年は制限が掛かったくらい。
盛大なのはいいけど、理工白門祭みたいなシンプルな文化祭を見ていると、
お祭りを派手にすることが、いわゆる手段の目的化になってしまって、変に一杯一杯になってるんじゃないかとも思った。
苦しいけどその後すごく楽しい、はずなのに、なぜだかいつまでも苦しい、みたいな。
とはいえ自分としては芸祭ならではのカオスっぷりがある意味快感だし(笑)、
あの異様なまでに凝ったパンフやサインシステムも、それをつくる過程が実践的なデザイン学習として生かされているのかもしれないし、
展示だってきちんとやりきればちゃんとしたキャリアになるだろうし(自分なんかが言う台詞じゃないけど)、
何よりも、楽しい空間を作り上げるってことは貴重な人生経験になるし、来年もまた進んでやりたいと思えたのは大きな収穫。
芸祭にも理工白門祭にも大事なのは、目的を見失わずに限界まで盛り上げていくことなのかな。
(だから、必要以上に凹まないでね、ヤ・ス・タ・カ…笑)
と、我ながら臭い台詞を言ったところで、現実的な突込みを。あまりたいしたことはないとは思いますが。
理工白門祭の展示企画で気になったのが、「お客さんへの見せ方」について。
ある教室をのぞいてみたら、展示の内容も入り口に掲示してないし、ドア近くの机に部誌がポンと置いてあって、部員は奥のほうで駄弁っている…なんてシチュエーションを何件か見かけましたが、割と萎えました。
サークルだから内輪で楽しみたくなるのはわかりますが、一般開放された文化祭ですし、もうちょっとウェルカムオーラを出してほしいなぁ、と思いました。
インパクトのあるポスターを貼るなり、お客さんが困らないような対応をとったり。通りすがりの人が部屋に居やすくなる工夫があるとうれしいです。
そういう意味では前述のカオス振り子はよかったと思います。でも、展示ではそれに触れたものがなかった気が…。
あとは、お客さんに楽しんでもらう展示空間も。
パネルを立てたり掲示物を集約させたりして、「展示」と「プライベート」の仕切りをつくるとか。
展示も、部誌をポンと置くだけでなくキャプションや掲示物をがんばるとか。
美大のようにパネル張りまではしなくていいから、せめて模造紙とかに説明を書いて、お客さんの興味をひきつけるとか。
これ以上言うと長くなるし、最終的には各々の展示で考えることだけど、
せっかくいい研究をしていてもお客さんに伝わらなきゃ損じゃん、もうちょっと見せることを考えてほしいな、
ということを言いたかったわけで。
…ムサビコムで長々と書くことじゃないだろうけど。
まずもって中大理工の人は読まないだろうし。
やばい、結局独り言の押し付けじゃん。
キモイわ自分。
キモイキモイ(汗)。
でも他の大学を見て気づいたことなので、自分自身のために書き残しておきます。
›2007年11月04日
多摩美芸祭、中大理工白門祭(そのいち)
昨日は多摩美に行ってきました…が。
めまい(?)のため途中退出。
自分は疲れていると地震の縦揺れを歩いているような感覚に陥るのですが、
久しぶりにそれが来ましたわ。
普段は疲れるほど動いてないことがバレバレですが(汗)。
とりあえず、今回多摩美で一番驚いたこと。
新校舎に、オサレなベーカリーカフェが出来てる…。
ムサビの2号館建設中には「テナントでスタバが入る」というデマが流れたらしいですが、
これで多摩美にぐっと先を越された…ちと悔しい。
でも、食券を買ってカウンターに並ぶあたり、学食臭は否めない。
で、今日は水道橋の中央大へ。これで文化祭3連続(笑)。
というか、非美術系大学の文化祭初めてだったり(日芸は美術系とみなしてます)。
友達のT君が鉄道研究会の展示をやっているとのことで、ちょっと気になったので行ってみました。
で、その光景を。
写真ぶれちゃってごめんなさい。
でもこれ、手のひらサイズの模型なんですよ。上の写真のはHOゲージというらしいです。
(「らしい」ってあんた…)
これが教室の中心をがーーーーっと走り回る。
鉄道模型というとミニマムなものだという思い込みがあったので、期待以上のものが見れてよかったです。
因みにこの模型、とても細やかな仕事をされたものなので、一編成あたりのお値段は(安くても)自分の仕送り額くらいします(汗)。
今回の展示の総額は、40〜50代公務員の月給くらい…?
なので、T君は展示の見張りをやりながら予算交渉の資料をまとめてました。
で、下の写真はNゲージ…だっけ?(汗)。つくり的に建築学科とかの課題を思い出してしまいます(笑)。
駅舎そのものは既製品かもしれませんが、それにLEDをつけて、電池ボックスをつけて、
夜中の駅の雰囲気を出せるようにしてました。LEDはざっと100個買ったらしい。
すごい熱意と、それを具現化するための努力…やばい、負けてられない(汗)。
夜中の鉄道風景を再現している様はとてもきれいでした。
教室全体の雰囲気がよかったのに、デジカメが安くてうまく写真に収められなかったのが残念なくらい。
T君は高校のときも文化祭でNゲージを走らせていたこともあり、
その経験を生かして、展示に来てくれたお客さんに楽しんでもらうことを考えていたとのこと。
実際には家族連れや女性3人グループが来たりするらしく、
鉄研だからといって鉄オタ向けにしすぎないよう気をつけたようです。
純粋に「これいいね!」って感じで理解してもらえるようにしたい、とmixiの日記に書いてました。
実際そこまで鉄道に詳しくない自分でも、部屋の電気を消して夜間走行の雰囲気が演出されたときは、
素直に「きれい!!」って思いましたモン。
ここからは自分の意見ですが。
今でこそ「鉄子の旅」や「タモリ倶楽部」ががんばってくれているけれど、
ちょっと前までは鉄道趣味というと、入れ込んでいる人とそうでない人での温度差は相当あったはず。
非オタの人は必要以上に煙たがるし、オタの人はそれを見て余計に内輪に走る、のエンドレスループ。
自分が楽しければそれでいいってのもあるけど、一般公開された文化祭で「それ」だと見る側はつらいというか…。
だからT君の「楽しんでくれるための演出」って、見せる側だけでなく見る側としてもうれしいし、
そこから相互理解が少しずつ始まるかもしれないし。
白門祭の話、まだまだあるので明日に続く。
カオス振り子とか〜、ビル風分析の3D体験とか〜。
›2007年11月02日
所沢に行ってきました。
芸祭休みに突入したところで、赤岩はただいま各大学の文化祭めぐり中。
今日は日大の芸術学部へ。
というのも、この日記で登場したS君から日芸彫刻の3年生展をやるというメールをもらったので、
芸祭めぐりをかねて所沢まで行ってきました。
1年のときにも日芸の芸術祭に来たことがあるのですが、そのときは江古田キャンパスでの開催で、
工事のフェンスに覆われた中、テント屋台が密集していて独特の雰囲気を醸し出していました。
去年から所沢キャンパスでの開催になったということで実際に行ってみると、
…うーん、校地が広大な分、敷地をうまく使えなくて変に広い感じがしました。
江古田での記憶があった分、もうちょっと濃縮された空間を期待していたのですが。
それは自分がムサビ芸祭のカオスを知っているからかもしれないし、広々としている分人に酔いませんでしたが。
開催地が所沢に移って2年目ということでまだまだ手探りの模様。
これから数年かけて面白い空間がつくっていってほしいなあ、とアウェーの人間が勝手に思ったり。
一方、屋台の一部が近隣住民の企画として貸し出していたのは新鮮でした。
何で芸祭でパンジーの鉢とか売ってるんだろう、って思ったら近所の方だったんですね。
これは逆にムサビでは出来ないかも。模擬店スペースがキャパオーバーだし、
開催中は色々と苦情が来たりしてるようですし、男御輿とか(汗)。
で、目的のS君と1年ちょいぶりの再会。
やはり彼は制作に熱い男でした…まともに製作してない自分が言うのもあれですが。
今は石彫を中心に制作しているとのこと。素材からして硬派な彼らしい。
作品も大胆かつ丁寧な仕事。土の山にでっかい大根がぶっささっていたり。
本当につくるのが好きなんだなあ、と感じました。
(もう本当に自分は…汗)
因みにS君、ムサビ日記の存在を知ってました。
後輩がたまたま買ってきて、例の越後妻有ヒッチハイクのところだけ読ませてもらったようです。
出来れば一人一冊買え!といいたいところを抑えて(笑)、
存在を認識してくれていたことに感謝。
今回も(勝手に)ネタにさせていただきました(オイ)。
S君と別れたあとは、デザイン学科の友達(ちびくろ部員)と会ったり、
展示をぐるーっと回ったり。
自分は人の作品を見なくなると創作意欲が極端に落ちるので(特に学期始まりは顕著)、
彫刻の講評(自分は再提出…)→ムサビ芸祭→日芸祭(→多摩美芸祭→なぜか中央大理工)と来て、
このままテンションを上げていって後期後半の課題にいければなあ、と思ったりする雨の日の夜。
個人的な話ですが。しかもいまさらな話ですが。
そのうえ「たら・れば」の話はあまりしないほうがいいとは思いますが。
実は自分、もしかしたら日芸生になっていたかもしれないのです。
というのもムサビ彫刻の実技でおもいっきりしくじってしまい(実際点数はひどくて言えない…)、
学科は割と出来たものの合格する自信が殆どなくて、
しかもその前に受けた多摩美の入試は実技も学科も悪くてサクラが散ってしまい、
ムサビの発表前夜には、日大の入学手続きの書類をひとりで凹みながら書いていました。
今考えると、根暗というか御馬鹿というか(汗)。
結局翌日には吉報が入った上、大学では制作よりちびくろに入れ込んでしまいましたが、
そこでも日芸のデザイン学科の先輩がひとりいましたし。
この経緯のせいか、自分はほかのムサビ生より比較的日芸に対する意識が強いかと思います。
変に気にしているだけで、行動にはそこまで現れてはないと思いますが。
たぶん、またブログで日芸ネタを書くかもしれない。「ムサビコム」なのに(笑)。