リアルでギリギリな美大生の日常を・・・ (※微妙に非日常系日記)
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ニセモノ
地元の駅にでっかい桜があって、
あまりにも通りすがりの人が写真をとっているもんだからつられて写メで撮ってしまいました。
あぁ嫌気がさすほど純日本人。
認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを・・・・
そんな感じで美大生とは思えぬ画質と構図ですいません。
そして場所によって全然写りが違うんですね。照明って大事だ。
それにしてもこの桜、木だけ本物で恐らく花は作り物。
そんなものに多くの人が食いついてしまうんだから
何か日本人って何でも良いんだなぁ〜って感じです。
そういえば、話は飛ぶんですが
小学生ぐらいの時に読んだエスパー魔美の漫画で
ある青年の物心で美術館に飾ってある本物のモナリザの絵と贋作をとりかえてしまうという話がありました。
(あんまり記憶が定かでないからちょっと違うかも)
その話では魔美たちだけは本物のモナリザと違う事に気づくのですが、
他のお客は『これがあの有名な!!』って感じで誰も気づかないんです。
その時、私は子どもながら実際贋作とすりかえられたら、
これが本物という絶対的な固定概念があるにも関わらず見破られるのだろうか・・・と本気で悩みました。
そして、この歳になって色んな美術館で色んな作品を見てきた結論。
実際見分けられないよね。(爆
結構前にテレビで見たのですが外国で凄い贋作作りのプロみたいな人がいて、
その人は必ずネタばらしとして(?)下地にこれはフェイクということを書いていたそうです。(X線とか使うと見えるんだったかな?
とりあえず結構な知識人達が騙されたりしたっていうのが凄い。
そんな贋作、非常によくできたシャネルのパチモンぐらい見分ける人ぐらいじゃなきゃ
一般人に分かるはずがありません。
むしろマナカナの区別すらついてないのに見分けられるわけがない。
そもそも日本人は『見た』という“ステータス”が欲しいだけなのではないだろうか。
こうやって写真を撮るのだって日記に載せようと思って撮るだけで
そこに感動なんて全然無いのだから。
・・・とセザンヌ至上主義の母と、本を見ないと作品の良さが分からない父を見ていて
そう思ってしまう屈折した私は
超能力を決して悪用しようとしないエスパー魔美のことを、なんだか直視できないでいる。