リアルな美大親の日常を
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アルバイトの思い出
「アルバイト」のお題が出ていたのですね。
遅ればせながら書いてみたいと思います。
高校時代…海のそばの町に住んでいたので、海の家で配膳やお掃除、
海水浴場の監視小屋で迷子のアナウンス、水族館でチケット売り。
夏のアルバイトはどれも本当に楽しかった〜。まさに青春という感じでしたね。
同時にこの頃からサブカルにどっぷり浸かっておりまして。
そういった雑誌を読むのが大好きでした。
「びっくりハウス」とか「宝島」とか「フールズメイト」などなど。
憧れの職業はもちろん「雑誌編集者」でした。
そうして上京してひとり暮らし。
はじめはコンビニなんかでアルバイトをしていたけれども、
ある日、ふっと、「宝島」編集部に電話してみたのです、
「アルバイトの募集はありませんか?」って。
今考えても無謀そのものなのですが、返ってきたお返事は意外や意外、
「じゃぁ明日来て」。
それから卒業までずっとお手伝いをさせていただきました。
編集の仕事は華やかな紙面とは裏腹にとっても地味な、まさに裏方さんで
アルバイトは更に使い走りなのですが
憧れの場所でしたからね、どんな仕事も楽しかったです。
インタビューのテープ内容をそのまま文字に直す「テープ起こし」。
戸川純さんのを起こしたとき、自分が聞き漏らさなかった彼女の小さな呟きが
インタビューの中でちょっとしたアクセントというか、彼女らしさの表現になっていたのが
とても嬉しかった。
作家さんのところに原稿を頂きに伺う。
内田春菊さんのところはちょうど「修羅場」を迎えていて
売れっ子作家さんは大変だな〜とか
ナベゾこと渡辺和博さんには玄関ドアを開けるなり写真を撮られたりとか
奥平イラさんとか盆栽アーティストの…ぅぅお名前失念、
とにかく色々な方にお会い出来た。大好きな景山さんにも。
たかがアルバイト学生に、みなさんとても優しく接してくれました。
小さな小さな記事も書かせていただきましたよ。
ライブも名刺パスで入らせてもらいました、これは役得でしたね。
当時の編集部にはかの敏腕編集者WさんやMさんがいました。
確かMさんが仰っていたと思う。
「バイトしたいなって思ってるヤツはたくさんいても実際に電話してくるヤツは多くない」
みたいなことを。
宝島社への就職はさすがに無理で(おバカな記事を書きつつ皆さん早慶ですから汗)、
編集プロダクションに紹介してあげるよ、みたいなお話もあったりしましたが
私はなんとなく実家に戻り、なんとなくOLに納まってしまいました。
結局、どこか中途半端な憧れだけで、これで食べていくぞみたいな
気概が足りていなかったんでしょうね。
いい思い出という言葉がぴったりな、今となっては別世界な経験でした。
私達、親世代の学生時代は経済が右肩上がりの時代の終わりの方で、バブルなんかもあって、職もバイトも結構豊富な選択肢があった気がします。
今の学生さんはホント、大変だな〜と思うし、今の若者は堅実でえらいな〜と思うのであります。
投稿者 みずしらず : 2010年07月27日 07:47
貴重な体験をされてうらやましいです。
「宝島」のライター、私もやりたかったのですが
夢で終わってしまいましたし、
それどころか、何一つ仕事を全うできないまま
気がついてたら
「十把一絡げのおばさん」
となってしまいました。
投稿者 はるかぜ : 2010年07月27日 15:00
>みずしらずさん
幸い我が子はブランド物などに興味はなく、
身分相応なものしか買っていません。
欲しいと言われても買ってあげられないし、
欲しくないみたいです。
そう思うと、あの時代のあの感覚が間違っていたのかも、
なぁんて思えてきてしまいます。
「今日、ホームレスになった」という本、以前に買って
最近読み返してみたのですが、まさに他人事とは思えず。
あの狂乱の時代のあとに残ったものは一体何だろう、
などと考えてしまいます。
お話逸れてすみません。
投稿者 28号 : 2010年08月08日 14:22
>はるかぜさん
自慢話みたいにひけらかしてしまい申し訳ありません。
本当に楽しかった思い出です。
「何一つ仕事を全うできなかった」と仰るのは間違いで、
はるかぜさんは子育てをされて、
大学にまで送り出されたお母さんです。
これは大変な仕事であったと私は思います。
「十把一絡げのおばさん」、これは私自身も自覚してます…
まぁ、ヘンなおばさんよりも普通のおばさんの方が良いかと。
目立たぬように過ごすことを心がけていますよ。
世間はおばさんに厳しいですから。
投稿者 28号 : 2010年08月08日 14:42