2005年09月30日
美術系っぽさ
ある人に言われた言葉。
「赤岩君って、美術系っぽくないよね。」
屁理屈っぽい(というかオタクっぽい)話し方が「らしくない」らしいです。
というか、自分の場合、単に言い訳がましいだけのような気がする…。
「あまり感性とかで動くタイプじゃないよね。」
そういわれると痛い(涙)。
というより、感性でも理屈でもなく、その場の思いつきで行動する人間ですし(汗)。
どっちみち、「美術系っぽさ」は感じられなさそうだ。
「あなた、ホントは理系なんじゃないの?」
確かに、理科は好きでした。
高3の文系生物でも自ら進んで鶏の解剖をしましたし(笑)。
でも、求めるものが雑学どまりだったのと、高校入学以来勉強しない癖をつけたのがもろに数学の成績に響いたこともあって、理系クラスには進まなかったり。
「赤岩君、何で建築科に進まなかったの?屁理屈をこねなきゃやってられない世界じゃん。」
美術予備校での扱いが小さかったせいかいまいち興味がわかなかったし(建築の方すみません)、
「サラリーマンにはなれない」と思ってデザイン系はパスしたのもあるし、
当時は「建築=理系」という思い込みもあったからなぁ。
そして最後に言われた一言。
「それならあなたは先生になりなさい。」
芸術家タイプじゃない理論派の人間が、美術大学を出てからつく仕事の王道なので。
…自分の場合、職員室で苦労して美術室に引きこもる気がしますが汗)。
いいもん、あと3年以上あるもん。彫刻好きだもん。
(強がりだし)
『ねぇあの子aikoっぽくない?』
『えぇ〜っ!全然aikoじゃないよぉ、どっちかっていうと akaiwa って感じ』
ダリやブニュエルがシュルレアリズムを目指したのはなんでかと考えると、別に彼らはジョンレノンの言うところの空想家とか妄想好きだったのでは無く、単に彼らの目に映る美術界やそれまでの絵画、そして現実がただただ退屈だったからなんじゃないか?だからこそどちらかといえばだからこそそうした生活に耐えられず、超現実に走ったのではないか?そんなことを最近考える。だって最近退屈なんだもん。
建築=理系って括りはあながちまちがってない、一般大学における建築ってのは技術や設計も必要だし、それ以上に物理学的知識を必要とするからね。基本的に柱をなくせば壁が無くなり空間が広がって見栄えが良くなる。だから美大生の作る建築デザインは柱が少ないけど、一般大の学生が作ると天井の重さや構成する材料の一つ一つの強度なんかを考えて必然的に柱が増えていく。東京の有楽町にある国際フォーラムが現代建築として世界的に評価高いのはあの大量のガラス壁面や天井からくる圧力をうまく鋼線を使って分散させ、柱を一つも使わないデザインにしあげたからで、だからこそあの既存に無いぶっ飛んだ超空間に縦横無尽に走らせたスロープを配置することが出来たのだね。
だけれど建築家の使命に『柱はなるべく少なく』なんてものがあるわけでもなしに、直線や曲線、木や土壁なんかを使った日本家屋にも広さは感じられないけど狭小の美というのが存在する。結局これがいいってことは無い。
消防士の腹を満たすパン屋が必要なように、一般大の建築屋も美大の建築家も必要なのだ。
さて彫刻ってなんだろか、私の考えるデザインの価値は『公共性』にあるのだけど、ファインや彫刻はそこに属さない気がする。(まぁ公園に配置されたオブジェとかあるけど)なんか光とか影とか実際に触ったときの質感みたいなものに鍵がある気がするね。(しない?)照明の配置一つで思いっきり見方が変わる芸術って彫刻が一番大きいと思うし。形作るということのルーツにその対象である森羅万象や私たちがあって、それを汲み取るのに私たちの五感がある。それはコネクターとしての存在であって、そこに必要なのは理論も感性も両方重要になってくるだろう。大事なのは将来の方向性を見極めることではなくて、いまやりたいことをいまやるってこと。それを繰り返しているうちに自分も、まわりも見えてくるだろさ。血を使い、頭を使い、手を使い、とりあえず作ってけ。ここは愚痴日記でもなく未来日記でも無い。君がいま、自分を含めた誰かと対話する場所ではあるまいか?
(文章書くって気持ちEね、長くなりすぎたので強引にまとめちゃったよ、赤岩君にはこの本をお勧めするよ!いま分かった、彫刻は大地とコミットする芸術だ!)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314007370/qid=1128096163/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/250-0919987-7885825
コメント屋さん、名前負けしないコメントをありがとうございます。
つーか、おもいっきし身内のような気がしますが…(笑)。
彫刻でも、何でこの形じゃなきゃいけないのかとかをある程度説明できなきゃいけないのです。そのために一定以上の理論性が必要だったりします。作品の形はもちろん、素材の持ち味、作品のサイズ、設置状況など。
相手が3次元の物体である分、結構頭を使います。
とはいえ、頭で考えるばかりでは目の前にある作品が面白くなるわけではなく、結局その人なりの感性もかなり大事だったりします。
製作するときは、その人が「考えたこと」(=理論)と「感じたこと」(=感性)+それ相応の技術をフル活用しなきゃいけない気がします(自分はできたいませんが)。
たぶん、コメント屋さんが言いたいのはこういうことでしょうか。
ところで、
>東京の有楽町にある国際フォーラムが現代建築として世界的に評価高いのはあの大量のガラス壁面や天井からくる圧力を
>うまく鋼線を使って分散させ、柱を一つも使わないデザインにしあげたからで、だからこそあの既存に無いぶっ飛んだ超空間に
>縦横無尽に走らせたスロープを配置することが出来たのだね。
そうだったんだ…。
でも、個人的にはもうちょっと「機能美」を考えて欲しかったなぁ。あそこは迷子続出スポットですし。
(つまらない建築になるのはいやですが)
あと、もうちょっと言うと、ビッグサイトなんかも(以下略)。
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