2007年07月21日
だって、どうやって教えればいいかわからないんだもん
ウィキペディアの医学系記事を渡り歩いていたら、
いつの間にか「酒井式描画指導法」の批判サイトにたどり着いてました。
(酒井式についてはこちらを参照のこと)
そのせいで頭がモヤモヤ、夜も眠れナイト(いや、もともと生活が崩れてますが)。
うーーーーーー、判断材料もあまり持ち合わせてないし、
頭の中の考えをいざ打ち込もうとしても、自分の中で整理でき無くてアウトプットしづらい状況。
なので相当砕けた文体にして見ましたが、不快感を覚えてしまったらごめんなさい。
酒井式を否定するのは簡単で、自分もあまりお勧めはしない立場ですが、
でもこれをすすんで実践する先生の気持ちはわからなくも無いです。
たとえば小学校の先生は、全教科を教えることを前提に養成されます。
詳しい理由を知らないのですが(すみません、勉強不足で)、どうやら「何でもできる人」のほうが小さい子どもを教えるのに適している、という考えのようです。
確かにスーパーマンな担任の先生と一緒にいたら、色々な刺激を受けることが出来て面白そうです。
花の名前を教えてくれたあとは、原っぱで元気よくサッカーしたり…ちょっと安直かな?
けれどそんな夢のような人材、そこらに転がってるかぁ?とも思ってしまうのです。
…現場の方すみません。でも人間には少なからず得手不得手があると思うのです。
仮に赤岩がきちんと国立大学の教育学部を出て、
厳しいといわれている(けれど普通の企業と比べたら…?)教員採用試験をパスして小学校の先生になったとしても、
もともとが非力なので、体育の授業には全っっっっく自信がありません。
5・6年男子に振り回されそうでガクガクブルブル。
…いや、自分を例に出しちゃいけないか(汗)。
でも「図工」や「美術」って、好き嫌い・得意不得意の出やすい分野だと思うのです。
筆記試験みたいに判断基準がバシッとしているわけではないし、その分努力のベクトルを定めにくいし、
器用不器用に左右されやすい部分も多いし、
「ぐちゃぐちゃでもいいから自分の思いをぶつけてごらん」なんていわれても、
でも100点を目指そうとして(目指さなきゃいけない気がして)「整ったもの」をつくろうとしてしまう、
いい子いい子することがその子の自我を確立する手段になっていたら、
自分の思い=相手の評価を高めることは切実な問題。
けれどそのための技術は無いのでお茶を濁す。そして自己嫌悪。
中学ならそれに加えて、難しい高校に行くための内申点が気になってしまい「冒険」なんて無理無理無駄駄々ーん。
はい、受験勉強系のHPに「先生に色々聞いて、気に入られやすい絵を描こう」とあったので実践してみました。
だって美術高校に行くわけではないんだもん。自分の世界なんてナッシング。
…脱線してしまったので戻しますが(ごめんなさい、少しふざけすぎました)。
全国の小学校の先生全員が、必ずしも図工が得意ではないし(得意という言い方も微妙だけど)、もしかしたら「芸術なんて超わけわかんねえ、自分はバッサリしたわかりやすいのがいいの!」なんて思っている人もいるかもしれない。
でも現実問題、小学校の先生は「図工」を教えなくてはいけない。
東京都は採用の時点で美術の専科枠(中学の免許でも小学校の美術の先生になれる)があるけど、
そんな自治体は希少価値ものですし、都内でも僻地まで美術の先生がやってくるかはわからない。
(主に予算と法律と当局のパッションの問題で)
大学の授業や採用試験の勉強で、図工教育の意義や目標はさんざん勉強した。
けれど、いざ子どもの前に立ったら、具体的には何をやればいいの?
水彩画をやるって、どんなものを描かせればいいの?
色を混ぜすぎて茶色くなった絵をどう評価すればいいんだろう。「汚く」なっちゃってる。
「思うようにかけなくて厭!」って言う子をどうしよう。元気がいいところをほめたいけど、意にそぐわない評価に本人が逆に凹んでしまった…。
こっちは端っこにピカチュウ描いてるし。描きたいものを描いてて楽しそうだけど、教育的にはどうなのかなあ。
で、この子は飽きちゃってる模様。中学受験するからって、受験以外の教科をなめてかかってるのはいただけない。
うーん、今日も何とか2時間「乗り切った」。
本当はもっといい授業をしたいけど、国語や算数に時間をとられてなかなか研究できないからどうしよう(涙)。
※※※※※
…自分の妄想が多分に入ってしまったうえ、まずい表現も使った気もしますが。
正直「乗り切る」状態の先生って、少なくない気がします。
美大出身者でも、小学校で求められる「図工の授業」はまた別物で苦労をすると思います。
乗り切るためには、高尚な思想の字面に萌えるだけじゃやっていけない。
だから具体的な実践例がほしい。
それも美大に行かなかった人間でも出来そうなくらい入りやすくて、
なおかつ実績が多そうなものを。だって心細いもん。
と思って本屋さんに行くと、酒井式の本ばっかりだった。
だからそれを試してみる。
というか、それしか試せない。ほかに具体例があまり無いし。
第一美術の専門家じゃないから判断できにくい。
※※※※※
結局妄想ばかりになってしまって身の無い文章になってしまった…。
学校の先生の気持ちの面から考えて書いたつもりですが、論点がずれてしまいました。
美術の授業におけるメゾット先行の弊害については、
色々思うことがあるのでこれからも書いていきたいなと思いつつ、
実は教員になるパッションが年々低下しているので(汗)素人がわかった口調で書くのもどうなのだろう、とも思います。
研究するだけならどっかの大学院にすすんで論文を書き上げることもちょっとだけ考えましたが、
自分の教育熱の温度と、なし崩し方フリーターになりそうな自分の性格と、自分の勉強のしなささとを、
両親とも病気をしている家庭環境との秤にかけたら、どう考えても後者の比重が高いと判断した次第です。
というわけでとりあえずムサビ日記で言うことは言って、あとは赤門をくぐって勉強する妄想をする事にします(後ろ向きだ…しかもなぜ赤門)。
正直、自分は「元気のある絵」より「整った絵」のほうを描きたい人間だったので(今でもですが)、
完全肯定はしなくとも完全否定は出来ないです。むしろ肯定も否定もしたい感じ。
小学校5〜6年のころ(酒井式では無いけど)「キミ子方式」を習ったことから、
漫画のように(?)「整った絵」を描くという一応の幸福追求を達成したことがあったので、少し複雑な気持ちなんです。
あくまでも「一応」なのですが。
…まとまらない。どうしよう。とんでもないことに足を突っ込んでしまった。
思うことあって、美術からも教育からも一歩下がってみたかったのに。
いや、下がってしまうのは「国民の義務」に反するのですが。
でもでも…ちょっと沼から上がりたい。でも無理。
赤岩さん、コメントありがとうございます。いただいたコメントに対し、私のブログでいろいろ書きましたのでその記事をトラックバックさせていただきます。
このような率直な感想を読むと、私も頑張ろうという気持ちになってきました。
ところで図工も美術も実際は楽しいですよ!ただそのためにに子ども達にどんな題材を提供するのかそこを深く考える必要があるし、子どもと題材をどう出会わせるかということも授業の中でとっても大事なことだと思います。そうすると子どもが本当に意欲的なります。ここでは書ききれることではありませんが…。
赤岩さんの書かれたものを読んで、とにかく、図工美術教育をよりわかりやすく、発信していくよう、もっと努力しなくてはと思いました。
>山崎さん
えーと、よく見返さなくてもひどい文章ですみません(汗)。
自分もきちんとは勉強していない状態なのでたいした意見をいえないのですが、美大に入って(見事にサボって)色々考えたことがあるので、これから少しずつ小出しにしていこうかと思ってます。
教育に関する情報発信に関して思うことは、実家に帰ったあとブログに書いてみようかと思います。
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